仲直り【月】
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――黎一たちが、下層で死闘を繰り広げている頃。
蒼乃月は、滝を抜けた先にあった水場のほとりで盛大に咳き込んでいた。
「ッゴホッケホッ! ああ~っ……死ぬかと思った……」
魔物からフィーロを奪い返したまではよかった。しかし上層から落ちる水流が滝のごとき勢いになって、二人を飲み込んだのだ。
風の結界のおかげで、窒息は免れた。だが足場が見えた段階で気が緩み、結界が解けてしまい――。
なんとかフィーロを抱えて岸までたどり着き、這い上がっての今である。
(もう少し早く結界が解けてたら、マジで死んでたわ……)
ようやく咳が落ち着いた時、隣から可愛いくしゃみが聞こえた。
ふと見れば、ずぶ濡れのフィーロが不安そうな顔で月を見つめていた。外傷はなさそうだが、魔物に攫われ水に浸りで疲れたのか、表情はやや疲れている。
「フィロちゃん、大丈夫?」
フィーロはしばし月の顔を見ていたが、やがてこくりと頷く。
月は微笑んで、懐から細管癒水薬を取り出した。これが最後の一本だ。
「はい、これ飲んで。あと、髪乾かさないとね」
「……るなは?」
「私は平気。ほら、飲んで」
フィーロはバツが悪そうにしながらも、細い管に満ちた液体に口をつける。
その姿を見て安堵しながら、周囲に温風を巻き起こした。心地よい暖気を帯びた風が、フィーロと月の濡れた黒髪を揺らす。
(……万霊祠堂さまさまね)
平気と言ったのは痩せ我慢ではない。万霊祠堂で与えられた活性快体のおかげだ。マリーにいくつかの能力付与を実演してみせた際、たまたま最後に選んでいたのだった。
(ほんっといい能力ね、これ。黎一が気に入るわけだわ)
こうしている間にも、身体の疲労が回復していくのが分かる。体感では魔法力がやや心許ないが、活性快体は魔法力を徐々に回復していく効果もあった。
温風魔法の消耗は微々たるものだ。服と髪が乾く頃には、全快に近い状態まで持っていけるだろう。
(今、どのあたりだろ。鉄紺巨蟹と戦ったのが二層で、水に飲まれたところのさらに上層だから……今は四層とか?)
フィーロの髪を手櫛で梳かしながら、あたりを見回す。
今いる場所は、崩れた階段の淵にある水場だった。周囲の金属質な壁や天井からは、小さな滝が流れている。妙に黒ずんだ水を見ると、異変をもたらしたのも頷ける気がした。
(勇者の力は消えてない。このくらいなら、離れても問題ないわけね)
左手の甲にある紋様を確かめて、ひとまず安堵する。
いつも感じる相方の気配を魔力追跡で探ると、まだ下層にいるようだった。なにせ竜人の肝煎りであろう罠だ。下の状況は分からないが、すぐに合流できるとも思えない。
(でもなあ、ここにいたらジリ貧だし)
見える範囲で魔物の気配はない。だが後ろは水場、フィーロもいる。
この状況で魔物に襲われればどうなるかは、火を見るよりも明らかだった。
(少しでも前に進む……。黎一なら、そうする)
程よく乾いた髪を指で跳ねて、立ち上がる。
「フィロちゃん、行こう」
* * * *
階段を抜けた先は三層と同じく、広々としたドームになっていた。
違うのはくるぶしほどになった水位と、水場と同じく黒ずんだ水だ。蜘蛛の巣のごとく入り組んだ金属製の足場には、月たちが出てきた入口と同じものが各所に四つある。
(どこが正解……ってわけでもないか。下層にあった滝の数と同じだし、全部さっきの水場と一緒ね。じゃあ、上層へはどうやって……?)
視線を巡らせると、階層の足場が中央へと集約していることに気づいた。よく見ると中央の足場の付近だけ、景色がわずかに揺らめていてる。
(あそこ、ね)
口の端だけで笑うと、傍らにいるフィーロへと視線を移す。
「フィロちゃん、あの真ん中のところまで行こ。歩ける?」
「……るな」
「ん、なあに?」
優しい口調で言うと、フィーロはやや口ごもっていた。
だがすぐに意を決したように口を開く。
「なんでフィロのこと、おこらないの?」
「へ? なんで、って……」
「フィロ、るなにひどいことたくさんいった。ずっとるなのこと……」
月は微笑むと、しゃがんでフィーロと目線を合わせた。
「私もフィロちゃんに酷いこと言ったから。だから、おあいこ」
フィーロの髪を優しく撫でながら、言葉を続ける。
「二人で一緒に謝ろ? それで、仲直り」
「なかなおり……?」
「うん、大事なこと。……フィロちゃん。お父さんとお母さんのこと、考えなくてごめんね」
「……だいきらい、っていって、ごめんなさい。ずっとおこってて、ごめんなさい」
「はい。じゃ、これで仲直り」
言うと、フィーロはにぱっと笑う。久々に見る笑顔だった。
えへへと言って抱き着いてくる小さな身体を、優しく抱きしめる。
「大丈夫。フィロちゃんは……」
続く言葉を、水飛沫の音が遮った。
見れば魚の鱗とヒレを備えた人型の魔物が、次々と足場へと這い上がってくる。三又槍を両手で構えているあたり、どう見ても友好的ではない。
――半魚人、というやつだろう。見えるだけでも、十体はいる。
「まったく。なんでこうも……空気読めないかなあっ!」
怒気とともに放った風弾が、群れの先頭にいる半魚人の頭を打ち砕いた。
それを皮切りに、半魚人の群れが一斉に突っ込んでくる。
「フィロちゃん! 離れちゃダメだよ!」
フィロが背後に隠れるのを見届けて、月は青い群れに向けて短杖を構えた。
「風、我が意に従い仇なす者を刻め! 旋風刻刃ッ!」
意識した場所につむじ風を起こし、複数の対象を巻き込む攻撃魔法である。
渦巻く風が刃となり、数体の半魚人の身体を斬り飛ばした。しかしその後ろから新たな数体が這い上がり、勢いは止まらない。
(ええい、もうっ!)
「空を漂う風竜よ! 貪り食らえ、我が敵をっ! 風竜顎咬ッ!」
――魔法を組み立てる際、言葉選びは重要だ。
月の場合、言葉の重さを意識していた。微風、風、竜巻……といった順で意識することで、効果や威力を分けるとともに、要らぬ消耗を防いでいる。
(どっかの黎一みたいに、無尽蔵でぶっ放せればいいんだけどねっ!)
短杖の先端から放たれた竜巻が、足場を殺到した半魚人たちを襲った。ひしゃげる者、部位を飛ばされる者。それらすべてを盾にして、魔物の群れはなおも迫り来る。
(数、多すぎだっての! 魔力、保つかな……!)
気後れか、魔力の枯渇か。若干の目まいを覚えた、その時――。
すぐ真横の水面から、数体の淡水蛇が鎌首をもたげた。開いた口から、濁った水流が月へと放たれる。
(うっそ⁉ 間にあわ……)
怒涛の勢いで押し寄せた水流は、月の目前で光の粒となって消えた。
見れば後ろから、掌をかざしたフィーロが歩み出てくる。
「……やめて」
静かな声に、すべての魔物たちの動きが止まる。
月はその隙に、ジャケットの中から煌めく青い液体が入った細管を取り出した。
――細管魔力水薬。
魔力を回復する魔力水薬を煮詰めて、細い瓶に詰めた代物だ。細管癒水薬に輪をかけた値段なので使わずに済ませたかったが、背に腹は代えられない。
「フィロ、おねえさんとなかなおりしにいくの。だから、とおして」
『ナラバ、ヒメノミデ』
『カトウナモノハ、フサワシクナシ』
半魚人と淡水蛇たちから、くぐもった声が響く。
(フィロちゃん……魔物と話ができるの? そもそもこいつら、本当に魔物?)
月の疑問をよそに、フィーロはさらに口を開いた。
「けんかはね……いけないんだよ」
『ヒメサマ、ドウカミクラニ』
『カトウナモノハ……ワレラガッ!!』
いきり立ったように突っ込んできた淡水蛇の一体が、衝撃を伴った光に包まれて消える。
「でも、みんなをいじめるなら……フィロ、あなたたちとけんかするっ!」
さらに光が瞬き、近くにいた淡水蛇のことごとくが吹き飛んだ。
それを合図に、月は諸手に持った短杖で印を切る。
「……雲に御座す風帝よ! 玉衣を纏いて舞い踊れ! 風帝嵐招ッ!!」
風が荒ぶ。帷のごとき雲が降りる。産まれた雷が、あまねく敵を打ちのめす。
嵐が止んだその後には――何も、残っていなかった。
空から、棒状のなにかが降ってくる。受け止めてみると、一本の短杖だ。
(焉古装具、ってヤツね)
先端に群青色の宝珠を飾りつけた錆鼠色のそれを見て、即座に断じる。
焉古時代に作られた遺物の総称だ。当時の技術の粋を以て作られた品々は、今の異世界で手に入る武具の性能をはるかに凌駕する。
「るな、いこう。おねえさんとも、なかなおりしなきゃ」
「……うん、行こう」
手に入れた短杖を左の腰に下げた月は、フィーロと笑顔を向け合った。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました!
お気に召しましたら、続きもぜひ。




