断罪回避チャレンジ ~上手く婚約解消できるかな~
その光景を見た瞬間、頭の中が真っ白になった。まるで天恵を受けたかのような衝撃だった。
ここは王立魔法学園の渡り廊下。
私はアデリーナ・ヴェルヴァルト伯爵令嬢。この国の第二王子、フェリクス殿下の婚約者でもある。
そして渡り廊下の向こうに見えるは、中庭のベンチで仲睦まじく寄り添い合うフェリクスとピンク髪の女子生徒。あれは確か、ミュリエルとかいう男爵令嬢だった筈。
私は我が目を疑った。
フェリクスが微笑んで、ミュリエルの手を取っている。
フェリクスは私にはとても無愛想だった。いや、無愛想どころの話ではない。会話らしい会話もしたことがない。当然談笑などは一切なし。世間話も無しで伝えるのは用件のみ。彼から笑いかけられたことも無いし、手を握り合ったことなど当然無い。
幼い頃からそうだった。初めて会った時も、婚約が決まった時も、同じ学園の生徒になった時もだ。でも、それは私にだけではなく、他の人に対してもだ。親兄弟も例外ではないように見えていた。
彼はそういう人なのだと思っていた。人に冷たくしか接することの出来ない、不器用な方なのだと。
だが、今の彼は嬉しそうに笑いながらミュリエルと手を繋ぎ、見つめ合っている。
次の瞬間、私は前世を思い出していた。
小説投稿サイトで数多のお話を読みまくり、そのコミカライズ作品を嗜んでいた記憶を。
これ、そういうことでしょ!
私はどっかの物語かゲームの悪役令嬢に転生したに違いない。
もう話を読みすぎてどの世界かは分からない。でもこの光景、百回以上見たわ。
知ってる!
この後、ヒロインのミュリエルがいじめられて、物を隠されたり階段から突き落とされ、それを私のせいにされて卒業パーティで婚約破棄と断罪。そして追放とか牢屋に入れられるとか死刑とか。
浮気した王子がなんで婚約者に罰を与えられるんだ、とかいう疑問は横に置いておく。
この先の展開を読んだ私は、すぐさま学園に休学届を出した。そそくさと領地の屋敷に帰ることにしたのだ。
この学園は寮生活だったので、領地に帰らなければいけない事情が出来たと申し出れば許された。
王都の屋敷から領地までは馬車で三日ほどかかる距離だけれど、私には転移魔法がある。やってて良かった魔法の勉強。
そこでサクッと父に会って、フェリクスがいよいよ心変わりして婚約が破棄されそうだと伝えたわけだ。以前から、どうやっても仲睦まじくは出来ず関係も深められないと報告していた。このままでは嫌な展開になるから、向こうが破棄してくる前に婚約を解消してほしいとお願いした。
すると父である伯爵は、虫けらを見るような蔑んだ瞳でこちらを見て言い放ったのだ。
「なぜおめおめと学園から逃げ出してくる? 奪われそうならば、どんな手を使っても奪い返せば良いだけだ」
「どんな手を使っても……」
ははーん。
それって、悪役令嬢が断罪されるのは親からのプレッシャーがあったからパターンだな。私は一瞬にして色々な展開の悪役令嬢モノから、今の状況を推測した。
親が優しくて味方になってくれるパターンと、悪役令嬢は家族からも嫌われていて孤立無援パターンがあるが今回は後者のようだ。
父がふんぞり返って命じる。
「そうだ。その男爵令嬢を学園から追い払え。始末しても良い。婚約は絶対に破棄させるな」
「はい、それでは学園に戻ります」
はいはい、と気楽に返事をして一先ず自室に戻る。
そしてカバンに金目の物をバンバン入れ始めた。学園の制服も脱いで、一番目立たないワンピースに着替える。
その途中で乳兄弟である侍女のブリジットに見つかってしまった。
「お嬢さま? 一体何をなさっているのですか」
「いえ、何も。すぐに学園に戻るわ」
知らぬ顔で誤魔化そうとしたが、生まれた時から一緒で姉同然でもあるブリジットにはすぐ見破られてしまった。
「制服を脱いで、そんなに宝石を持ち出して? お嬢さま、家出をするつもりでしょう」
「うっ……」
ズバリ言い当てられてしまった。口ごもる私に、ブリジットは重ねて問いただす。
「それで? これからどのようになさるおつもりですか」
「一人で生きていける術を考えてみようと思っているの」
「ははーん、それでは冒険者か傭兵か、その辺りをお考えですね?」
「どうして分かるの……」
そう、ここは魔法と冒険の国。魔物を倒す傭兵だって居るし、ダンジョンに潜る冒険者だって存在するのだ。
幸いにも、私は魔法が得意だった。それも、希少な闇の魔法使いだ。
その特異な魔法を使って、冒険者になってしまおうと考えたのだ。
すると、ブリジットは厳しい指摘を始めた。
「お嬢さまの考えなんて誰にでも分かります。そのまま冒険者になってもすぐにバレて連れ戻されますよ」
「そう、かしら。お父さまには学園に戻るって言って、学園には休学届を提出済なの。誰も私のことなんて気にしないでしょうし、冒険してもバレないんじゃないかしら」
「冒険者になるには登録しなければいけないんですよ。それに、闇魔法が得意な魔法使いなんて絶対貴族の関係者じゃないですか。見た目だって目立つし、無理です。お嬢さまには」
私は鏡をチラッと見て溜息を吐いた。
いかにも悪役令嬢といった、金髪縦ロールだ。いや、髪型はどうとでもなる。一つにまとめてお団子ヘアにしたらただの金髪だ。しかし、意地が悪そうな吊り上がった瞳はどうにもならない。試しに、目じりを細めて柔らかな表情にするべくにっこりと微笑みかけてみた。
鏡に映ったのは、底意地が悪そうにニヤリと笑う悪役令嬢だった。人相が悪すぎる。
「はー、どうしようかしら。いっそのこと外国に行くとか」
「国境を超えるのは簡単じゃありませんよ。それこそ身分証が必要なんですから」
「失くしたって言ってどうにかしてみるわ」
ともかく行動あるのみだ。行き当たりばったりとも言う。
私が立ち上がってカバンを持って出て行こうとすると、ブリジットはとんでもないことを告げた。
「私もご一緒致します」
「えっ。侍女の仕事はどうするの」
「辞めます」
「そんな、簡単に言わないで」
安定した職を捨てさせ、何も決まっていない旅に同行させる訳にはいかない。
しかし、ブリジットはきっぱりと宣言した。
「お嬢さま一人で行っても失敗するのが分かっています。私なら、上手く冒険者になる方法も知っております」
「なれるの? 冒険者に」
「はい、お任せくださいませ」
こうして、私たちは王都の学園に戻ると嘘をついて冒険者になるべく出掛けたのだった。
***
十日後。
冒険の街、ノインスブルグの冒険者フェリドに私とブリジットは居た。
私が歩く度、ガチャンガチャンと鎧の音がする。
それを見て周囲の冒険者たちがひそひそと話し出す。
「見ろよ、あの暗黒騎士」
「あいつだろ、登録したばかりのF級で大型狼を倒しちまったってやつ」
「顔は絶対見せないって噂だ。どんな男なんだろうな」
ふふふ、と内心ほくそ笑んでちらりと隣のブリジットを見る。
彼女は平然として命じた。
「ルシール、さっさと行くわよ」
そう。今の私はルシールという名前になっている。お金で身分証を買ったのだ。
そしてこの暗黒騎士用のフルアーマーも買った。カネならある。宝石を売ったお金で初期投資を潤沢にすると、全てが楽にすいすい進んだ。
ブリジットが補助魔法を使ってくれる戦闘中は、鎧も重くないしガチャガチャうるさくもない。動きも回避も早くしてくれる。
さくさくと魔物を狩っていき、既にC級ランクにまで上がっていた。こんなに早くランクアップするのは珍しいことだと聞いた。えへっ。
今日も、洞窟の中の中型蜘蛛のモンスター退治を請け負っていた。
「よし行こう」
言葉を発すると、自分の声ではない重々しい声が聞こえた。フルアーマーの兜部分にはボイスチェンジャーも付けたので男の声に変換されている。他にも、視覚がクリアになって魔法力が大きな生き物はアラートで示される探知機能など、便利な魔法がかけられている。
私たちは洞窟に向かった。
蜘蛛は中型といってもめちゃくちゃデカかった。大型犬よりデカい。それが八本足でカサカサ素早く動いて飛び掛かってくるもんだから、気持ち悪くてギャーっと叫びたくなる。
しかし今の私は暗黒騎士。サポートしてくれるブリジットを守る立場でもある。
「暗黒緊縛!」
私が魔法を唱えると、真っ黒な闇の魔力が蜘蛛たちを縛り付ける。蜘蛛が毒液を垂らしたり、粘着の糸を拭きつけようとしても全てブリジットの防御結界が防いでくれる。
蜘蛛たちが動けないうちに、早くとどめを刺さなければいけない。
しかし、蜘蛛を殺すのはグロいし嫌だなあ。
ついそんな気持ちになって腰が引けるのをブリジットが叱咤した。
「ルシール! 冒険者になるんでしょ!」
「う……、分かった。ブリジットは一応、離れていてくれ」
暗黒騎士になりきった気持ちで言って、まずは一匹だ。手前に居る蜘蛛を暗黒剣で刺し殺す。有害な魔物とは分かっていても、やはり自分の手で殺生するのは良い気はしない。
しかし冒険者になって強くならなければ、この先生きていけないかもしれない。
己を奮い立たせ、次々に蜘蛛にとどめを刺していく。
全ての蜘蛛を倒して、ふうやれやれと気が緩んだ時だった。
「未だだ! 危ない!」
「え……?」
突然、後ろから女の子が走り出てきた。
金髪ショートカットの、美少女剣士だ。
彼女に注意を払っているうちに、蜘蛛が背後から飛びかかってきていた。千切れた半身だけを私に向かって飛ばしたのだ。身体が半分に千切れても生きているなど、恐ろしい生命力だ。
このまま蜘蛛とぶつかったら、結界は破れて大ダメージを負うかも。
暗黒騎士は動きが遅い割には回避性能に優れているが、ここで避けたら後ろのブリジットに被害が及ぶかもしれない。
では大剣ガードだ。全ての衝撃を無くすことは出来ないが、ダメージの七割程度はガード出来る。私は大剣を構えガードした。
しかしそんなことを考えている一瞬のうちに、美少女はスラリと剣を抜いて私の脇を走り抜け、そして飛び掛かってくる蜘蛛に剣を振るった。
「暗黒炎剣!」
剣から黒い炎が出て、あっという間に蜘蛛を焼き尽くす。
どうやら、彼女は暗黒剣士のようだ。珍しい闇の魔法を使えるのが二人も揃って、ちょっと驚くが親近感はある。
私は頭を下げてお礼を述べた。
「ありがとう、助かりました」
「間に合って良かった。その、突然だが、私を貴女たちのパーティに入れてもらえないだろうか」
「えっ」
本当に突然だ。戸惑ってブリジットを見る。
彼女はすぐに質問してくれた。
「それは一体何故でございましょう? 貴女さまはとてもお強く、ソロでも十分やっていけますでしょう」
「その、一人は心細くなったんだ。しかし他のパーティでは、異性のトラブルもある」
確かに、こんなに可愛くてスタイルが良かったら男に言い寄られて困るだろう。
ブリジットもそこは認めるところらしい。
「それはそうですわね。けれど、貴女、どこかで見たことがあるような。いえ、誰かに似ているような……」
そう言われて彼女をまじまじと見つめる。
先ず目立つのは金の瞳だ。これは王族によく見られる特徴的な色だ。私の婚約者だったフェリクス王子も金の瞳だ。
しかし、王族は聖なる力、光魔法の使い手なので闇魔法が使える王族は居ない。
そして、豊かな金髪や整いすぎた美しい容貌も王族によく見られる。
私はブリジットにこっそり耳打ちする。
「うーん、どなたかの隠し子だったりするのかしら?」
「ひょっとして、失踪したお嬢さまに王族が放った追手とか? でも、それなら魔物から助けてはくれないでしょうしねえ」
「どうする?」
「敵意は感じないですけど、やめといた方がいいんじゃ」
こそこそ話し合っていると、彼女が声をあげた。
「あの! 私、役に立つと思います。何でもしますし、頑張りますから、パーティに入れてください。お願いします!」
なんだか必死な様子で、頭まで下げている。
ちょっと可哀想になって、私は尋ねた。
「どうしてそこまでするんだ?」
「その、私。婚約者に振られそうなんです……」
これには驚いて、私とブリジットが口々に質問する。
「えーっ! こんなに可愛いのに? どうして?」
「こんなに美しい方を振るなんて、どのようなお相手なのですか」
彼女は困ったように、目を伏せながら辛そうに言った。
「私が、浮気をしていると勘違いされたようで」
「浮気!」
「でもここまでお美しいなら、色んな殿方に言い寄られそうです」
私たちの感想に、彼女は必死に言い募る。
「でも違う! 浮気なんて絶対にしていないんだ!」
「う、うん……」
その剣幕にタジタジとなりながら頷くも、なおも彼女は言い募る。
「本当なんだ。事情があって、その、異性と触れ合わなければならなくて。でも、その事情は伝えることが出来なくて。説明も出来ないまま、振られそうなんだ。信じてほしい、私は浮気なんてしていない」
「えっと、それを婚約者さまに伝えるのは……」
「制約があって、なかなか伝えられなかった。そして今は、話をしたくても私とは会いたくないようで会ってもらえないんだ」
「ひょっとして、それで婚約破棄後に冒険者として生きていこうとされていらっしゃるのですか?」
それなら同じだ。そう尋ねると、彼女は一拍置いてから頷いた。
「……そうだ」
「まあ! それなら是非にご一緒しましょう」
「ありがとう! よろしく頼む」
そう言ってはにかんだような笑顔を浮かべる彼女は、眩い。こんなに可愛い女の子を振ろうとするなんて、どれだけ分からず屋の婚約者なのかしら。
私はそう思っていたが、ブリジットはあまり納得出来ないようで表情が硬い。
「それで? 貴女のお名前はなんておっしゃるのかしら」
「フェリー……ーチェです」
「フェリーチェね? 私はブリジットよ」
「私はルシール。よろしくな」
「はい! ありがとう、ルシール」
握手をして、こうして三人パーティが誕生した。
三人中、二人が暗黒魔法の使い手というのはバランスが悪いが、この地方の魔物を狩るのに不便はなかった。
三人での連携も上手くいく。というか、フェリーチェが一人居ればほとんどそれで事足りる。私とブリジットはサポートに回ったり、露払いの役目が多くなっていた。
冒険中は、特に問題はなかった。フェリーチェは優しくて良い子で、とても親切だった。それに教え方も上手で、魔物との戦い方を私たちにしっかり教えてくれた。それにはブリジットも素直に従っていた。
問題は、宿屋に帰ってからだった。たまにフェリーチェは姿を消すのだ。
いや、それは特に問題では無かったが、たまたま三人で一室に居る時、フェリーチェが挙動不審になったりする。
最初にフルアーマーを脱いだ時には、激しく動揺していた。
「ア……っ、ルシール、その、無防備すぎないか」
「あら、私が女だって気付いていなかったの?」
鎧を脱いで、同時にブーツや服をぽいぽい脱いでいく。
魔法の力で快適にしても、やっぱり汗はかく。宿の部屋にお風呂が付いている高級宿に泊まっているので、すぐに身体を洗ってしまおうと脱いだのだがフェリーチェは顔を真っ赤にして叫んだ。
「頼む、風呂場で脱いでくれ!」
「あ、うん。分かったわ」
他人の裸を見られるのも恥ずかしいタイプなのかもしれない。
そして彼女は絶対一人部屋を所望して、三人同室にはならない。
夜のうちに打ち合わせをしようと呼び出しても、なんだかそわそわして同じ部屋に居るのは嫌なようだった。
「フェリーチェ、明日の打ち合わせ、今やってしまいましょ」
「ア、ルシール! その、そんな恰好で……」
「え、ただの寝間着だけれど」
薄い白のキャミソールワンピースだが、彼女の中では袖がないとはしたない恰好なのだろうか。
首を傾げて彼女を見つめると、目を逸らしていた。
おかしいな、とは思っていたがそういう恥ずかしがり屋な女の子も居るかもしれない。
その様子を疑惑の目で見ているのがブリジットだ。
フェリーチェが自分の部屋に戻った後、ブリジットは怪しんで言う。
「絶対おかしいです。あの子は何が目的なんでしょう」
「婚約破棄されそうだから、冒険者になるんじゃないの?」
「そんなこと考える女子は、お嬢さま以外いません!」
「じゃあ何なの、フェリーチェは何を考えているの」
「それが分からないから言ってるんです!」
二人で考えても、結論は出ない。
私の中では、王族の誰かが浮気して出来た子で、しかし王族らしい光魔法が使えないから迫害されているのではないか、という予想だ。そうでなければ、あれほどフェリクスに似ている訳がない。名前まで似ているではないか。
私は首をひねって言った。
「嘘を言っている感じはしないのよね。婚約者のことで必死になっているのは本当っぽいじゃない」
「だったら、冒険者にならずに婚約者さまに誠心誠意、謝ったり仲を深めようと努力すればいいんですよ」
「そこはそれ、保険もかけときたいんでしょう。どっちにしても、そろそろパーティは解散よ」
「そうですね」
もうすぐ、卒業パーティの時期だ。
一旦、このパーティを解散して私は学園に戻らなければいけない。
最後の魔物討伐を引き受ける前日、私とブリジットはフェリーチェに告げた。
「明日の討伐で、このパーティは一旦解散するわ」
「……そうか」
フェリーチェは残念そうな表情なのに笑顔という、複雑な様相だった。
「また機会があったら、一緒に組んでね。今回は予定があるから仕方なく離れるだけだから」
「私も是非お願いしたい。君と冒険出来て、本当に楽しかったよ」
すかさずブリジットが憮然とした声をあげる。
「私のこと、無視しないでよ」
「ははは、してないよ、ブリジット。君たちと仲間になれて、嬉しかった。今までで一番幸せな時間を過ごせたよ」
「フェリーチェ……」
「フェリって呼んでほしいと何回もお願いしているのに」
しんみりした空気になったが、彼女のささやかなお願いに笑顔になる。
「あっ、そうね。フェリ、明日もよろしくね」
「ああ」
彼女と離れがたい気持ちでいっぱいだった。こんなに良い子とお友達になれて、とても嬉しい。
けれど、フェリーチェは出身地や家のこと、出生の秘密などは何も教えてくれない。優しくしてくれるのに、決して打ち解けてはくれなくて、それは寂しかった。
でも、私も詳細を打ち明けていないことは一緒だ。
偽名のルシールではなく、アデリーナという本名を口にしてしまったり、ブリジットがお嬢さまとうっかり呼んでしまったりもする。けれど、フェリーチェは聞かないふりで何も質問しなかった。それを良いことに、私たちも何も説明しなかった。
最後に、言った方が良いんだろうか。
迷いながら、口を開く。
「……ねえ、フェリ」
「なんだい?」
「本当は、私……」
そう言いかけると、彼女はシーっと唇の前に人差し指を立てた。
「言わなくて、いいんだ」
「え……?」
「君が真実を告げたら、私も告白しなければいけなくなる。いずれはするけど、今はこのままの関係がいいんだ」
「えっと。じゃあ、いつかまた会った時は、お互いに打ち明け話をするってことかしら」
そう言うと、フェリーチェは嬉しそうにニコッと笑った。
こんなに可愛い女の子に笑顔を向けられたら、同性でもデレデレしてしまう。
「うん、そうだよ」
「えへへ」
「約束」
そう言ってフェリーチェが小指を差し出す。
私は戸惑った。前世では普通に知っていた指きりだが、この世界にもそんな風習はあるのだろうか。
「えーっと」
「こうやって、小指同士を繋ぐんだよ。昔、異世界からやってきた聖女が教えてくれた約束の方法なんだ」
「なるほど~……」
ひょっとしなくても、聖女って異世界転移か転生してきた先輩だな。
私はいかにも初めてやりますという顔をしてフェリーチェに小指を差し出した。
「絶対に再会して、その時はもっと仲良くしよう」
やけに真剣に言う彼女に、勿論と微笑んだ。
「ええ、約束ね」
いつもの通り、フェリーチェだけ別の部屋で休む為に出て行く。
ふと見ると、ブリジットがふくれっ面になっていた。
「フェリーチェはいつも、私のこと無視して。お嬢さまとだけ仲良くすればいいと思って眼中にないんだから」
「まあまあ、ブリジットには私が居るじゃないの。私たちはずっと一緒よ」
「お嬢さまも、フェリーチェにはデレデレしちゃって」
「だって可愛いんだもの。あっ、ブリジットも勿論綺麗よ」
「取って付けたように言わないでくださいっ」
「もー、甘い物あげるから機嫌なおして」
そんな他愛ない話をして、今がずっと続けば良いと思った。
明日の討伐が終わったら、学園に戻って卒業式だ。
その後、パーティで断罪されるのかと思うとドキドキする。
上手く回避出来ますように。
翌日、いつもの通り魔物討伐に向かった。
今回は街道の旅人を襲う、馬のような魔物だ。
馬の魔物は大人しく敵対意識が無い時もあれば、激しく敵意を見せて襲い掛かってくる時もあるという。
「情緒不安定な魔物なのかしら」
私が言うと、フェリーチェは苦笑いをした。
「それよりは、襲い掛かる判定条件があるんじゃないかな」
「気に入る、気に入らないがはっきりしている魔物ってこと?」
「魔物に見た目で判断されるなんて、嫌だわ」
私とブリジットは、どんな風に判断されるのかとワイワイ話す。突然、フェリーチェの雰囲気が変わった。
「来たぞ!」
「あっ、あそこにいる!」
街道から外れた森の奥から、こちらを伺っている馬型の魔物がいる。馬より大きく、大きな一本角が額から生えているので魔物だと分かる。
こちらを見ている視線が肌に感じられて、なんとなく不愉快だった。
そしてその視線がフェリーチェに移った時、魔物は襲い掛かってきた。
明らかにフェリーチェにだけ敵意がある。一体何故とは思うが、そんなことを考えている場合ではない。
いつものように、ブリジットが補助魔法を使ってくれて、私は魔物を拘束する魔法を繰り出す。
「暗黒緊縛!」
一瞬、魔物は拘束されたが一鳴きすると魔術が解かれてしまった。
「闇魔法が効かない!」
「精霊級の魔物なんだ! 気をつけろ!」
フェリーチェがそう叫んで剣で斬りかかっていく。
精霊級の魔物なんて、S級クラスの冒険者じゃないと対応出来ないのに。しかし、このまま手をこまねいて見ているわけにはいかない。このフルアーマーで少しは盾役にならねば。
「フェリ! 手伝うわ!」
「駄目だ、来るな!」
一瞬、フェリーチェの視線がこちらに移る。その隙をついて、魔物が猛スピードで走ってきて、そして彼女の肩を角で貫いた。
「フェリ!」
「くぅっ……、仕方ない、ここで、さよならだ」
「えっ……」
「こんな終わり方ですまない。また今度……、アデリーナ」
次の瞬間、フェリーチェは魔物ごと転移をした。
「フェリっ! フェリ!」
叫んでも、この場には私とブリジットしか残されていない。
「あの、お嬢さま。盛り上がっているところ申し訳ないんですが」
「フェリが、どうしよう、一人で魔物を……、私たちを庇って……」
私が動揺のあまり、震えて泣きそうになっているとブリジットは大きな声を出した。
「お嬢さま、しっかりしてください! 最後のフェリーチェ、見ました?」
「最後の?」
「そうです! 転移する直前、背が高くなってまるで殿方みたいになってましたよ!」
「えっ。そうだったかしら」
「そうです! それにあの魔物は昔、一本角の精霊なら聞いたことがあります。きっと偽りを嫌うんですよ」
ブリジットの言葉は聞こえているが、私には理解出来なかった。
「そんな。フェリは私たちを欺いていたの? 一体何を……」
「お嬢さま、私にもはっきりしたことは分かりません。でも、おそらく……」
「おそらく?」
「……学園に戻りましょう。とにかく卒業パーティに、美しい姿で参加して頂きます!」
「えっ……」
どうしたんだろう、急に。
私は魔物と一人で戦っているであろうフェリーチェが気になって仕方がないのに、ブリジットは学園に戻る私の姿を気にし始めた。
その日で冒険者稼業は一旦終了し、終わった直後からブリジットは美容の鬼となったのだった。
***
ブリジットに歩き方などの礼儀作法を厳しく躾け直され、容姿を磨き上げられた私は、学園に戻った。休学届を出した時には、卒業に必要な単位は取得済だったので何も問題は無かった。
私を見かけた生徒たちがひそひそ陰口を叩いていたが、それも今日で終わりだ。
せいせいした気持ちで卒業式に参加し、そしてつつがなく終わった。
後は卒業パーティだ。これがハラハラドキドキだ。
おそらく、多数の敵に囲まれても脱出することは出来るだろうが、魔法を封じられたら最悪だ。
一応、会場近くにブリジットに待機してもらった。最悪の事態が起こった場合には、騒ぎを起こしてもらってその隙をついて逃げるつもりだ。生徒という烏合の衆が多いので、訓練された騎士たちに囲まれない限り大丈夫なはずだ。多分。
会場に入ってしばらく経つと、百回は見たことがある光景が目に飛び込んできた。
つまり、壇上で立つフェリクス王子と、その隣でぶりっ子ポーズをとってワクワクとした感じでこちらを見つめているピンク髪ヒロインだ。
ヒロインの周囲には、攻略対象であろうイケメンたち数人も控えている。
知ってる景色だ。
フェリクスは礼装用の服で、白い燕尾服に赤のマントという、着る人を選ぶ恰好だ。勿論、めちゃくちゃ似合っている。今日も顔がとても良い。眩しいばかりだ。
その眩しさが、断頭台の刃の光となりませんように。せめて温和な断罪であれ。祈る気持ちで見上げるとフェリクスが肩に羽織った赤いマントをバサッ! と片手ではためかせよく通る声を出した。
「アデリーナ・ヴェルヴァルト! 君に伝えることがある」
「はい、殿下。なんなりと」
来たー!
ドキドキを隠しながら、私は膝を折って礼をした。叩き込まれた淑女の礼だ。
たくさんの人が会場に居るのに、誰も喋らない。皆が固唾をのんで、フェリクスの言葉を待っている。
彼は檀上からコツ、コツと降りてきて言った。
「長年の名ばかりの婚約関係を、見直す時が来た」
「はい」
婚約を見直すなら、破棄よりは良いのだろうか。だったら、牢獄とか断頭台のパターンではなく、何処へなりとも行けパターンか?
次の言葉を待つ。
「この時が来るまで、実に長かった。ようやくだ」
「はい、殿下」
よし、来い! 何の罪と言いがかりが来るのか。どれでも受け止めてやる!
そう意気込んだ次の瞬間、彼は私の前に跪いて手を取った。
そして言ったのだ。
「結婚してください」
「………………は?」
それ、私に言ってる?
誰と、誰が?
ポカンとする私に、彼は続けた。
「私の妻となって、ずっと隣に居てほしい。これからの人生を、共に歩んで欲しい」
「えっ、えっ……? どなたかと、お間違いじゃないですか」
何故か急激に汗が噴き出してきた。動揺の汗をだらだらかきながら、彼を見下ろす。跪かないでほしい。
しかし、彼はじっとこちらを見つめて言った。
「君に言ってるんだよ、アデリーナ」
「えっ、いや、でも……」
もごもご言っているとようやく、彼は立ち上がってくれた。
そして、更に驚くべきことを告げたのだ。
「約束、しただろう」
「やく、そく……」
気付けば、私の小指は彼の小指に絡めとられていた。
嘘でしょ⁉ じゃあ、あれは。あのフェリは。フェリクスだったってこと?
でも、絶対女の子だった! 声も可愛かったし胸も大きかった!
私が呆然としていると、彼はニコッと微笑んで小声で囁いた。
「はいって言わないと、他人の身分証で活動した公文書偽造の罪で……」
「はい! 勿論ですわ! ありがたき幸せですわ‼」
やけくそで叫んで周囲の皆が拍手をし、おめでとうと祝ってくれる。
ピンク髪ヒロインと決めつけていたミュリエル嬢は、感動の為かおめめがウルウルしていた。
あぁ~、これは、ヒロインも良い子で仲良くなれるパターンだったか。
それならそうと、言っておいてほしかった……。
その後はフェリクスとダンスをし、また皆に祝福され、ようやく二人で話すことが出来たのはパーティが終わってからだった。
どうしても話を聞きたいと言うと、彼は王宮の一室に連れて行ってくれた。豪奢な応接室に二人きりだ。ブリジットにも同席してもらいたかったが、彼女の身分では王宮の奥までは入れないということで別室に控えている。
フェリクスは私にソファを進めてから、にこやかに口を開いた。
「ここだと、誰も話を聞けない。私たち、二人だけの内緒話だ」
私は疲れのあまり、死んだような顔になって口を開いた。
「殿下、一体どういうことなんですか。貴方はミュリエル嬢と両想いになられたのではないのでしょうか」
「あれは違うんだ」
「はあ」
「実は、私には呪いがかかっていたんだ」
突然の呪いカミングアウトに、私は疲れもあって気のない返事しか出来なかった。
「はぁ……」
「それは、感情を抑制される呪いだった。私は、心の中で思っていることを誰にも伝える術が無かったのだ」
「それって……!」
もしや、と思って反応する。
「子供の頃から、嬉しかったり好ましいと思っても、言葉にも態度にも出来なかった。アデリーナが色々話しかけてくれた時も、私の婚約者として努力をしているのを見た時も、私はどのようにも反応出来なかった」
「それで、だったのですね」
私は子供の頃から、フェリクスに無視され冷たい態度を取られ続けていた。
彼はそういう人なのだと、諦めていた。
「そうだ。君が私とは距離を置いて、離れていってしまった時もだ。悲しくて、寂しかった。辛かったが、それも言動に示すことは叶わなかった」
「すみません、まさか殿下がそのような呪いにかかっていたとは分からず……」
「いいや、そんなこと知らなくて当然だ。婚約を解消されないかずっと怖かった。しかし、ミュリエルが現れて私の呪いを打ち破ってくれたのだ」
「彼女には、呪いが分かったのですか」
ソファに向かい合わせに座っていた筈だが、彼は自然に移動して私の隣に来た。
そして、肩を抱き寄せ、顔を覗きながら話を続ける。
距離が近いな、とは思ったが話の先が気になるので黙って見つめ返す。
「そうだ。彼女は聖女の末裔なのだ。呪いも分かったし、その解呪も出来た。ただ、それには手を握り合って微笑みあわないといけないという制約があったが」
「あぁー!」
なんということだ。その現場を見てしまったのか。
というか、目立つ場所でそんなことしないでほしい。それこそ、こういう部屋でしてくれたらいいのに。
そう考えたのを分かったかのように、彼はぴしゃりと言う。
「アデリーナ以外の女性と二人きりにはなりたくなかった」
「それは、その、ありがとうございます……」
「それでも、解呪の最中、私は自分が笑えるということを初めて知ってとても嬉しかった。それでつい、笑ってしまったのだ。決して、彼女に微笑んだわけではない」
「分かりました」
「彼女と居て嬉しいとか、そういうのではないから!」
「分かりましたって」
この、たまにくどくど言う感じはフェリーチェそのままだ。懐かしく感じる。
彼は嬉しそうに私の髪を撫でてから続けた。
「私は、呪いが解けた後真っ先に君に会いに行こうとした。だが、既に休学届を出して学園から出て行った後だった」
「あっ、そうでしたね……」
逃げる前に、先に話を聞けば良かったのか。それには思い至らなかった。
「ならばと領地にまで追いかけていけば、既に学園に戻ったと言われた。だが、学園には君の姿はない。私は大規模捜索隊を編成してその隊長になって、直々に指揮をとろうとした」
「ちょっ! すいません、本当にすいません」
冷や汗が出てきて、ひたすら謝罪する。
彼は私を抱きしめ、髪に軽く口付けてから言った。
「しかし、ミュリエル嬢に止められた。きっと、婚約を破棄した後の身の振り方を考えて動いているであろうと。それには、市井で商会などを作って商売をするか、魔法を使って冒険者になるか、そんな所ではないかと彼女は推理をしたのだ」
「………………」
当たってる! すごい、読まれてる!
これは、あれだな。ミュリエルも転生者パターンだな。
黙り込む私に、彼は頭を撫でながら続けた。
「彼女は、アデリーナが回復魔法やポーション造りが得意なら、そちらの方面で金銭を得ようとしただろうとも言っていた。だが、君は闇魔法が得意で商売には向いていなさそうだ。だから冒険者のうち初心者が行きそうな街を探索したのだ」
「はい……」
その通りです。お手数おかけして申し訳ない。
そして、めちゃくちゃ読まれていることが恥ずかしいやら恐ろしいやらで震える。
そんな私を、フェリクスは抱きしめてベタベタして離さない。
めっちゃ距離近いな!
しかし、呪いが解かれて嬉しいのかもしれない。それを止めるのも気の毒だ。
私はされるがままで話を聞いた。
彼は続ける。
「すぐに追いかけて、連れ戻そうとしたがそれも彼女に止められた。アデリーナに近付いて、気持ちを確かめろと言われたのだ」
「その、どうして女性の姿になられたのでしょう」
そう尋ねると、彼は少し苦い声になった。
「あれも、聖女の魔法だ。私の面影を残しつつ、性別を反転させたのだ。魔法についても反転されたので、光魔法が使えず闇魔法が得意になってしまった」
「あぁ~! それで。分かりました、納得です」
私がこの一連の出来事を理解し、頷くと彼は身体を離し顔を覗き込む。
私の表情に怒りなどの負のものが無いことを確かめると、彼はふふっと笑って懐かしむ表情になった。
「冒険者となってアデリーナと共に過ごしている時は、今までで一番楽しく幸福だった。でも、自分の気持ちも性別も明かせなくて、辛い時もあった」
「すぐにおっしゃってくれたらよろしかったのに」
「私の正体を知ると、アデリーナはもう笑ってくれなくなるかもしれない。こんなに気安く話してくれなくなるだろう。そう思うと、本当のことを言い出せなかった。私は、臆病者なんだ」
それで、私が招待を告げようとした時に今はまだ本当のことを知らせるなと言っていたのか。
これもまたすんなり納得出来た。
私は明るく言う。
「でも、フェリ。本当に私でいいの? 私は呪いに気付きもしなかった。呪いに気付いたのもそれを解いてくれたのも、聖女の末裔ミュリエル嬢でしょう。普通はそっちを選ぶんじゃない?」
彼はじーっと私の瞳を見つめて告白してくれた。
「昔から、ずっと君が好きだった。私の初恋はアデリーナだし、婚約者になってもらったのも私が希望したからだよ」
「フェリ……、私も。初恋はフェリよ。一時期は諦めてしまったけれど、本当は辛かった。私も、好き……」
我ながら、調子の良いことを言っている。
けれど、彼は信じてくれた。
そしてぎゅうっと抱きしめ、更に愛を囁いてくれたのだった。
というわけで、私は断罪回避チャレンジには成功したけれど、婚約解消は失敗したのだった。
おしまい