冥を裂く炎
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八薙黎一は愛剣を手に、森の中を疾走していた。
秋の朝の空気が、頬を撫でる。自分と後に続く二人が落ち葉を踏む音が、規則正しく聞こえてくる。
「私たちは左に行く! 先に行ってっ! ここからまっすぐ!」
後ろから、相方である少女の声が聞こえた。背後にあった二つの足音が、左後ろへと流れていく。
身を包んでいた風が、ふたたび強まるのが分かった。少女が風の補助魔法をかけ直したのだろう。
(間に合えよ……ッ!)
今の装備は白のチュニックとトラウザ、防具は裏地に軽金属を仕込んだ革鎧に革の手袋とショートブーツ。手にするのは”お焦げちゃん”こと、歯車を仕込んだような鍔を持つ直刃の片手半剣だ。
冒険者としては軽装の類だが、一般的な十代の少年にしてみれば結構な重量である。だが異世界人たる勇者の特権である身体能力と能力、そして風の補助魔法のおかげで、負荷はほとんど感じない。
(見えたっ!)
視線の先に現れたのは、小さな丘の中腹にある洞窟だった。装飾が為された石材で入口が補強されているあたり、前時代の遺物だろう。
能力を魔力の色が見える魔律慧眼に切り替えると、禍々しい濃い藍色の靄がかかっている。
「炎よ……!」
走りながら、剣に魔法の炎を灯した。
勇者にひとつだけ与えられる能力を複数使えるのは、黎一の能力である万霊祠堂の特権だ。だが今は敢えて、転移当初にハズレと言われた魔律慧眼のままにしておく。
入口まで、目測数メートルの距離に迫った時――。
「あ、ああ……ああああっ!」
悲痛な叫び声とともに、入口からいくつかの人影が現れた。バラバラの得物に防具といった出で立ちの冒険者たちだ。
「援軍かッ⁉」
「よ、よかった。助かったあ……」
「夜空に三日月の勇者紋、剣に魔法……! あんた、国選勇者隊のヤナギか?」
あごひげを蓄えた冒険者が、黎一の右手の甲に刻まれた勇者紋を見て問うてくる。
有名どころの勇者は、証である勇者紋の形が知れ渡っていた。なるべく目立ちたくない身としては、なかなか難儀な話である。
「はい、遅くなりました。中は?」
「まだ大量にいやがる。ダビッドさんたちが、殿で踏ん張ってくれたから逃げられたんだ……。早く行ってやってくれ!」
「……ッ! 分かりました!」
わずかに顔をしかめた後、すぐさま入口へと駆け込む。
洞窟の中に入ると、すぐに人の手が入った場所と分かった。剥き出しの岩肌には数本の松明が灯され、視界に不便はない。乱雑に敷かれた石畳は、まっすぐ奥へと伸びている。
その時――。
「リ……ク! 後ろだ……ッ!」
「ギャア……ッ!!」
――奥から、叫び声と断末魔が聞こえた。
「……チイッ!」
視界に広がる藍色の靄を振り切るような気持ちで、奥へと走る。
ものの数瞬で廊下を走り抜けると、視界が開けた。
広さにして、学校の教室ふたつ分はあるだろうか。礼拝堂と思しき設えの部屋の真ん中では、うずくまった男三人を庇うように、ひとりの大男が仁王立ちになっている。
「ダビッドさんっ!」
張り上げた大声に、大男の周りに群れる存在たちの顔が黎一のほうを向く。
いずれも灰色に染まった肌と、光を失った眼窩を持つ屍人だった。武具を纏っていたり、襤褸を身に着けていたりと、装いは様々だ。
「その声ッ! ヤナギかあッ!!」
よく通る声が返ってくる。同時に、十体弱の屍人が黎一の方へと殺到した。
黎一は声に応じる代わりに、炎を纏った愛剣を勢いよく大上段へと振り上げる。
「業炎刹……ッ!!」
名を告げる一声とともに剣を、振り下ろす。狙いは冒険者たちの左側、もっとも大きな群れがいる位置だ。
刃の軌跡が生んだ赫い弧は狙い違わず進み、屍人たちを直撃した。
「グオォッ……」
「ゴァ……アァ……」
苦悶とも悲鳴ともつかぬ声とともに、屍人たちが炎に巻かれて沈む。赫い弧は冒険者たちのすぐ右を通り過ぎ、さらに数体を焼く。
続いて、炎熱が創った轍を沿うように、石畳から炎の柱が噴き上がった。炎は赫い弧の暴威を逃れた屍たちを逃がすまいと、天井までも焦がす勢いで燃え盛る。
「お、おいっ! しっかりしろ、助かるぞっ!」
「国選勇者隊だっ!」
生き残った冒険者たちの歓喜に満ちた声が、洞窟の中にこだまする。
その間に黎一は、冒険者たちの右側の群れにふたたび同じ魔法を放った。ざっくり三十以上はいた屍人たちはすべて灼け崩れ、動く影はいなくなる。
「へっ……! 美味しいトコ、持っていきすぎじゃあねえのかい?」
中央で仁王立ちしていた大男が振り返りながら、笑みを浮かべる。
年の頃なら四十過ぎといったところだろう。短く刈り込んだ茶髪に、黎一より頭ひとつ高いがっしりした体格の男である。要所を金属で補強した革鎧に、揃いの篭手具足。右手には、血と死肉に塗れた大剣を握っている。
「どうも、出しゃばりまして。すみませんね、先パイ」
「かぁぁっ~……。相変わらず可愛くない後輩だねえ、お前は」
笑顔で返すと、大男はいかにも中年らしい声で応じた。
名をダビッドといい、黄金級の熟練冒険者だ。冒険者なり立ての頃に世話になって以来、しばしば会話する仲である。
「残っているのは、今いる方だけですか?」
他の三人は、ダビッドと臨時で編隊を組んだ面々だろう。いずれも首から、白銀級の認識票を下げている。負傷して手当てをされている者が、先ほどの悲鳴の主らしい。
「ああ。ひとり痛いのをもらったが、なんとかなりそうだ。お前のおかげだよ」
「ここは俺がやります。出口までの道は安全ですから、先に脱出してください」
「そう言うなよ……って、カッコつけたいところだがな。オレたちゃもう限界だ。お言葉に甘えるとするぜ」
申し訳なさそうに笑うダビッドに、首肯を以て応じる。
ダビッドの得物である大剣は刃こぼれが目立ち、防具は血と腐肉に塗れていた。他の面々の武具も似たようなものだ。この状態で意地を張ったところで、邪魔になることは分かっているのだろう。
「じゃあな、ヤナギ……死ぬなよ。生きて帰ったら、メシくらい奢ってやる」
「へいへい。楽しみにしておきますよ」
ダビッドは負傷した者に肩を貸しながら、他の面々とともに出口の方へと走っていく。
それを見届けながら、黎一は左耳にはめたインカム状の石に左の人差し指を当てた。
「こちら国選勇者隊、ヤナギ。事象を発見、生存者四名を救出した。座標を登録願う」
『こちらマリー、確認しました! まだ迷宮主は湧出してないみたいです! 警戒してください!』
間を置かず、ほんわかしたアニメ声が聞こえてくる。黎一が所属する国選勇者隊のオペレーターにして王国の第六王女、マリーディアことマリーだ。
女嫌いの身でこの声を聴くと、以前はまともに喋れなくなったものだった。しかしさすがに慣れたのか、最近は声だけなら問題はない。
「了解。……って、お出でなすったな」
言うが早いか。
部屋の真ん中の石畳を突き破り、黒い棘が生え出した。その棘からさらにいくつもの枝が生え、それぞれが絡まり形をとる。
「ウィフィフィフィーー」
変容を終えたそれは黒い唇を歪ませ、甲高い鳴き声を上げた。
炭になるまで焼いた木の枝を、捻じり絡ませ、人の形にしたような代物だった。目があるはずの部分は目隠しを思わせる黒い皮膜で覆われ、その下に露出した肌は異様に白い。
(また、お前か……!)
『魔力……みだ、ます! レ……さん! 警……を……』
インカムから聞こえるマリーの声が擦れはじめる。魔力が乱れはじめた証拠だ。
魔律慧眼で見ると、先ほどよりもさらに濃い藍色の靄が数ヶ所に現れていた。そこから屍者や骸骨兵が、這い出るようにして現れる。
その数、ざっと三十。
「……さあて。とっとと眠ってもらおうかい」
黎一は愛剣をひと振りして炎を灯すと、切先を黒棘の人形に突きつけた。
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