へたれ勇者
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無人の屋敷に響いた黎一と蒼乃の声に、マリーが盛大に仰け反った。
「そ、そんなにびっくりしなくたっていいじゃないですかぁ……」
「い、いやだって……まさか屋敷とは思わないし……」
「報酬って、ここ住んでいいんすか?」
蒼乃と黎一の言に、マリーは困った笑顔で口を開く。
「ほ、ほら、三人だと住む場所が一番困るじゃないですか。お兄様とも色々相談したんですけど、現物支給が一番いいよね、って」
(いや、現物支給のスケールがデカすぎるんよ……)
黎一の内心をよそに、マリーはさらに話を進める。
「ここ、元は貴族のご夫婦が住んでいたんですけど……先日お二人とも亡くなってしまって。跡取りもおられなかったので、国がまるっと接収したばかりなんです。このあたりなら王宮も近いし、邸宅自体に本部から監視や連絡ができる機能もついてますから。ちょうど良かったんですよ」
そう言いながら、マリーはリビングに掛かっている絵画のひとつに目を向けた。
初老の夫婦と壮年に差しかかったくらいの騎士が、簡素な額の中で微笑んでいる。おそらく跡取りがいなかったのではなく、先立たれたのだろう。
「皆さんのために国で用意したんですから、もちろん家賃は要りませんよ。フィロちゃんに関わるかぎりは、住居を担保する……。それがご協力いただく、お二人への報酬です」
もはや、言葉も出ない。蒼乃も今回ばかりは予想外だったらしく、狐につままれたような顔をしている。
と、その時、玄関のドアが開く音がした。するりと入ってきたのは、貫頭衣に身を包んだ青みがかったポニーテールの女性――アイナだ。
「邪魔するぞ……。やはりまだこちらにいましたか。そろそろ出発しますよ」
「えッ⁉ あああいっけない、もうそんな時間かぁ!」
「アイナさん、どうして……?」
「お姫様のお守りさ。話は聞いたよ、ここに住むんだってな」
なおもぽかんとした表情で聞く蒼乃に、アイナは微笑んで応じる。
「お守りって、んもうっ! 一言余計ですっ! あああもう時間ないっ!」
端末を見ながら慌てふためくマリーはどててっと走っていったかと思うと、リビングの入口のところで振り向いた。
「そんなわけでっ! 設備は全部使えるようにしてますから引っ越しはお早めに! 警備のことがあるんで終わったらわたしに連絡くださいっ! 家具や内装は変えてもいいけど負担はそちらでお願いしますっ! その他諸々、分かんないことあったらわたしまでっ! それじゃっ!」
ひと息にまくし立てたマリーが姿を消した後、ややあって玄関が閉まる音がする。
それを聞いたアイナは、くすりと微笑んだ。
「やれやれ……。じゃ、また仕事のほうでな。もっともそなたらと轡を並べる事態が起こるのは、あまり好ましいことでもないか」
「え、あっ、はい。そっすね……」
アイナはひらりと手をかざすと、マリーの後を追ってリビングから出ていく。
(いや、分かんないことって……まずこの状況が分かんねえよ)
退屈しそうにしていたフィーロが、蒼乃の手から逃れて二階へと駆けていく。
後に残された黎一と蒼乃はしばしの間、その場に立ち尽くしていた。
* * * *
屋敷の中を巡り終えて外に出ると、太陽は早くも西に大きく傾いた位置にいた。あと一時間もすれば、空が夕焼けに染まるだろう。足りなさそうな家具や備品を調べるのに、結構な時間を食ってしまった。
「ここに、住むんだな」
「……みたいね」
屋敷を見上げて他人事のように呟くと、フィーロと手をつないだ蒼乃もまたぽつりと応じる。
いきなり国の英雄として祭り上げられ、家族が増え、しかも屋敷持ちである。思考が現実にまったく追いついていない。今後も蒼乃とひとつ屋根の下で暮らすという事実よりも、霧がかかった前途に意識を奪われてしまう。
「ね、どうする?」
蒼乃がやはり、ぽつりと問う。
この後のことを言っているのではなく、これから先のことを言っているのだろう。
黎一はため息ひとつついた後、腰間の剣の柄に手をかけた。
「父さんを探す。そのためにまず、剣の封印を解く方法を探す」
前を見ながら、きっぱりと言う。
国選勇者隊の定額報酬があれば、フィロが増えたからと言って無理に仕事する必要はない。住居まで用意してもらえたのだから、なおさらだ。
(だからって、胡坐かいてるわけにいかねえ)
”剣”は、父である聡真の行方を知っているらしかった。五百年前の遺物から父の名が出る理由は分からない。だがかつてこの世界に父がいたのであれば、それは元の世界への帰還方法に繋がるかもしれない。
王国への肩入れに抵抗がないと言えば嘘になるが、情報網は絶対に必要だ。任務をこなして信頼を築けば、欲しい情報に手が届く可能性も高くなるだろう。
「なんだかんだで、帰りたいんだ?」
「……ムカつく母のツラ、もう一度拝みたくなったからな」
からかうように言う蒼乃にも、不思議と腹が立たない。ほとんど顔を見なくなった母親に、伝えてやりたい。「父は、あなたが愛した人は、たしかに生きていた」と。そのために、元の世界に帰る――今は、それでいい。
蒼乃はくすっと笑うと、傍らのフィーロをひょいと抱き上げた。
「よしっ、じゃあまずは引っ越し! 荷物少ないし家具もあるんだから、今日中にやっちゃお! で、明日は足りないものの買い出しっ! フィロちゃんの服も買わないとね」
「ふく⁉ かっていいの⁉」
「ふふっ、いいよ~? いっぱい買おうね」
フィーロの顔が、ぱあっと輝く。
蒼乃はそれを見て笑うと、空いた左手を空高く突きだした。
「よ~し、じゃあ……がんばろー! えいえいおー!」
「えいえいおー!」
フィーロも、蒼乃をまねて右手を突き出す。おそらく意味は分かっていないだろうが、その仕草はなんとも愛らしい。
戦で気勢を上げる言葉が、妙に心に染み渡っていく。
(そうだ……ここからだ)
すると蒼乃が、黎一のほうをくるりと向いた。
「ほら、一緒にやろ?」
「え、ええ……」
「そういう顔しないの。こういう時は勢いが大事よ? へたれ勇者さん」
(誰がへたれ勇者だ)
心の中で反論する。が、すぐにふっと顔が綻んだ。
(……まあ、悪くねえか)
そんなことを考えているうちに、蒼乃はふたたびフィーロと顔を見合わせる。
「じゃあもう一回……」
「「えいえいおー!」」
蒼乃が、なおもちらと見てくる。
黎一は仕方なく、ため息まじりに小さく拳を掲げた。
「……おー」
小さく呟いた気勢は、朱色に変わり始めた空へと吸い込まれていった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました!
当初は1章のみ掲載の予定でしたが……しばらくノベプラと併載してみようかと思います。
以降は、毎週金/土18時の週2回更新です。
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