待ち焦がれし時【月】
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水のドームから頭を出した大水蛇の口から、激流が迸る。仇なすものすべてを薙ぎ倒さんとする水の刃は、月の目の前で水飛沫となって掻き消えた。
フィーロが自らの力で、水に込められた魔力を打ち消したのだろう。
(サンキュ、フィロちゃん!)
「風よ、我を導く翼となれ! 風翼言祝ッ!」
わずかに生まれた隙に呪を解き放つと、手足が一気に軽くなった。
勢いに乗じて走り出す。活性快体のおかげで、フィーロを背負いながら動いても疲れることはない。
『小賢しいッ!!』
「空を漂う風竜よ! 貪り食らえ、我が敵をっ! 風竜顎咬ッ!」
憎悪に満ちた声とともに吐き出された水流と、短杖の先端から放たれた竜巻が交差する。巻き込んだものを微塵に砕くはずの竜巻は、想いと魔力を帯びた水流を巻き込みながら消滅した。
(ウソでしょッ⁉ 竜巻で、しかも相性勝ちしてるのにッ⁉)
この異世界の属性は四すくみである。火は水に、水は風に、風は地に、地は火にそれぞれ弱い。
月が得意とするのは、守護属性である風。大水蛇の属性は水。いかほどの力を持っていようとも、強い言葉の風魔法であれば戦える――。
そんな算段で挑んだが、はやくもつまづいた形になる。
(近づいて斬空風刃を当てないと! でもあの威力じゃ、打ち消しだって微風じゃ無理……ッ!)
屋上の縁に沿って走る。目指すは蛇の頭の陰になる位置、首元だ。
しかしそれを読んだのか、大水蛇はやおらドームを形作る水の膜の中へと首をひっこめた。
(って、あんたもかッ!)
「フィロちゃんっ! あいつの動き止められない⁉」
「んんぅ~! じっとしてくれてたらできるっ!」
(やっぱり、まだ力の制御がうまくいかないんだ……!)
独り言ちて屋上に戻るうちに、ドームの斜め上の位置に大水蛇の頭が現れる。
直上から水流が降り来るが、フィーロが右手をかざすと飛沫となって消えていく。先ほどから見ている限り、フィーロが力を使うにはしばしの溜めが必要らしい。
(だったら、知ってる手でやってみるッ!)
左手に、先ほど拾った鉄鼠色の短杖を握る。
はぐれる前、刹那聞こえた相方の声を思い出す。
(黎一は、死ぬな、って言った……ッ!)
左手の甲が熱を持った。勇者紋が、白く輝く。
「……閃雷翔纏ッ!」
身体が、白い雷光に包まれた。
風よりも強い力が腕を、足を、全身を駆けめぐる。
「行っくよ……ッ!」
屋上の床を蹴り、一足飛びに大水蛇の眼前へと迫る。蛇の表情が、動揺に染まった。
「冷厳なりし吹雪の御霊! 我が意に応え楔となれ! 封雪叫風ッ!」
左手の短杖をかざして叫ぶ。
想像よりも、はるかに広く烈しい吹雪が吹き荒れた。蛇の胴が生えている水のドームの一角が、分厚い氷に覆われる。
『小癪な……ッ!』
呻く大水蛇には応じず、右手に握りしめた短杖を高々と掲げる。
「空に揺蕩う風の精、我が手に集いて刃となれ! 斬空風刃ッ!!」
短杖の先端にある黄水晶から、白く渦巻く風の刃が噴き上がった。
白き雷光とともに飛翔する。風の流れに押されるままに、蛇の頭を目がけて振り下ろした。狙いは違わず、蛇の双眸の間を風刃が斬り裂く。
『ギヨアアアアッ!! き、貴様……ッ! 貴様アアアアッ!!』
斬った箇所から、魔力と思しき群青の光があふれ出した。蛇の苦悶と、女性の怨嗟、ふたつの声が雷鳴とともに響く。
だが次の瞬間、大水蛇の周りに無数の水塊が生まれた。眼前の月を目がけ、砲弾のごとく襲い来る。
「わわわわっ!」
水塊は、ひとつひとつが一メートル弱はあろうかという大きさだ。直撃したらどうなるかなど考えたくもない。かといって、微風などの弱い言葉で打ち消せるとも思えない。
大水蛇の前から飛び退り、なんとか躱した。しかし大水蛇は、その間に次の水塊の群れを生み出している。
(動きを封じに来たっ!)
背中から、動揺するフィーロの気配が伝わってくる。強大な力も、場の状況を見て的確に用いることができなければ、無いも同じだ。幼いフィーロに、それを求めるのは酷だろう。
(黎一は……まだ、来ないよね)
雷光を纏い、増え続ける水塊を避けながら、相方の顔を思い浮かべる。
フィーロの行方が分からない以上、援けにはくるだろう。だがそれは、月のためではない。
(色々、言っちゃったからな)
それでも遺跡が変容した時は、来てくれた。
目を開けるとちょっと焦った顔があった時は内心、嬉しかった。
(フィロちゃんだけでいい。もう喋ってくれなくてもいい。だから……)
思考が途切れかけた時、目の前にひと際大きな水塊が現れた。すんでのところで躱すと、いつの間にか同じくらいの大きさの水塊が周囲に溢れている。視界の端で、いくつかの水塊が溶け合わさるのが見えた。
(水塊同士がくっついて……!)
その時、背に負ったフィーロが力を放った。身体が妙な倦怠感に襲われ、纏っていた雷光が消える。
水塊のことごとくが、揺らぎ弾けてただの水となり、屋上の床に染みを作る。どうやら、溜めに溜めた力を放つ機を伺っていたらしい。
「んぅ~、うえのおみずもけせるとおもったのに」
「平気よ。ありがと、フィロちゃん」
「えへへ……」
(違う。この子、ちゃんと分かってるんだ……)
笑い合った瞬間――。視界の外で、水が爆ぜる音がする。
見ると水のドームの直上から、大水蛇が伸びあがるようにして月へと迫っていた。
(あいつ、いつの間に氷を!)
今、白雷を含めたすべての加護は消えている。フィーロも力を放ったばかりだ。
大きく裂けた蛇の口が、月を飲み込まんと開かれる。
(間に合わ……)
目を閉じた時――光が、またたいた。
あさっての方から飛び来た光の鏃が、大水蛇の側頭を直撃した。
「勇紋権能、万霊祠堂……風巧結界」
聞き覚えのある、陰気を帯びた声がする。周囲の水の魔力が薄らぎ、風の魔力が場に満たされていくのが肌で分かった。大水蛇も不利を悟ったか、水のドームへと身を隠す。
入れ替わるように、ひとりの男が月を庇うように前へと立った。
「あ……」
声が漏れる。
ざんばらな黒髪も着込んだ防具も、ぐっしょりと濡れていた。だが陰気な中にも鋭さを見せる眼光は、消えていない。
塔を登る間も、戦う間も、片時も忘れなかった姿が、そこにあった。
「れーいちっ!」
「……もう、遅いよ。バカ」
微笑みながら、悪態をつく。
八薙黎一は微笑むどころか振り向きもせず、ただ剣を振って応じた。
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