滅紫の魔
お読みいただき、ありがとうございます!
※タイトルの読みは「けしむらさきの ま」です。
夏の空に、幾多の叫びが響きあう。真夏の日差しに照らされた緑豊かな湖畔は、人と人ならざるものがぶつかり合う戦場と化している。
その風景を背にしながら、黎一たちは湖上の道をひた走っていた。背後は振り向かず、石材と丸太を組み合わせた道を急ぐ。
(とっとと遺跡の魔力の封印を終わらせる! そんでもって湖畔の援軍に行くっ!)
道は搬入出にも使われていたせいか、大人ふたりが楽にすれ違えるほどの幅がある。おかげで移動に支障はないが、問題はまわりの湖だった。
「……また来るぞッ!」
叫ぶと同時に、陽光に煌めく湖から数体の淡水蛇が姿を現した。湖上に出てから、三度目の遭遇だ。
「封雪叫風ッ!」
蒼乃の魔法が、たちどころに湖面の一部を凍結させる。定点を中心に冷気をまき散らす魔法らしい。風を用いた魔法のせいかダメージもあるらしく、氷に動きを阻まれた淡水蛇の数体が苦悶の声をあげる。
「いっ……けえっ!」
黎一の繰り出した風刃が、うち一匹の頭を斬り飛ばした。
蒼乃も風弾を飛ばすのかと思いきや、隣を走るアイナに向けて手をかざす。
「雲上に御座す風帝よ、友の剣に御印を! 風刃恩寵!」
するとアイナの持つ長剣の片刃が、風を顕す黄金に染まった。どうやら対象の武器に、風の魔力を与える魔法らしい。
「助かる……ッ!」
アイナは礼を言うなり宙を舞い、長剣を腰だめに構える。
「銀月――」
横薙ぎに繰り出された長剣が描く金色の弧が、群れていた淡水蛇の二体の頭を斬り飛ばす。
「――黄牙ッ!」
さらに金の残滓を残して飛んだ弧が、奥にいた一体をも薙ぎ散らした。力なく崩れ落ちた淡水蛇たちの血が、湖面を染める。
その間にも、黎一はふたたび風刃を放ち二体を屠っていた。
(うっわ剣魔法まで使われると立場ねえな俺!)
やるせなさを感じながらも前方を見ると、すでに数体の水蛇が道を阻むように鎌首をもたげている。
本来ならばたいして離れてもいないのであろう小島が、えらく遠くに感じられた。
(どんだけ湧くんだよ! まあそれでも湖畔の連中の背を突かれるよりかは……)
と、思った矢先――。
前方の水面の一角が、深く澱んだ。
(……ッ⁉)
澱みは徐々に大きくなりながら、黎一たちの走る道の先へと近づいていく。
道を阻んでいた淡水蛇たちもまた、澱みを祀るかのように群れはじめた。
(ありゃあ……別もんかッ!)
――予感は、澱みの浮上をもって現実となる。
長い尾と毒々しい紫色の皮膚を持った巨大な胴体は、見える範囲だけで三メートルほどもあろうか。その胴から生えた九つの蛇の首たちが、一斉に咆哮する。
『ミョギャアアアアアアアアアアアッ!!』
首は首で、それぞれが丸太ほどの太さだ。あんなものを足場に叩きつけられようものなら、ひとたまりもない。
「ちょっとなによあれ! 凍らせてどうこうとかそういう次元じゃないんだけどッ!」
「多頭蛇……ッ⁉ この地域には生息していないはず……! 吐き出す液には毒があるぞ、気をつけろッ!」
アイナの言を肯定せんと言わんばかりに、多頭の蛇の一匹が毒々しい深緑の液を吐き出した。飛び来た液は、黎一たちの行く手を阻む位置にジュッと音を立ててに着弾する。
「ひッ⁉」
蒼乃が息を吞む。見れば毒液によって石材が溶け、道の半ばまでがこそぎ取られている。
淡水蛇たちもまた、合いの手とばかりに水流を吐き始めた。やむなく来た道を戻るが、回り込むように別の淡水蛇の集団が湧いて出る。
「チッ……ヤナギ殿ッ!」
アイナが、ちらと後方に目をやった。
ふと気づけば、湖畔からはかなりの距離が空いている。
(頃は良し、ってことかッ!)
「勇紋権能、万霊祠堂……!」
力を繰る言葉とともに、意識が薄暗い祠堂へと飛ぶ。
墓石のように並び立つ石碑は、今在る力を示すものだ。欲する力を示す石碑へと、意志の手を伸ばす。
「風巧結界ッ!」
黎一の意志に選ばれた能力によって、周囲に風の力が満ちる。
逆落としの前にも使ったもので、周囲の風の魔力を強化できる能力だ。のみならず、風を弱点とする水の力を弱める性質もある。
「キシャ……アアアアッ……」
「ミョオォオォ……」
水面から顔を出す蛇たちが、力ない悲鳴を上げる。
先ほどから出てくる魔物たちは湖で生まれたからか、すべて水を顕す青色に染まっていた。風の力が強まれば、その力は大幅に落ちる。
「封雪叫風ッ!」
幾度目かの冷気が、多頭蛇の周辺を凍てつかせた。
水蛇たちは、反撃とばかりに水流を浴びせかけてくる。が、蒼乃の張る風の結界の前に散らされ、ただの水飛沫と化す。
「んなろ……ッ!」
黎一が隙を突いて放った風刃が、背後に群れていた蛇たちを斬り裂いた。
それを見た蒼乃は、張っていた風の結界を自らの身に纏う。
「勇紋権能……! 無足瞬動ッ!」
蒼乃が、もうひとつの能力を解き放った。
万霊祠堂で貸し出した能力で、使用者の次の一挙動に超高速を与える効果だ。
(蒼乃も解禁か! ヤバい時はすぐ使う、とか言ってたわりには引っ張ったな!)
風を纏い、空を翔けた蒼乃は毒液と水流を躱しきり、またたく間に多頭蛇へと迫る。
まともに使うとコントロールがしづらいうえ、加重による反動が筆舌に尽くしがたいという、なかなか扱いづらい能力である。しかし風の結界を纏える蒼乃が使えば、両方の欠点を解消できるのだった。
「斬空風刃ッ!」
そのまま短杖の先端に生んだ白く渦巻く風の刃を振るい、正面にいる水蛇たちを薙ぎ払う。
アイナはその間に、腐食した箇所を飛び越えて多頭蛇のほうへと走っている。
(増援はいねーな……! 決着をつけるッ!)
意を決して、走り出した。
蒼乃が振るう風刃が、多頭蛇の首の数本を斬り落とす。だが斬ったそばから、ぬるりと新しい首が生えてくる。
(たしか神話の誰かさんは、首叩き斬って岩の下敷きにしたんだよな!)
元の世界で語られていた伝説を思い出しながら、能力を切り替えた。
蒼乃も首の相手は無駄と悟ったか、結界は維持しながらも近くの足場に降り立っている。
「剣舞――空蝉」
代わりに、アイナが宙を舞う。幾筋もの黄金色の閃光が、檻のように巨体を包んだ。
多頭蛇は時折見えるアイナの姿に翻弄されながら、徐々にその首と身を削ぎ取られていく。
「空を漂う風竜よ! 貪り食らえ、我が敵を! 風竜顎咬ッ!」
蒼乃の言葉が喚んだ風が、小さな竜巻となって多頭蛇を喰らう。
風が止んだ時、その巨体は無数の斬り傷に覆われていた。
(つまり、消し飛ばせばいけるってことだッ!)
「勇紋権能……魔力喰鬼ッ!」
風巧結界、アイナが創った黄金の檻、蒼乃の竜巻――。それらが遺した風の魔力のすべてが、黎一の剣へと集中する。
周辺の魔力をすべて吸収し、一点に収束する能力だ。展開した巧結界も吸収できるため、とどめの一撃としてすこぶる相性が良い。
「……じゃあな」
黄金に染まった愛剣を、振り下ろす。斬撃とともに生まれた巨大な金色の弧が、多頭蛇の巨体を吞み込んだ。
かすかに蛇の断末魔が聞こえる。だがそれもすぐ、荒ぶる風の中に消えていった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました!
お気に召しましたら、続きもぜひ。




