古き縁
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大粒の雨が容赦なく降りしきり、雷がそこかしこの湖面へと落ち続ける。
そんな中、黎一たちは塔の外壁から突き出た水路の上を、泡に包まれて進んでいた。
(頼むから、雷の直撃だけは勘弁してくれよ……!)
泡に包まれて水上を進むさまは、湖によくあるアヒルボートに似ている。雷に直撃されれば漏れなくアウトだ。それでなくても水路に落ちれば、感電は免れない。
(それにしたって、一体こっからどうやって……ん?)
ふと前方に、巨大な構造物があることに気づく。よく見ると、金属でできた巨大な水車だった。車輪に似た水車には瓶らしきものが取り付けられ、水路の水を汲み上げている。
上空や水路の真下には、同じ形状の水車があった。どうやら下層から連続して組まれた水車を用いることで、湖から水を汲み上げているらしい。
『カッ、懐かしいもん持ってきやがって。水を汲み上げて魔力を得るなんざ、オレ様たちの頃にゃとっくに廃れてたぜ』
(あれで魔力を? えらい前時代的だな)
にわかに聞こえて来た、”剣”の濁声に応じる。
ちなみに”剣”の声は、周囲には聞こえない。手段は不明だが、精神に直接語りかけているらしい。
『お前らが焉古時代って呼んでる頃より前は、こうやって地水火風の実体から魔力を取り込んでたんだよ。作ったヤツの記憶が、昔懐かしいブツを再現したんだろうな』
(魔力を取り込んでるのは、アエリア……。ってことは、水車を辿っていけば!)
『そういうことだっ!! なんとかして水車を昇れっ!』
振り向きながら、やはり泡に包まれているアイナたちに上の水路を指し示す。
水の膜のせいか、声がうまく伝わらないのだ。
(って……簡単に言うなよなっ!)
改めて水車を見ると、瓶は人ひとりが入れるほどの大きさではない。どうにか入ったとしても、落ちたりすれば一巻の終わりだ。
するとアイナが、やおら泡を割って飛び出した。水路の縁を蹴り、水車へと足をかけたかと思うと、その身を上の水路へと躍らせている。
(いやそういうの無理だしっ!)
このまま流れに任せて進めば、水車に激突する。
ふと後ろを見れば、マリーはまだ泡の中でなにやら魔法を唱えていた。
「風の精、その身と羽を以て我が身を運べ! 浮遊風羽!」
くぐもった、あどけない声が響く。黎一とマリーを包む泡が、水路からふわりと舞いあがった。さながらシャボン玉のように、荒天の中を頼りなさげに昇っていく。
(よっしナイス、マリーさん! これで……)
と、思ったのも束の間だった。
背後に、なにかの気配を感じる。振り向いてみれば、壁の穴にいくつかの影があった。
『ケガサレタ。ミクラノミチヲ……』
『カトウナモノドモ……』
影はすぐさま、半魚人や淡水蛇の形を取った。水路の中へ入ったかと思うと、高速で黎一たちへと迫ってくる。
(まずいっ!)
黎一はともかく、空中に泡と浮いているマリーは無防備だ。魔法で反撃はできようが、足場がない空中では不利は免れない。
迫った淡水蛇の一匹が、マリーに向けて口いっぱいの水流を吐き出す――。
「勇紋権能! 無足瞬動ッ!」
――直前、黎一は泡の内側を蹴って飛び出した。
能力の加護を得た躍動が、一瞬にして泡を割りマリーへとたどり着く。
空いた左手で、マリーの腰に手を回した。腰を抱いた時の温もりと、大きく柔らかいものが当たる感触に、鳥肌が立つのが分かる。
「ふ、ん……グッ!」
「わわわっ!」
すぐ下を、魔物が放った数条の水流が過ぎ去った。
息が詰まりそうな加重を堪え、そのまま上層の水路を目指す。だが、わずかに届かない。
(えいクソッ!)
「勇紋権能! 無足瞬動ッ!」
強烈な加重が、ふたたび黎一を襲った。マリーも同じなのだろう。目を回したのか、一言も発しない。
消え去りそうな意識の中、水車の瓶を足場に三度、無足瞬動を使って飛ぶ。
ようやく上の水路にたどり着き、流れる水の中にざぶりと身を沈めた。
「うお……ッ……ゲハッ……ゴホッ……」
『おつかれさん。相変わらず、無茶するなあ?』
(お前が……言ったんだろうが……)
なおも咳き込みながら、相棒たる愛剣に悪態をつく。隣ではアイナが、ぐったりしたマリーに細管癒水薬を飲ませていた。
その時。
「キキッ!」
「ギョオオオッ!」
水車の方向から、甲高い鳴き声が聞こえた。
見れば水車のバケツを利用して、数体の半魚人が水路へと入り込もうとしている。
「相手をするだけムダだ! 壁まで行くぞッ! マリー殿、動けますかッ⁉」
「うぅ、おえっ……」
「チッ……私が引きつけるッ! ヤナギ殿、マリー殿を連れて壁へッ!」
「え、あっ、いや、逆の、ほうが……」
皆まで聞かず、アイナは水路の上へと飛び出した。荒天の中を器用に飛び回り、半魚人たちと剣劇を繰り広げる。
(うああっ、もうイヤだああっ!)
ふたたびマリーの腰に手を回すと、雨に打たれながら水路の中を進む。水嵩は黎一の腰までくらいだが、雨風とぐったりしたマリーのおかげで進むのもひと苦労だ。
(ちくしょう……! なんだって、俺が……こんな目に……ッ!)
心の中で毒づいた瞬間、マリーの身体がずるりと滑った。
勢いで、腰を抱いていた左手が胸元の柔らかい部分を握り込む。
「んっ……」
「ひ、えっ……!」
「ご、ごめんなさい……。ちょっと気持ち悪くて、力が入らなくて……。気にしないから、平気です……」
「い、いや……。とりあえず、は、離れて……」
「ん……っ。壁まで、じゃ……ダメですかぁ?」
(この人ワザとやってんじゃねえだろなマジでっ!)
などと言い合ううちに、なんとか壁までたどり着く。
後ろを振り向けば、首尾よく半魚人たちを屠ったアイナが追いついてくるところだった。
「よし、無事だな!」
「全然、無事じゃねえっす……」
「どうした? 怪我か⁉」
「レイイチさんが、ちょっとおイタしただけです……」
「だからそういう言い方……ッ!」
「……バカをやってる場合かっ! もたもたしていると来るぞっ!」
アイナの声が、珍しく怒気を含んだ。
水車のほうを見てみれば、早くも後続の魔物たちが昇ってきている。
「だああっ! クソッタレええッ!」
怒りを風の刃に変えて、壁に五芒星の陣を叩き込む。あとは先程と同じ要領だ。
――程なく、塔の外壁に大穴が空いた。
「お返しですよ……ぉ! 地神涙滴ーッ!」
直後、復活したマリーの魔法が生んだ大岩が、水車を直撃する。
重さに耐えきれなくなった水路は金属が軋む音を立てながら、魔物たちとともに湖面へと落下していった。
(とりあえず、虎口は脱したか……)
独り言ちながら、壁の穴からふたたび塔の中へと進む。入った先はやはり金属製の階層に水を湛えた形状だが、なぜか魔物の気配はない。
位置としては、先ほどいた階層のひとつ上だろう。だが魔力追跡で探った蒼乃の魔力は、今の階層よりさらに上に位置している。
「アオノ殿の位置は分かるか?」
「生きてますけど、さらに上っすね。あの滝、階層ひとつ分またいでやがったのか」
「どうしますかぁ? 水路はもう壊しちゃいましたし……」
(別の方向に穴ぶち空けるか? でも、いい塩梅に上の水路があるとは限らねえ……)
不安げなマリーの声に、脳みそを回転させ始めた時――。
『……やあ、よく来たね。たどり着いてくれるか、ヒヤヒヤものだったよ』
脳裏に響く中性的な声に、思わず身構えた。
アイナとマリーにも聞こえたらしく、得物を構えて互いの背を庇っている。
『失礼、姿を見せていなかったね。ちょっと待っておくれよ』
声が止むと、中空にぼんやりとした人影が浮かびあがった。
年の頃なら二十歳を過ぎたくらいか。真っ白な髪と、色白で中性的な顔立ちを持った美青年である。身体には、神話に出てくる神々が纏うようなキトンを纏っている。
『ようやく形を取ることができた。驚かせてしまったね、人の子らよ』
「人の子……? あんたも竜人か」
『ああ、いかにも』
構えを解かずに問うと、美青年は胸に手を当てて礼を取った。
『ボクの名はアステリオ。……巻き込んでしまってすまない。何度か助けようと思ったんだけどね。姉の力の干渉が、思ったより強くてさ』
「あのアエリアとやら、そなたの血族か」
アイナの問いに、美青年もといアステリオは首肯を以て応じる。
『キミたちが連れ込んだあの娘の影響だよ。あの娘が持つ純然魔力が、時の流れに沈みこんだボクらの思念を呼び起こしたんだ』
「純然魔力? 聞いたことないんですけど……」
マリーの戸惑う声が聞こえた時、右手に持った愛剣がちりっと震えた。
『ハンッ、おとなしく寝てりゃいいものを。夢見がちなのは姉弟そろって相変わらずだな……アステリオよ』
聞こえぬはずのその声に、アステリオが目を見開く。
『その声っ!! キミ、まさか……ダイダロスかい?』
『おうよ。もっとも声以外は、このザマだがな』
『ひょっとして、君も置いていかれたクチ? 残念な者が揃いも揃って……運命とはかくも酷なものか。悲しいねぇ』
「……おい、あんたら。盛り上がってるところ悪いんだが」
古の存在たちのやりとりを、うんざりした声で止めに入った。
果てしなく気になる内容なのは間違いないが、一刻を争う状況である。縁を懐かしむのは後にしてもらいたい。
『おっと、ごめんよ。じゃあ行こうか』
「行くって、どこに……」
『姉と、キミたちのお仲間のところだよ。道はボクが開く』
アステリオは表情を引き締めると、言葉を続ける。
『あの娘のことはともかく、その紋を持つ以上は業を背負ってもらうよ……レイイチ・ヤナギ』
「……なんで俺を知ってる!」
『キミには姉を、アエリアを止める義務がある。ソウマと同じ力を持つ存在としてね』
言葉が終わらぬうちに、階層の中央に明かりが灯った。
仄暗い中に光が立ち昇るさまは、どこかへ誘っているかのようだ。
『さあ、進もう。無事に終わらせてくれた暁には……そうだな、思い出話くらいはしてあげるよ』
アステリオはそう言うと、中性的な顔をニッとゆがめた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました!
お気に召しましたら、続きもぜひ。




