鉄紺の守護者
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巨大なカニ――鉄紺巨蟹は、八本の足で金属質の床を蹴立てて突進してきた。ハサミを入れたら四メートルはあろう巨体が進み来るさまは、正面から見ると鉄塊が飛んできている風にすら見える。群青の魔力に染まった遺跡が、巨体の重さに震えた。
(カニのくせにすばしっこいな!)
「万霊祠堂、風巧結界ッ!」
力を導く意志により、周囲の魔力の比率を風に傾ける。
(アエリアが召喚した以上、鉄紺巨蟹も水の属性だ! とっとと弱ってもらう!)
『ゴヴォヴォヴォヴォァ!!』
そんな黎一の目論見を見透かしたのか、鉄紺巨蟹は足を止めると雄叫びとも鳴き声ともつかぬ音を立てた。
一度は風を顕した周囲の魔力が、ふたたび群青に染まっていく。
(あいつも結界を使った⁉)
「風、我が意に従い仇なす者を刻め! 旋風刻刃ッ!」
気づかぬ蒼乃が放った旋風をものともせず、カニの巨体はなおも迫り来る。
その前に、アイナが立った。
「――銀月・黄牙」
アイナの横薙ぎに対し、鉄紺巨蟹は右のハサミを盾にする。
水蛇をあっさり斬り払った斬撃も、続けて飛ぶ黄金の弧も、鉄紺色の甲殻に傷ひとつつけられない。
「ちょっとッ! こいつ、全ッ然弱んないじゃないッ!」
叫ぶ蒼乃に向けて、鉄紺巨蟹が口から泡を吐き出した。ひとつひとつが三十センチほどはありそうな大きな泡が、蒼乃を無数に取り囲む。
「ちょ、なにこれ……」
いつの間にか退路まで塞がれ、蒼乃の声に焦りが生まれる。
泡は重なり合い、巨大な泡となって蒼乃を包みはじめた。包まれきったらどうなるかは気になるところだが、さすがに今試す必要はない。
(えいクソ、油断しやがって……!)
「風よ……いけえっ!」
「土塊に宿る妖精よ、汝のその身を礫とせん! 地精礫招ッ!」
黎一が繰り出した風刃と、後方にいたマリーが放った土礫によって、泡はあっさりと割れた。
「ご、ごめんっ! ありがと!」
蒼乃は礼を言うと、フィーロとマリーを庇うためか後方へと下がる。
その間に放たれた鉄紺巨蟹の泡が、今度はアイナへと迫った。
「――剣舞、空蝉」
銀光の檻が、泡のことごとくを薙ぎ散らす。アイナが繰り出した刃と、着地を狙った巨大なハサミがふたたび交差し、耳障りな音を立てる。
どうやら泡が爆発したり、毒になったりといったことはないらしい。だが周囲の魔力の分量変化に対応するうえ、行動に制限をかけてくる魔物は初めてだった。
(意外と頭脳派かよ! だったら……)
「俺が前衛に出る!」
一言叫んで、鉄紺巨蟹へと走り出す。
感情を宿さぬ巨大な目が黎一へと向けられたかと思うと、やはり口から泡を吐き出してきた。
「万霊祠堂……一心深観ッ!」
鉄紺の巨体を凝視しながら、能力を発動する。
対象の動きから次の挙動を予測し、軌跡として予知することが可能になる能力である。発動している間は視野が極端に狭まるが、一対一の戦いにおいて相手の動きを先読みできる恩恵は大きい。
「……っ、らあっ!」
刀身に風を宿し、泡の軌道を示す残像を片っ端から散らした。一心深観による予知と勇者の身体能力、愛剣である”お焦げちゃん”の身体強化があってこそ成し得る技だ。
すると、足が止まったところに左のハサミが繰り出される予見が見えた。その残像に合わせて、諸手に持った愛剣を振りかぶる。
『コォアッ!!』
「ん、なろうッ!!」
金色に染まった刀身と鉄紺のハサミが、鐘の音に似た音とともに交錯する。
刹那、身体が軋む。それを無視して、剣を振り抜いた。数メートルはあるだろうハサミが、大きく弾かれる。
(剛よく、柔を断つってなッ!)
数瞬後に振りかぶられる軌跡を示す、右のハサミに狙いを定めた。
先んじて、バッドのスイングの要領で斬撃を叩き込む。
『グォガアッ⁉』
どこから出たのか、鉄紺巨蟹の驚愕に満ちた叫びが遺跡に響く。
左のハサミは、あさっての方向にねじ曲がったままだ。今、本体を護るものはない。
(よし、こじ開けたっ!)
「今だッ!」
黎一の声に動いたのはアイナだった。
蒼乃がかけ直したのだろう風の魔力を宿った刃を、担ぐように構えた。切っ先が向くのは、護るものがないカニの口だ。
「――穿刻」
金色の竜巻に似た斬撃の渦が、カニの口を直撃した。渦が消えた後、鉄紺巨蟹の口周りはズタズタに斬り裂かれている。
(あれなら泡は吐けねえだろ!)
「開闢を待つ嘆きの地神よ、その涙を今ここに! 地神涙滴ッ!」
続けざまに聞こえたマリーの声とともに、天井から巨大な岩が降った。どこからともなく表れた暴威が、カニの甲羅の頂上部を容赦なく押し潰す。八本の足が、圧に耐えられず折れ曲がった。岩が直撃した箇所は、無残にひび割れている。
好機とばかりに、短杖を両手で握り込んだ蒼乃が走った。
「斬空風刃……ッ!」
短杖の先端に飾りつけられた宝玉から、白く渦巻く風刃が生まれる。
それを見た鉄紺巨蟹の両のハサミが、ふたたび動いた。右のハサミで口元を、ぎこちない動きの左のハサミでひしゃげた甲羅を護ろうとする。
だが蒼乃は風の結界を纏って中空へ舞い、短杖を甲羅の割れた箇所へと向けた。
「……撃出ッ!」
蒼乃の声と、空気が弾ける音が重なる。
撃ち出された白き風はまたたく間にハサミを掻い潜り、ひしゃげた甲羅を貫いた。
『ミギョオオオオオアアアアアアアアッ!!』
鉄紺巨蟹が、この世のものとは思えぬ音を発した。口元を護っていたハサミの動きが、揺らぐ。
(よし、今ならやれるッ!)
「万霊祠堂……魔力喰鬼!」
アイナの剣に残っていた煌めき、蒼乃の風刃、そして水の魔力までもが焦げた刀身へと集う。
黎一はその切先を、鉄紺巨蟹の口元へと向けた。
「万霊祠堂……無足瞬動」
力を解き放った直後の一瞬、身体が悲鳴を上げた。視界が、揺らぐ。
それらが終わった後――魔力が宿った刀身が、鉄紺巨蟹の甲羅を深々と貫いていた。
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