拐かす瀑布
お読みいただき、ありがとうございます!
※タイトルの読みは「かどわかす ばくふ」です。
青に染まった遺跡に、鉄紺巨蟹の断末魔が響く。両のハサミが力なく垂れ、動かなくなった巨体が光となった。すべてが消えるまで、数瞬とかからない。
巨体があった向こう側には、上層へと続く階段が見える。先ほどいた層が地上だとすれば、今は二階くらいだろうか。
「終わった、かな?」
水薬を飲む蒼乃の言葉に、黎一は魔律慧眼であたりを見回した。アイナが腕を痛めたらしく、マリーに回復魔法をかけてもらっている。
やかましかった水霊たちやアエリアの姿はない。鉄骨やらパイプやらが走る壁と、金属質な床を持つドーム状の部屋を、群青の魔力が染め上げているのみだ。
(妙に呆気ねえな……。あれだけ、吠えてたのに……)
訝しんでいると、視界の端からフィーロが寄ってくる。黎一の前で溜めを作ったかと思うと、全身で伸びあがるように跳ねて抱き着いてきた。
「れーいち、おつかれっ!」
「うお、っと……。そんな挨拶、どこで覚えた」
一般的な幼児には、ありうべからざる身体能力である。遺跡に入ってから、疲れた、歩けない、などの泣き言は一度も言っていない。アエリアに向けて力を使った時はへばっていたのに、いつの間にかピンピンしている。
これもまたアエリアの言うとおり、フィーロが彼女たちの王たる存在ゆえなのだろうか。
(もし、フィロがあいつらの同胞だとして……フィーロは一体なんなんだ? それに恨まれる、父さんは……)
思えばかつて地の底の遺跡で邂逅した六天魔獣も、今回のアエリアも――。焉古時代の存在は皆、父である聡真を知っている。ある者は最愛の者と呼び、ある者は裏切り者と罵る。だがその父がなにを成したのかは、未だ闇に包まれたままだ。
(もし、父さんが焉古時代の存亡に関わるなにかをしたんなら……アエリアたちがああなったのは、父さんのせい? それじゃ、今この事態が起きてるのだって……いや、フィロの両親が死んだのも……)
闇が、心に纏わりつく。頬をぺたぺたと触ってくるがフィーロの手の感触が、妙に遠く思える。
ふと、なにかが脇腹をつついた。見ると短杖を突き出した蒼乃が、呆れた顔で立っている。
「ぐるぐる考えないの。進むよ」
それだけ言うと、さっさと奥の階段へと進み始める。少し離れた位置で振り向くと、「ほら、早く」と言わんばかりの顔で見つめてくる。
そうこうするうちに、回復を終えたアイナが近づいてきた。
「アオノ殿の言うとおりだ。ここで考えたところで、なにも分からん」
さらりと言って、先へと進む蒼乃に続く。
あとから来るマリーは少しの間もじもじとしていたが、すぐに黎一の顔を見つめてくる。
「あの、その……色々、言ってごめんなさい」
「あ、いや、別に……」
「王都に戻ったら、お父様のお名前で焉古時代の情報を調べてみましょ? なにか分かるかもしれませんから。だから、今は……」
「あっ、はい……」
ため息の後、抱き着いているフィーロを下ろす。
ここで止まっても、生まれるものはない。だが進んだところで、望むものが手に入るとも限らない。
(クソ……。なんだってんだよ、ったく……)
黎一はふたたびため息を吐くと、階段に向けてゆっくりと歩き出した。
* * * *
階段を昇った先も同じ風景かと思いきや、いくぶん趣向が違っていた。
天井から流れ落ちる水を湛えた階層に、金属でできた足場が不規則に走っている。壁の溝が発する光に照らされ煌めく様は、先ほどの地底湖に近い。しかし煌めく水面の奥に見える金属の湖底が、間違いなく迷宮の一部であることを物語っていた。
「水霊たちが出てこないな」
「小出しは無意味って分かったんですかね。こっちは楽できるからいいんですけど」
「でも、アエリアの周りにみっしりいたらどうするんですかぁ?」
「しばく。問答無用でしばく。本人ごとしばく」
「フフッ。さすが”百伐の対”の片割れは、言うことが違うな」
「アオノさん、ひょっとして売女呼ばわりされたの根に持ってます……?」
アイナと蒼乃、マリーの会話を耳にしながら、黎一は殿を守って進む。
後方からの不意打ちを警戒して、隊列を入れ替えた結果である。フィーロはというと、隊列の真ん中でマリーと手を繋ぎながら元気よく歩いている。
(アエリアに会ったら……どうする? 剣が教えないことを、あいつは知っているのか?)
父のこと、剣のこと、フィーロのこと――。
考えても仕方ないとは分かりつつも、思考はとりとめもなく押し寄せる。
(もし、あいつが父さんの居場所を知っていたら……俺は、どうする?)
もし会えたら、なんと言おう。いや、なにを聞こう。
そこまで考えた時、ふと水影が陰った気がした。
(ん……?)
魔律慧眼で見ても周囲の魔力は変わらぬ群青色だが、それだけだ。
あたりを見回しても、変化はない――。
(……水が!)
気のせいで片づけようとした違和感が、ふたたび蘇る。
水の色が、違う。先ほどまで光を受けて煌めていた湖面が、いつのまにか深淵のごとき黒に染まっている。
「おい! なんかおか……」
――言いかけた瞬間。天井から落ちる水の量が、ひと際多くなった。
すぐ脇の闇から、黒い水蛇が湧いて出る。ぱっと見はウナギに似た巨躯が、またたく間にフィーロの身体を飲み込んだ。そのまま水面を撥ねて、天井から流れる滝の中へと身をくねらせていく。
「フィロちゃん!」
(しまった……!)
揺らいだ思考が、万霊祠堂の呼び出しを一瞬遅らせる。今、選んでいる能力は魔律慧眼だ。無足瞬動は使えない。
フィーロを飲み込んだ水蛇は水流の中を器用に昇り、はやくも階層の中空で身をくねらせている。
(風の結界なしでどこまで行ける……⁉ でも今は……)
「大気を彩る風精よっ! その身を以って我らを護れっ! 風精纏盾ッ!」
無足瞬動に切り替える前に、蒼乃の声が響いた。
前方から白い雷光が、一直線に空を翔けていく。その姿は中空でフィーロを飲み込んだ黒水蛇の影を捉え、立ちどころに斬り裂いた。
(よしっ!)
「……ヤナギ殿っ!」
喜んだのも束の間。アイナの声に周囲を見てみると、すでに足場は水没しつつある。
逃げ場はないかとあたりを見回した時、弾けるような音がした。見れば天井から落ちる水が瀑布のごとく、白い雷光を包み込んでいる。
「蒼乃ッ……死ぬなあッ!」
声に呼応したのか、勇者紋がまたたく。白い雷光は大きく輝き――だが、それだけだった。
天井から落ちる水流が、止まる。白き雷光は、戻らない。
水没しかけた足場に残された黎一たちの前には、黒い水蛇たちがたなびく煙のごとく鎌首をもたげていた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました!
お気に召しましたら、続きもぜひ。




