旅路にて
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七日後――。黎一と蒼乃は、街道をゆく馬車に揺られていた。
王室の紋章が描かれた特別手配の馬車であるせいか、乗り心地は悪くない。王国領内であるおかげか、街道も整備されているようだった。
(ほんと、しゃべらねえな。こいつ)
隣に座る蒼乃をちらと見る。窓の外を見たまま、一言も発しない。普段なら知的好奇心の赴くままに話しているのに、静かなものだ。
夜の屋敷で言い合いになって以来、ずっとこの調子だった。家事の分担と活性快体の無心だけはしっかりするものの、いつものおしゃべりがまったくない。
(ま、静かでいいことだ)
無理に話したいわけでもないので、黎一もまた窓の外に視線を移す。
馬車の外に、丘陵の景色が流れゆく。その中にはいわゆる古代ローマやギリシアに見られるような、石柱や石造りのアーチやらが入り混じっていた。かつて迷宮の底で見た、現代文明を思わせる遺構とは明確に違う。
「いつにも増して、険悪だな」
車輪の音の合間を縫って、凛とした声が馬車の中に響いた。
声のしたほうを見れば、対面に座るアイナが苦笑まじりの顔を向けている。
「「別に……」」
ぽつりと応じた言葉が、蒼乃と被る。
それを見たアイナは、くすりと笑った。
「喧嘩するのは結構だが、作戦に支障をきたしてくれるなよ?」
「分かってますよ……」
喧嘩の部分は否定せず、蒼乃はぶっきらぼうに言った。
――三人を乗せた馬車は今、作戦地域であるアンドラス湖を目指している。
フィーロの説得成功を知ってからのレオンの動きは早かった。級友を含めた勇者たちに作戦への参加を呼び掛け、さらには冒険者ギルドを通じて湖畔に群れる魔物の討伐依頼を公布する。高額報酬が確約された王国依頼である故か、志願者はまたたく間に募る。
準備を終えたレオンは、善は急げとばかりに湖畔への集合を命じたのだった――。
(毎度のことながら仕事の早いこって。魔物がわんさかいるんじゃ、放っておくわけにもいかねえんだろうけど)
作戦の日時に間に合うよう、各町で宿泊しながら馬車で領内を北上すること二日。あと一時間足らずで、アンドラス湖がある窪地の付近に到着するらしい。
なおこの間、蒼乃とは一言も口をきいていなかった。”剣”が言ったヒントらしきものも、未だに伝えることができていない。
(さすがに、伝えておいた方がいいよなあ……)
「外に見える遺跡……あれも焉古時代のものなんですか? 前に迷宮で見た感じと、全然違いますけど」
口を開こうか悩んでいる間に、蒼乃がアイナに問いかける。知的好奇心を刺激された以上に、喧嘩についての追及が嫌だったのだろう。
ちなみに焉古時代とは、五百年ほど前に竜人たちが創り上げた魔法文明である。その最盛にして最期の時代を指して、特にこう呼ばれている。
なんでもこの異世界の魔法技術はすべて、焉古時代の遺跡から発見された技術の転用らしい。各国がこぞって迷宮を開拓する理由その二、というわけだ。
「いや、違うな。あれはその次さ」
「次……?」
蒼乃が、エサに釣られた犬猫のような顔をアイナへと向ける。
対するアイナの顔には、気晴らしに付き合ってやろうと言わんばかりの笑みが浮かんでいた。
「竜人の文明である焉古時代が滅びた後、大陸には今の人類による文明が興ったとされている。いくつかの国の興亡があって後、やがて大陸はひとつの帝国に統一された」
窓の外に向いたアイナの視線の先には、丘に埋もれた神殿の屋根が見える。
大地とひとつになったその様からは、今の形になってから長い年月を経ていることが窺えた。
「フリーデン帝国……。自由の名を冠したその帝国は大いに隆盛し、三百年の平穏を築き上げた」
(どこぞの幕府も真っ青だな。これが元の世界だったら”自由帝国の平和”、とでも言うのかね)
「しかし永き平和は、帝国に澱みをもたらした。二百年前、とある豪族の独立をきっかけに次々と反乱が起きたそうだ」
アイナの語りは、立て板に水を流すように続く。
一介の冒険者なのに、なぜこれだけ学があるのか不思議に思う。
とはいえ話の腰を折れば、蒼乃の怒りを買うことは免れない。疑問を頭の隅に追いやり、アイナの声に耳を傾ける。
「時の皇帝が心痛で崩御したことをきっかけに、帝国は崩壊した。それでも帝室の一門は生き延びて機を待ち、大陸中央に巨大な国を築くに至った。それがこのヴァイスラント王国さ」
「……この国、けっこう歴史長いんですね」
「まあな。だが乱を起こした貴族や将軍、戦乱を逃れた国教の信徒たちもまた、大陸の各地でそれぞれ国を興したんだ。自然、大陸の覇権をかけた戦になった。かれこれ百年前のことだ」
(それが終わったのが、レオン殿下が言ってた十年前……?)
「で、今や迷宮と魔力の有効利用を見つけて掌返し……。みんなでお手々つないで、裏では技術革新と資源開発競争、ってわけですか」
蒼乃の棘がある言葉に、アイナはくすりと笑った。
ようやくいつもの調子が戻ってきたのを見て、安心したのだろう。
「そういうことだ。もっともそこに至った理由は、魔物の跋扈も大いにあるがな」
「ふうん……」
それっきり、蒼乃はふたたび窓の外の景色に視線を移した。顔は見えないが、雰囲気からして少しは気が紛れたらしい。
だがここで話しかけると、また険悪な空気に戻りかねない。
(仕方ねえ。こっちはこっちで聞くことあるし、な)
「あの……アイナ、さん」
「どうした? 改まって」
蒼乃の肩が、ぴくりと震えた気がした。
口を挟んでこないことを確かめると、アイナに向けて口を開く。
「なんで……万霊祠堂のこと、黙っててくれるんすか?」
万霊祠堂が覚醒した折、その場に居合わせたもう一人がこのアイナだった。
諸々の話をレオンに告げ口してもよさそうなものだが、一向にその気配がないのが疑問だったのだ。
「黙っててくれるのは嬉しいです。けど……」
口ごもる黎一を見て、アイナはふたたびくすりと笑った。
「誰にでも話したくないことはあるだろう……それだけだ。もし話す気だったのなら、国選勇者隊立ち上げの時に話していたさ」
アイナは目先の金よりも、各国の王室や貴族たちとの間に伝手を作りたがっている節があった。
理由は分からないが、万霊祠堂の秘密などは恰好のネタだったはずだ。それをしないあたり、偽りはないと思っていいだろう。
「それにそなたの力は、まだ不可解な点が多い。迂闊に頼れぬものなら、変に広めるべきではない……。だから少なくとも、私から誰かに話すことはない」
「アイナさんも……話したくないこと、あるんすか」
不意に、別の問いが口をついて出た。
アイナは少し驚いた顔をしたが、すぐに微笑に戻る。
「まあ、な」
ぽつりと言ったその顔は、なぜだか妙に哀しく見えた。
気づけば蒼乃も、不安げな表情でアイナを見ている。
「その……今じゃなくてもいいです。話したくなければ、話してくれなくてもいい。けどもし力になれることがあれば、力になります」
恩返しになるかすら分からない、精一杯の口約束。
アイナはしばし黎一の顔を見つめていたが、やがて嬉しそうに目を伏せた。
「……分かった。ありがとう」
小さく聞こえた言葉とともに、馬車の速度が落ちた。
窓から外を見れば、前方に小高い丘が見える。丘のふもとが目的地だ。
「さあ、そろそろだな。準備をするとしよう」
先ほどの雰囲気をしまい込んだアイナの言葉に、黎一と蒼乃はいそいそと防具を着込み始めた。
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