酒場にて
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黎一たちが王都ヴァイスラントの下町に到着したのは、太陽がやや西に傾いた頃だった。
結局、蒼乃と合流してから、さらに一ヶ所の”突然の死を齎す迷窟”を潰し――。到着した増援に後を託して、乗合馬車を乗り継いでの今である。
「ああ~っ、疲れた。こんな時くらい、帰りも魔力転送を使わせてくれたっていいのにさぁ……」
馬車から降りるやいなや、蒼乃がくたびれた声でぼやいた。
異世界における魔法の中でも、魔力転送は垂涎ものの技術だ。しかし設備と多量の魔力が必要なのが難点で、使用は原則として緊急出動に限られる。
実際、馬車の乗客も、討伐帰りであろう冒険者たちが多数を占めていた。
(ま、気持ちは分かる)
蒼乃の言葉に、心の中だけで同意する。
起き抜けに招集がかかって王都から南の城塞へと飛び、そこから屍人たちを討伐しつつ補助魔法を使って北へと駆けた。
食事は携帯食、体力はわずかな休憩と活力回復の魔法で補う。勇者の身体能力を以てしても、かなり堪えるものがあった。
(これが一ヶ月も続いてんだ。愚痴のひとつも言いたくなるってもんよ)
もっとも同意すると調子に乗ってひたすら話すので、敢えて声をかけることはしない。無言を貫いていると、蒼乃が腹をさすりながら視線を向けてきた。
「お腹空いたぁ~……。ご飯どうする? 家で食べる?」
「外で食おう。作るの面倒だし、また出動かかったらだるい」
「じゃあ揺籃の地にしよっか。ちょうど近いし」
(それにしても、蒼乃と外食とは、な……。前は考えもしなかった)
蒼乃とやや距離を取りつつ、行きつけの食堂を指して歩き出す。
王都の上流地区にある屋敷に戻り、食事することもできなくはない。だが城に預けてある家人を回収して屋敷まで戻っても、また出動がかかれば二度手間になる。夜番の部隊が配備されるまでは、いつ呼び出されてもいいようにしておきたかった。
「ほんと、いつ終わるんだろうね。ここんとこ、ほとんど休みなしじゃん。これで子供の面倒も見ろとかさぁ……」
(潰しても潰しても出てくる迷宮、か)
蒼乃の愚痴を聞き流しつつ、黎一はこれまでの経緯に想いを馳せる。
――事の始まりは、一ヶ月ほど前だった。
王国南部のとある農村の納屋が、突如として迷宮と化したのだ。中核である迷宮核はない。『黒棘』の枯木が、無限に不死者を増やすのである。
(とっとと終わればよかったんだがな……)
魔物こそ強力だが、枯木を倒せば事象が収まるとして、当初は楽観視されていた。しかしそんな期待を裏切るように、事象はじわじわと広がった。いつの間にか、王都にほど近い場所でもしばしば現れるようになっている。
(魔物の強さもかなりのもんだが……。原因が分からず続いてる、ってのが余計にマズイ。しかもギルドは、人が減った後ときたもんだ)
二ヶ月前に起きたアンドラス湖の事件において、冒険者ギルドは黄金級や白銀級といった主力級の冒険者たちを幾人も失っていた。
そこに来て、この騒ぎだ。運搬や収穫の補助を担う冒険者たちすら討伐に駆り出され、王国の社会インフラは少なからず影響を受けている。事象が王国南部に集中しているのが、せめてもの救いだろう。
(さてさて、お偉方はどう考えているのかねえ……っと)
考えているうちに、見慣れた看板が目に入った。巨木の森に設えらえた、切り株の食卓。行きつけの酒場兼宿屋である、”揺籃の地”の看板だ。
冒険者向けの斡旋宿として世話になって以来、外食の際にはちょくちょく利用している。
「着いたぁ~。ごはんっ、ごはんっ~」
笑顔の蒼乃を先頭にして店に入ると、女将のグレタが黎一たちに気づいた。
「いらっしゃい! ……ああ、あんたたちかい」
年は三十そこそこのはずだが、肌艶が良くなったおかげでギリギリ二十代でも通りそうに思える。身につけたエプロンとワンピースは真新しく、異世界に来てすぐに出会った頃とはえらい違いだ。
「ごめんねぇ。今、ちょうど満席でさぁ」
グレタは申し訳なさそうに言って、酒場に目を向ける。昼食時でもないのに、席は冒険者と思しき者たちでいっぱいになっていた。
蒼乃の笑顔が、見る見るうちにしおれていく。
「ええっ……。なんでこんな時間に混んでるの……?」
「例の討伐のおかげで、メシ食いそびれた人らが多かったみたいでねぇ。悪いけど……」
「おお~い、ヤナギじゃねえかぁ!」
グレタの言葉を遮って、よく通る声が酒場に響いた。
声のほうを見ると、短く刈り込んだ茶髪の大男が黎一たちに向けて手を振っている。先ほど洞窟で会ったばかりの顔だ。
「あ、ダビッドさん。お疲れっす」
「席ねえなら、ここ座れよ。アオノちゃんも! 女将、材料までないってこたぁねえだろ?」
「ええ。相席でよければ、どうぞ」
蒼乃と頷きあうと、ダビッドがいるテーブル席へと腰かける。丸い木のテーブルには、すでに食べかけの料理が数品並んでいた。だいぶ前からここにいるらしい。
「ダビッドさ~ん、相席失礼しますっ!」
「いいってことよ。さっき助けてもらった礼だ。なんでも好きなもん食いな」
「えっ、いいんですかぁ? やったぁ、ありがとうございま~っす!」
(実際、助けたのは俺だけどな……?)
グレタに料理を注文しながら、心の中だけでツッコむ。
最近になって気づいたが、蒼乃は顔見知りくらいの相手にはやたら外面がいい。ダビッドのような中年冒険者などイチコロである。しかもこうして確信犯的に使うのだからタチが悪い。
「戻り、早かったんすね。ケガした人、大丈夫でした?」
話題を変えるべく水を向けると、ダビッドは大きくため息をついた。
「ああ、おかげさまでな。つっても他のヤツら、みんなへばっちまってよ。オレも装備にガタがきてたから、さっさと引き上げてきたってわけさ」
「……やっぱり、しんどいっすよねぇ」
「オレの編隊はよかったが、他はかなりやられたらしい。マーティンの編隊は二人。ギリアムの編隊なんて、生き残ったのはギリアムだけだとさ」
ダビッドはそう言うと、手にしていた木のジョッキを呷った。苦々しいものを、酒で押し流そうとしているようにも見える。
ふと周りを見れば、どの客も苦虫を嚙み潰したような顔をしていた。
「国は一体、なにやってんだ……」
酒場の片隅にいた冒険者たちから、ぽつりと声が上がった。それを皮切りに、小さなささやきがそこかしこに溢れ出す。
「最近じゃ王都の近くにまで……」
「そもそも原因とか分かってんのか? 俺らに任せっきりじゃねえだろうな」
「いっそ軍でも出してくれりゃいいんだよ……」
「ほんと、こういう時のためにいるんじゃねえの?」
一滴の雫がもたらす波紋のごとく。
よどんだ感情が、酒場全体に広がっていくのが分かった。
その時――。
「……止めねえか、お前ら」
ダビッドが、呑み終えた木のコップをテーブルに叩きつけた。
唐突な音とよく通る声によって、酒場が静まり返る。
「こうして国選勇者隊だって出てきてるじゃねえか。あまり人聞きの悪いことを言うもんじゃねえ」
見回しながら言うダビッドに、冒険者たちの何人かが視線を向けた。中には、あからさまに黎一たちを睨んでいる者もある。
「そりゃ、現場に立ってくれてるヤツを悪く言うつもりはねえけどよ……」
「報酬も割に合わねえし、さすがにもうウンザリだぜ」
聞こえる言葉は、誰に向けてのものでもないのは明白だった。皆、ただ現状への不満を吹きこぼしているだけだ。
「……さっきから聞いてりゃ、大の男どもがぴーぴーうるさいねえ」
被せるように言ったのは、黎一たちの料理を運んできたグレタだった。慣れた手つきで料理をテーブルに置くと、声が聞こえてきたあたりのテーブルをじろりと睨む。
「この店はね、そのお国のおかげで成り立ってんだ。文句言うなら他所に行っておくれ」
宿の女将とは思えぬ語気と眼光に、くだを巻いていた冒険者たちが静まり返った。
(うおぉ~、おっかねぇ……。”女狼”の二つ名は伊達じゃねえな)
最近になって知った話だが――。
グレタは、十年前の戦争では名うての傭兵だったらしい。戦後、炊き出しを手伝った際に今の亭主と知り合い、なけなしの戦後報酬を元手にこの店を始めたのだそうだ。
「戦争の頃はもっと酷かったんだ。金が出てまともな飯が食えるだけ、ありがたく思いなっ!」
しかも戦争の末期、グレタは王国のさる貴人と戦場で轡を並べていた。ひょんなことからその貴人と再会して以来、斡旋宿としての等級が上がり、国からの補助金も増えたのだった。
(ありがとう、女将さん……)
言い捨てて去っていくグレタの背中を見つめながら、心の中で礼を言った。
だが酒場の客たちには、未だ吐き出しきれない感情がくすぶっているように見える。
頼み慣れているはずの料理が、その日はやけに不味く感じられた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました!
お気に召しましたら、続きもぜひ。




