蠢動の湖畔
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黎一たちはロベルタに先導されて、かぐわしい草の香りに満ちた道を登っていく。登り切った先は、丘の上にある開けた草地だった。まだ朝だというのに、冷風魔法を使っていても自然と汗が噴き出てくる。
「まずは、戦場の状況からご覧いただきましょう」
甲高い声で話すこのロベルタは、冒険者ギルドにおけるレオンの補佐役だ。
普段の服装はスーツに似たギルド職員の制服だが、今は磨き抜かれた金属甲冑を着込んだ上から緋色の外套。腰間には長剣と、いかにも姫将軍といった出で立ちになっている。
(この人が指揮官、ねえ……)
ギルド職員たちが実際の冒険の場に立つといったところを、黎一は見たことがない。駐屯地の冒険者たちは、百以上はいた。
(マリーさんの友達らしいから、よくて二十歳かそこらだろ? 指揮官なんて務まるのかよ……?)
そんなことを考えている間に、一行は丘の縁までやってきた。坂を下った先は森になっており、その先には綺麗な円形の湖が朝日を受けて輝いている。
(こういう時こそ……こいつだな)
視界を、魔律慧眼の形態に切り替える。
異世界に降り立った際に、最初に使えるようになった能力だった。魔力を属性に応じた色として視認できるもので、守護属性の判別はもちろん、場に満ちた魔力を使って攻撃に利用することも可能になる。
(ま、バカとハサミは使いようってなもんだ。さてさて……)
当初こそハズレ能力扱いされていたが、こうした偵察に用いる他、攻撃魔法や他の能力と組み合わせると中々に有用なのである。
差し当たり手前から、とばかりに森の中を見た瞬間――。
「うっ、げ……」
「ちょっと、なによ……。そんなにヤバいの……?」
思わず出た呻き声に、蒼乃が不安げな声をあげる。
森そのものは土の属性色である、うっすらとした淡い緑に満ちている。だがその中に、無数の青い光が蠢いていた。大きいものから小さいものまで、ざっと見ただけでも百や二百では利かないだろう。
「本部の魔力検索で確認した限り、魔物の数はざっと三百。戦闘が始まれば周囲からも集まってくるでしょうから、あわせて五百といったところでしょう。なぜか窪地の外に出ようとしないのが、せめてもの救いですわね」
「は、はあっ⁉ そんなにいるんですかっ⁉」
淡々としたロベルタの言葉に、蒼乃が素っ頓狂な声をあげる。
だが隣のアイナは、わずかに苦笑したのみだ。
「なかなか、賑わっているな。……で、こちらの数は?」
「現時点で総勢、三百。うち勇者が国選勇者隊のお二方を含め五十組、計百名。緊急討伐依頼をかければ、段階的に百名ほどは呼べましょうが……。できれば現有戦力だけで決着をつけたいものですわね」
「え、ちょっ……。いやいやいや冗談ですよねっ⁉ 相手、倍近くいるんでしょっ⁉」
「こちらは半数近くが勇者だろう? このあたりの魔物はそれほど強くない。小手調べにはちょどいいんじゃないか?」
(やけに準備が早いと思ったら……。こういうことかい、レオン殿下め)
ロベルタやアイナの事もなげな言葉に、心の中で毒づく。
既存の有力な冒険者たちを駆り出さなくとも済むように、国選勇者隊の選抜試験をエサにして勇者たちの参加を促したのだろう。
「なあに、こちらには”百伐の対”がいるんだ。今のそなたらなら、百や二百を討つくらいは造作もなかろう?」
いつの間にか黎一の顔を見ていたアイナが、くすりと笑う。感情が顔に出ていたらしい。
(……疲れるから却下で)
「気軽に言わないでくださいよ! ほんっとに死ぬかと思ったんですからっ!」
考えは同じだったのか、蒼乃と同じタイミングで拒絶の意を示す。もちろん、言葉に出す勇気はない。
ロベルタはそれを見て笑うと、改めて黎一たちに向き直った。
「この丘から逆落としに仕掛け、一気に湖畔まで出ます。お三方は湖上での戦いに備えて、温存なさってくださいまし。では、後ほど……」
そう言って、ぼちぼちと丘に集まってきた冒険者たちの群れへと入っていく。
不意に、蒼乃と目が合った。一瞬なにかを言おうとしたように見えたが、すぐに顔を背ける。黎一は湖畔に蠢く青い光たちに一瞥をくれると、小さくため息をついた。
* * * *
それから一時間もしないうちに、丘の上は武装に身を固めた冒険者たちの姿で満たされた。動きや防具の具合からひと目で分かる熟達の者たちから、制式装備に身を固めた初心者まで様々である。ざっくりした男女比は、七対三くらいだろうか。
(色とりどり、より取り見取り、ってか)
黎一は、あたりを見渡しながら独り言ちた。
冒険者たちは兵科ではなく、いわゆる編隊同士で固まっている。さすがに盾を構えた前衛役は最前列、杖を構えた魔法士と思しき者たちは後方に位置しているが、他の者たちは雑然とした並びだ。
(……といっても案外、統率は取れてるのな)
冒険者などは脛に傷を持ったならず者の集まりくらいに思っていたのだが、そうでもないらしい。
ちなみに黎一と蒼乃がいるのは、ちょうど全体の真ん中に位置する群れの中だった。ロベルタの指示に因るものだが、ともに魔法士であることも鑑みての配置だろう。
(この位置なら戦況を見やすいし、最悪すぐに前に出られる。もっとも、あんまり戦うことはできないけど……)
やがて、ロベルタが一群の前に立った。先ほどの甲冑と緋色の外套に加え、左手に身の丈ほどもある家紋入りの大盾を持っている。
なんでもロベルタの実家であるカストゥーリア家は、国内でも有数の軍閥貴族なのだそうだ。
(え……? あの人、指揮官なのに前衛なの……? マジで?)
「皆、栄光の旗のもとによくぞ集った! これより、アンドラス湖畔の奪還作戦を開始するっ!」
「……いいからさっさと始めろい」
「いいぞ~、ロベルタちゃ~ん」
精一杯張り上げているのだろう甲高い声に、熟達者らしき面々から野次が飛ぶ。このあたりはいかにも冒険者らしい。
だがロベルタはそんな声を意に介さず、なおも大音声を上げる。
「本作戦は湖畔に群れる魔物の掃討、ならびに”木と湖が詠う迷宮”跡地の魔力封印作業の完遂である。なお跡地の起点確保と封印作業の護衛は、国選勇者隊が担当する。他の者たちは、魔物の掃討に尽力してほしい」
「オレたちゃ露払い、ってことかい……」
「でも迷宮の跡地って魔物出ねーんだろ……?」
「国選勇者隊さんにも、ご協力いただいたほうがいいんでねえの?」
周囲の者たちの視線が、じろりと黎一たちへと向けられる。
ロベルタは一瞬、イラっとしたように目を伏せたが、すぐに声を張り上げた。
「ここより逆落としを仕掛け、一気に森林部を突破する! 各隊、構えっ!」
号令とともに、冒険者たちがおもむろに得物を抜いた。
周囲の魔法士たちが、編隊の面々に補助魔法をかけ始める。そのほとんどが、一人ずつ順繰りに補助魔法をかけていた。
この異世界において、広域魔法は練達の技とされている。技術もさることながら、大半の者は魔力の少なさ故に決して届かぬ領域だ。
(めんどくせえなあ。仕方ねえ、さくっと……)
「勇紋権能、万霊祠堂。風巧結界」
気づかれぬように言葉を繰って、能力を切り替え解き放つ。あたり一帯の風の魔力を増やす結界を創るものだ。
応えるように、風が吹いた。
「風よ、我らを導く翼となれ……風翼言祝!」
言の葉が風に乗り、あまねくすべてを包み込む。
唱えたのは言うまでもなく蒼乃だ。周囲の魔力を扱う術を知っていれば、こうしたことも可能になる。
使った魔法も風の加護で敏捷性を上げる効果ゆえ、突撃には最適だろう。口はきかずとも、やりたいことは察してくれたらしい。
「補助魔法……⁉ こんな大人数に一瞬で……」
「あれが国選勇者隊……」
野次混じりだった声は、いつの間にか静かな感嘆に変わっていた。これで少しは士気もあがるだろう。
ロベルタも頃は良しと見たのか、右手で剣を抜いて振り上げる。
「全軍……突撃ッ!」
『オオオオオオオオオオオオッ!!!!』
ここだけは妙に堂に入ったロベルタの号令とともに、鬨の声が上がった。
最前列の冒険者たちが、一斉に丘の下へと駆け下り始める。
(さあて、行きますか)
敢えて、隣を見ることはしない。
黎一は愛剣を抜き放つと、人の熱が生む勢いに身を委ね進んでいった。
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