水面に潜む怪
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草木匂いたつ森での戦いは、冒険者たちの優勢で進んでいた。
魔物の数が溜まってきたら、蒼乃が浮かべる風弾で強化した剣魔法を撃ちこむ。注意すべきは、時おり出てくる上位小鬼くらいのものだ。それすらも、御船や四方城といった勇者の前衛たちがまたたく間に打ち斃す。
「微風排撃!」
木々の合間に、蒼乃の声が響く。穏やかな風弾が、飛びくる水弾と数条の矢を絡めとった。
その隙に、難を逃れた冒険者たちが魔物たちを次々と討ち取っていく。いくばくかの脱落はあったが、全体の九割ほどは健在に見えた。
(よくサボりやがるぜ……)
黎一は小康状態となった戦線から、隣の蒼乃に視線を移す。
戦端が開いてからしばらく経つが、蒼乃自身はほとんど攻撃に参加していない。補助魔法をかけたり、投射や水弾を打ち消しているだけだ。天晴とばかりのサボりっぷりである。
(そりゃまあ、手数を少なくするなら俺が攻撃したほうがいいんだけどな……)
眷属の能力を無条件で行使できる勇紋共鳴は、主上の特権だ。
これにより黎一は魔律慧眼と魔力追跡を組み合わせることで、属性の”色”を持つ存在ならなんでも魔法の対象にできた。この要領で剣魔法に蒼乃の魔法を喰わせて強化すれば、最小限の魔力で最大の攻撃が放てる、というわけだ。
(攻撃魔法は魔力を食うから、こういう状況なら二人でズンドコ攻撃するより効率いいっちゃいいんだが……。なんか納得いかねえ)
視線に気づいたのか、蒼乃がすまし顔を向けてくる。その表情は、「別にいいじゃん、温存って言われてるんだから」などと言っている気がした。
うんざりして視線を前方に戻すと、少し先に森の切れ目が見える。
「もうすぐ森を抜けるッ! 陣形そのまま! 側面や後方からの攻撃に注意せよ!」
ロベルタの号令から、ものの五分もしないうち――。
森を抜けた先に、煌めく青が広がった。
(ほぅ、遠目からでも綺麗だったけど……見事なもんだな)
湖畔の景色に、思わず目を細める。
豊かな水をたたえた湖が、真夏の日差しを受けて燦然と輝いている。湖面には丈夫そうな丸太と石材を組み合わせて造られた歩道があり、湖の中央にある離れ小島まで続いていた。これを使って、迷宮跡地まで進むのだろう。
(魔力が枯れてる、なんて風には見えねえけどな……?)
湖岸も、ところどころに低木が生えた緑豊かな草地だった。
最初に聞いた時点で想像していた荒れ果てた湖とは、似ても似つかない。しかも森にはあれだけ群れていた魔物が、ただの一匹もいない。
「よし! 円陣を組んだ後、休息! 湖からは十分に距離を取れっ!」
どやどやと円陣を組んで座り込んだ冒険者や級友たちに、天叢や光河が回復魔法をかけ始める。
だがアイナをはじめとした熟達の冒険者たちや四方城、御船といった面々は、緊張した面持ちのまま円陣の外側に立っている。
(たしかにおかしい……。静かすぎる)
凪の静けさの中、不意に水面が揺れた。
視界を魔律慧眼に切り替え、音のしたほうを見る――。
(……ッ!)
――いた。
青く細長いなにかが岸辺を指して、水の中を身をくねらせ迫ってくる。
「……来るぞッ!」
叫ぶ暇もあればこそ。盛大な水しぶきとともに、それは姿を現した。
青いまだらに似た模様をもった細長い身体は、水面に出ている部分だけで二メートルはある。鎌首をもたげた姿は日本のおとぎ話に出てくる龍に似ているが、先端にある頭は蛇のものだ。その数、三匹。
『キキシャアアアアアアアッ!!』
「淡水蛇だとッ⁉」
三匹分の雄叫びと、アイナの鋭い声が重なった。
円陣に向いた淡水蛇の口から、水流が迸る。刃のごとき鋭さを持った水が、座っていた冒険者たち数人を斬り裂いた。流れた血潮が、湖岸の美しい緑を濡らす。
「回復止め、円陣を組みなおせ! 森からも来るぞッ!」
ロベルタの声に振り向けば、湖畔を囲む森からも一斉に魔物たちが押し寄せてきていた。ぱっと見でも、森の中で相手取った数より多い。
(水中からの攻撃に合わせた⁉ 魔物が統率されてるってのか……⁉)
考えていると、脇腹を細いなにかにつつかれる。
気づけば短杖を構えた蒼乃が、黎一を見ていた。湖に着いた以上、もはや温存令は解けたと言いたいらしい。
頷きだけで応じると、湖岸へと駆け出す。愛剣に風を纏うと、なおも水流を吐き続ける淡水蛇の一体に切先を向けた。
「いっ……けえっ!」
突き出す剣から放った風は鏃となり、蛇の頭を目がけて突き進む。
だが淡水蛇は、すぐさま頭を水中にひっこめた。魔力追跡で別の一体を追わせるが、こちらも同じ結果に終わる。かと思うと少し離れた位置からふたたび顔を出し、円陣に向けて水流を吐きつける。
(モグラ叩きかよッ! だったら……!)
黎一のイメージに導かれ、刀身に纏う色が風を顕す黄金から水を顕す青を経て、透明感のある水色に変わった。
水から派生する力――すべてを凍てつかせる、氷の力だ。
「これで……どうだッ!」
振り下ろす。
狙ったのは淡水蛇の頭ではなく、鎌首を生やしている水面のほうだ。さすがに気づかなかったのか、首の周りの水面が凍りつく。
蛇の顔が、それと分かるほどの動揺の色に染まった。
「ギシャッ……⁉」
「――穿刻」
身動きの取れなくなった淡水蛇の頭を、アイナの滴る声とともに放たれた飛びゆく刺突が襲う。頭部を刻まれた蛇の身体が、凍れる水面に斃れ伏した。
「冷厳なりし吹雪の御霊、我が意に応え楔となれ! 封雪叫風!」
蒼乃の、力導く声がこだまする。
刹那の間の後、密集して水流を吐いていた淡水蛇二体の首元にある水面が分厚い氷で覆われた。凍結させての潜水阻止を見て、即座にアレンジした風の攻撃魔法を放ったのだろう。
(よっしゃナイス! いつの間に水属性使えるようになったのか知らんけど!)
「勇紋共鳴! 魔力追跡! ……いけえっ!」
蒼乃の魔法がわずかに遺した風を喰った黄金色の刃は、狙い違わず二つの蛇の頭を薙ぎ砕いた。
背後を顧みると、湖畔は森から寄せてきた魔物たちで溢れ返っている。
(クソッタレ! さすがに温存とか言ってる場合じゃ……)
「……国選勇者隊! 迷宮跡地までお進みなさいッ!」
声のほうを見れば、ロベルタが黎一たちに顔を向けていた。
真新しかった剣も具足も返り血で汚れ、大盾に至ってはなにかの臓物で汚れて家紋が見えなくなっている。
「でも湖畔を制圧してからじゃ……っ!」
「あなた方が進めば、湖面の魔物の注意が向きます! そちらは頼みました!」
(うっわさりげなく無茶振りしやがったよ、このお嬢様ドリル!)
蒼乃の声を制して言うロベルタに、声なき声を荒げる。つまるところ、「さっさと湖上に出て、未だ湖に潜んでいるであろう魔物をすべて相手取れ」ということだ。
ちらと円陣のほうへ視線を向けた。天叢たち主力は依然として健在だが、他の級友たちには明らかに疲れの色が見て取れる。
(ええい、クソッ!)
「……行くぞ!」
アイナと頷きあい、なおも躊躇の色を見せる蒼乃に声をかける。
蒼乃は少しだけ口許を引き結ぶと、頷きだけで応じた。
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