フィーロのわがまま
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黎一の言葉で、リビングの空気が一瞬にしてひりついた。
「盗み聞き⁉」
「気配なんて全然……」
蒼乃が短杖を持って立ち上がる。マリーを庇うように、ロベルタが前に立つ。
しかし闖入者は、一向に姿を現さない。
(やれやれ……)
見え透いたその動きに、ため息をつく。
魔律慧眼の視界には、ドアの近くに青い揺らぎが見えていた。それはさもバツが悪そうに、そうっと扉の方へと動いていく。
黎一は右手の指二本に、水の魔力を纏った。
「蛇水咬」
剣に見立てた指をすっと振るう。纏った水が小さな蛇と化し、揺らぎに向かって襲いかかった。
瞬間――。
「……ひゃうっ⁉」
愛らしい声と水風船が割れたような音が重なり、揺らぎが消える。
あとには、見慣れた長い黒髪の少女の姿が残った。
「フィロ⁉」
「いつの間に……」
「全然、気づきませんでしたわ」
部屋にいる面々がざわつく中、フィーロは目を伏せて難しげな顔をする。その様に、反省の色は微塵もない。
「んんぅ、竜護・霧纏透景をみやぶるとは……」
もごもごと言った後、黎一に向けてくわっと目を見開いた。
「……おのれ、れーいちっ! やりおるわっ!」
「やかましい」
「ふんぎゃうっ⁉」
黎一は指から小さな白雲の弧を放ち、フィーロの顔面に直撃させた。
発動体がないとはいえ、大人の男を転ばせるくらいの威力はある。しかしフィーロはまともに受けたにもかかわらず、大きく仰け反っただけだ。相変わらずのフィジカルお化けである。
「なんで寝てないんだ?」
黎一はフィーロに歩み寄ると、小さな頭をわしっと掴んだ。
「んんんぅ~。フィロもおはなし、ききたいもんっ!」
「寝ろって言っただろ」
「またおしごとでしょ。マリーたちといっしょ?」
「……まあな」
そこまで言った時、なぜかフィーロの顔がぱあっと輝く。
「フィロもいくっ!」
「なんでそうなる。ダメに決まってるだろ」
「んんぅ、なんでっ! みずうみのときは、マリーもいっしょにいたじゃん!」
以前のアンドラス湖の事件では、状況が変化したことにより通信手のマリーも現場に同行していた。
どうやらフィーロは、マリーが一緒にいれば仕事についていけると勘違いしているらしい。
「それとこれとは違うの。とにかく危ないからダメだ」
「へーきだもんっ! アイナやロベルタと剣のおけいこしたもんっ! 魔法もおぼえたもんっ!」
食い下がるフィーロの頭には、六色の宝石をちりばめたヘアバンドがあった。とある竜人からもらったもので、魔力を制御しやすくなる効果があるらしい。
おそらく寝るふりをしてヘアバンドを取りに行った後、魔法で姿を消して盗み聞きしていたのだろう。
(たしかに、さっきの透過魔法は見事だった。俺も魔律慧眼でなきゃ気づけなかったわ。制御はまだまだだけど)
純然魔力――。
それがアンドラス湖の事件で判明した、フィーロの力の名だった。すべての魔力の始原らしく、魔力を打ち消すも属性を変えるも自由自在である。
ヘアバンドの性能測定も兼ねて魔法の練習をさせてみたのだが、予想以上に成長が早い。
「ダメだ。いい子にお留守番してろ」
「フィロ。今回行くところはね、すっごく怖いとこだよ。オバケとかい~っぱい出てくるよ?」
「んぅ、んんんぅ~……!」
蒼乃にまで言われ、フィーロは頬を膨らませてそっぽを向いた。お決まりのパターンだ。
(よっし。なにかをエサにして、宥めてトドメだ……!)
いつもの対処法を、脳裏に描いた矢先。
フィーロが、キッとした表情で振り向いた。かと思うと、大きく息を吸い込む仕草から――。
「フィロもいくフィロもいくフィロもいくフィロもいくフィロもいく~~!!」
ひと息に大声でわめきたてる。魔法の効果なのか、耳元で拡声器を使われているかのような声量だ。
「だああっ! うるさいっ!」
「ちょっ、フィロッ! ご近所迷惑だからやめなさいっ!」
「フィロもいくフィロもいく……ひっぐ、えっぐ……フィロもいぐ、ぅ~……」
やがてフィーロは、大粒の涙を流しながら泣き出した。
頭を撫でてやっていると、マリーとロベルタがおずおずと寄ってくる。
「わたしたちは構いませんよ? っていうか聞かれちゃった以上、お城に預けるわけにもいかないですし」
「強さだけなら、今のフィーロさんはそこらの冒険者よりよっぽど優秀ですわ。鍛えたわたくしが保証します。実戦慣れさせてあげるのも、悪くないのではなくて?」
(軽く言ってくれるぜ。国家機密だぞ、この子……)
今日一番のため息を更新しつつ、フィーロの頭をぽんと叩く。
「仕方ねえな。依頼主サマに感謝しろよ」
黎一のげんなりした声とは対照的に、フィーロは天使のような笑顔を浮かべた。
* * * *
翌日――。
黎一たちは、朝の陽射しに照らされる草原にいた。夜明け頃から動き出し、王国南端のノトス城から小一時間ほど走ったところだ。
(よし、ここまでは首尾よくこれたか。王宮でフィロが見つからねーかヒヤヒヤもんだったが、案外なんとかなるもんだ)
黎一は、小休止中に防具の調子を確かめながら独り言ちた。
ちなみにノトス城までは、マリーとロベルタの手引きにより王宮の魔力転送でひとっ飛びである。フィーロは蒼乃におぶらせ例の透過魔法を使わせた上から、外套で隠して事なきを得た。
「ふぅ~。この調子なら、お昼前には着けそうですねぇ」
小さな岩に腰かけたマリーが、額の汗をぬぐいながら言う。
縁に紋様が刺繍されている厚手のガウンに桃色の長衣、革でできた揃いの篭手具足。右手には大きな錫杖という、いつもの戦闘スタイルだ。
「魔物がいなければ、もう少し順調なのですけどね」
応じたのは、小振りな戦鎚の具合を確かめていたロベルタだった。鎚の先端は、血と死肉で汚れている。
装備はアンドラス湖で見せた金属鎧ではなく、冒険者に準じた装備だった。ワイドパンツ型の闘衣の上から、要所を魔物の鱗で補強した革鎧と篭手具足のセットアップで固めている。
「ここまで酷くなってるなんて……」
黎一と揃いの冒険装備に身を固めた蒼乃の言葉が、秋の風に流れる。
その視線の先を追ってみれば――。草原のそこかしこが、薄鈍色に変化し枯れ果てていた。
(突然の死を齎す迷窟……。南部じゃ平野部にまで出てるってのか)
討伐が追いつかないのか、ノトス城から少し離れたあたりは屍者たちの領域と化していた。先ほど通ってきた岩陰など、泡立つ毒沼になっている始末である。ところどころに生えて出る『黒棘』もろとも討滅しながら、ここまで走ってきての今だった。
「元凶の近くともなれば、納得はできますけれど……。そも人の身で迷宮を創ることなど、できるのかしら。湖の竜人たちも、迷宮は焉古時代に滅びた者たちの記憶が為す業だと言っていたのではなくて?」
ロベルタが、岩に立てかけてあった金属製の凧型盾を取り上げる。
取り回しのよさそうな造りだが、以前に見たカストゥーリアの家紋は入っていない。今回はあくまで個人として動くという意思の表れなのだろう。
「その竜人さんに、聞いてみればいいんじゃない?」
ちらと見てくる蒼乃が、傍らにいるフィーロの頭を撫でる。
「なるほど、たしかに。……フィロ、頼む」
愛剣の柄を、逆手に持って突き出した。
フィーロも竜人族の姫ではあるらしい。だが蒼乃の言葉が示すのは、別の者だ。
「んぅ、まかせるがいい!」
六石のヘアバンドをつけたフィーロが、嬉しそうにとててと走ってくる。
身に纏う卸したての革ベストとハーフパンツには、裏地や縁に魔力を制御しやすくする紋様を仕込んである。フィーロのために作らせた特注品だ。
「……ずびっとな」
フィーロが柄の端を握って、つぶやいた途端――。
『んんっ、ほおぉおおぅ⁉』
低い男の嬌声が、草原に響き渡った。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました!
お気に召しましたら、続きもぜひ。




