水を封ぜば
お読みいただき、ありがとうございます!
黎一は傍らのアステリオと共に、風の結界を飛び出した。勢いに任せ、青い紋様が浮かぶ金属質な床を駆ける。
隣ではアイナが走り、背後には呪文を唱えるマリーが続く。
『フン、気が触れたか……』
大水蛇が半ば呆れた声で言うと、周囲の魔物たちが黎一に向けて殺到した。
だがほとんどはアイナとマリーに阻まれ、わずかに残った魔物はアステリオが生んだ噴き上がる水に打ち倒される。
(ああ、そう見えるだろうなッ!)
水と風の魔力を同時に想起して、愛剣に氷を纏わせる。真っ白い冷気が刃を覆うのを待って、腰だめに構えた。狙うは水のドームの天辺に揺蕩う、黒い淡水蛇たちだ。
「勇紋共鳴、魔力追跡! ……そおらっ!」
横薙ぎに振りぬいた愛剣から、氷の剣気が弧を描いて飛翔する。冷気を振りまき飛んだ氷の半月は、水蛇たちが放つ水流を掻い潜ってその根元へと着弾する。ひび割れるような音とともに、淡水蛇が胴を生やした部分が凍りついた。これで天井に生えた水蛇たちは動けない。
「またか! 小賢しい……ッ!!」
(やっぱり、な……!)
大水蛇の動揺した声と同時に、動きを縛められた水蛇たちがお返しとばかりに水流を放つ。だが傍らに浮くアステリオによって、またたく間にただの飛沫と化した。
(アステリオがいれば、こっちへの水流はなんとでもなる! そっから動くんじゃねえぞ!)
同じ行程をドームから逆さに生えた黒い影の分だけこなすと、アイナとマリーがいる方へと走る。
ついでに、水のドームに向けて氷の刃をばら撒くことも忘れない。
「地の底に在りし英霊よ、猛々しき息吹を大地に放て! 地霊息破ッ!」
マリーの放つ範囲魔法が、迫る魔物たちの足を一瞬止める。
それは、アイナにとって十分な時間だ。
「――銀月・光牙」
風の加護を受けた黄金の刃が、横薙ぎに払われる。刃の軌跡が生んだ黄金の三日月が、最前面にいる魔物たちをひと息に断ち割った。
『おのれッ! 出でよ、我が同胞たち!』
大水蛇が吼える――だが、それだけだった。
『なにッ⁉ ……バカなッ! いつの間に!』
周囲を見回した大水蛇が驚愕の声をあげる。どうやら異変に気づいたらしい。
紋様が浮かぶ水のドームは、はや八割くらいの面が氷漬けになっていた。黎一が凍らせた天井の他、ドームの下側部分もほとんどが凍りついている。
(どうやら、大当たりだったみてーだな)
大水蛇の歪んだ表情を見て、ほくそ笑む。
――思いついたきっかけは、湖上で使った凍結作戦だった。
よく考えると大水蛇の巨体なら、氷を破り割ることは造作もないように思える。場の水の魔力を強めれば、水蛇たちを解き放つこともできそうなものだ。優位属性たる風すら阻害される中で、なぜ氷は破られないのか。
(氷は……水と風を合わせた事象だ。属性を複合した事象なら、二つの属性の恩恵を受けられる)
魔法における氷は、基調とする水の魔力に、風の魔力が持つ冷却のイメージを混合させて創り出す。すなわち、水属性と風属性の双方を内包している。だからこそ、場の水の魔力を操れる大水蛇の力に抗し得るのではなかろうか――。
この仮説に至った時、氷を用いて水のドームの物理面と魔法面、両方の機能を封じることができないかと考えたのだった。
(こっからが大一番だ。逃げ回られたりお仲間に邪魔されたりじゃ、たまんねーからな)
凍りついた水の中を泳ぐことはできない。水の魔力を用いて作られた術式ならば、風の魔力を持った氷で阻害すれば使い物にならなくなるだろう。
「剣舞――空蝉!」
「開闢を待つ嘆きの地神よ、その涙を今ここに! 地神涙滴ッ!」
アイナの剣が創り上げた金閃の檻に囚われた、天井の水蛇たちやヒトガタたちの断末魔が響く。残った魔物たちを、マリーが喚んだ岩塊が押し潰す。
階層の中央から逃れられなくなった大水蛇が、水流を吐き散らした。が、やはりアステリオによって防がれる。
はや周囲の魔物たちは、ほとんどが討たれていた。残るは大水蛇だけだ。
『これで姉さんだけだ。もう、いいだろう?』
アステリオが投げかけた言葉に、大水蛇はしばし黙っていた。
しかし――。
『ッ、フフ……アハハハハッ!!!!』
やおら大水蛇の蛇の口から、哄笑が響く。
『人間風情が、良くぞ戦ったものだッ!! だが我とて、誇り高き竜人の末裔……見るがいいッ!!』
瞬間。
叫んだ大水蛇を縛める氷が、爆ぜ割れた。
「げっ⁉」
「離れろッ!」
氷の破片を剣で斬り弾くアイナに押されるように、大水蛇の前から逃れた。
水のドームを覆う氷が、すべて大水蛇の身体へと吸い込まれていく。
(風の魔力ごと吸収しやがったのか……!!)
考える間にも、大水蛇はどんどん巨大化していた。
五十メートルほどと目算していた身長は、今や屋上を覆い尽くさんばかりの大きさになっていた。胴回りもひとまわり太くなり、背面についている竜に似た小さな羽も立派に成長している。
やがて――。
『……これが、我が御座の力だ』
誇らしげに言う大水蛇は、屋上の中央にとぐろを巻いて鎮座した。煌めく水模様を浮かべる身体は、蛇というより龍のそれだった。降りしきる雨に打たれる鱗は、さながら宝石のように輝いている。
『封ぜられし紋の力と、貴様らに討たれた同胞たちの力を喰った……。事ここに至った以上、我が弟といえども容赦はせぬ! 姫様をお運び奉り、御座の力をふたたび蘇らせ、我らが世の礎とせん……』
大水蛇の言葉が、徐々に勢いを失っていく。戸惑いを隠さぬ視線が探すものは、容易に想像がついた。
『貴様ら……! 姫様をどこへやったッ!』
(やっと気づいたかよ。サルはどっちだっての)
そう――今この場に、蒼乃とフィーロの姿はなかった。
「さあな。偉大なるお力で、探してみればいいんじゃねえの?」
煽りに煽ると、大水蛇の蛇の顔はいよいよ激情に染まっていく。
『大方あの売女が拐したのであろうがッ! 貴様らを血祭りにあげれば、同じこと……! 行くぞッ!!』
蛇の雄叫びとともに、大水蛇の巨体が動いた。
そんな中、魔律慧眼の視界の端で動くものがある。見れば群青と黄金の魔力がせめぎ合う中、階層の端の一角にうっすらと青い魔力が揺らいでいた。霧とも霞ともつかぬそれは大水蛇の背後を突くように、じりじりと距離を詰めていく。
(よし、今なら……!)
「……閃雷翔纏ッ!!」
胸中の言葉に、応じるかのように――。
白雷を纏った蒼乃とフィーロが、霧を振り払って大水蛇へと襲いかかった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました!
お気に召しましたら、続きもぜひ。




