優しき黎黒
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――その夜、宿屋”揺籃の地”での打ち上げが終わった後。
黎一はフィーロを寝かしつけるべく、宿屋のベッドに横たわっていた。普段は蒼乃が使っているせいか、慣れない香りが鼻をくすぐる。最初はベッドのへりに腰かけていたのだが、フィーロが横になってくれというので仕方なく横になったのだ。
(腹が、はち切れる……)
級友たちがそれぞれの帰路についたのは、ついさっきのことである。料理は例によって引きもきらず、有言実行でタダ飯をたかりにきた級友たちとともにようやく平らげた。
(女将さんよ……。嬉しいのは分かるけど、もうちょい手加減してくれや……)
フィーロの食事を手伝いながら過ごしていると、すでに時刻は夜半に近くなっていた。疲れと食べすぎで限界に近い身体を引きずりながら級友たちを見送り、舟を漕ぎ始めたフィーロをベッドに運んでの今である。三つ四つの女の子を寝かしつけるには、遅いくらいだ。
(うおおう、ねっむ……)
満腹も手伝ってか、瞼と意識に強烈な眠気が迫ってくる。今までなら寝具から女性の匂いなどした日には、まず眠れなかっただろう。だがその感覚は、群れをなして襲い来る睡魔の前にあっけなく蹴散らされていた。
(ま、よく考えたら無理もねえか……)
迷宮の討伐をやるというから行ってみれば地の底に叩き落され、見ず知らずの遺跡で伝説の獣と一戦交えたのである。おまけに悪意ある級友の断罪に付き合わされ、果ては英雄扱いときている。
一日で、色んな事がありすぎた。高校で過ごしていた頃の日常とは、比べ物にならない。
(それでも、生きてるな……)
ぽつりと思った時、反対にいたフィロがごそりと動いた。
「れーいち、おねむ?」
「うん、おねむ……。フィロも、早く寝な……」
回転が鈍くなった頭から言葉を捻り出し、眠りを促す。ここから元気になられると、非常に面倒だ。
しかしフィーロは期待に背くように、黎一の頬をぺたぺたと触り始める。
「どした、フィロ……」
「れーいち、あのね」
「……うんん?」
「フィロね、おとーさんとおかーさんにあった」
「ふぅん……?」
「ねてたらね、おとーさんとおかーさんがでてきたの」
――途端、睡魔の軍勢に蹂躙されかけていた意識が、息を吹き返す。
思わずフィーロの顔を見ると、微笑みを浮かべながら黎一を見つめていた。
「夢に、出て来たのか……?」
「うん。おかーさんがね、ふたりにちゃんとおれいゆーんだよ、って。おとーさんはね、ちゃんとふたりのゆーことをきくんだよ、って」
その言葉を聞いた瞬間、肩の力が抜けた気がした。無意識のうちに、大きなため息が出る。
寝返りを打って、天井を見た。
(恨んで、なかったのか。あんたは……)
記憶の中の姿に、言葉を投げかける。
目の前で死なせてしまった、何もできなかった。気づかぬうちに、そんな思いがずっと燻っていたのかもしれない。
自分を、責めないで――そんな声が、聞こえた気がした。
(……ありがとう)
心の中で礼を言うと、フィーロの手がふたたび頬を撫でた。見ると、その瞳から大粒の涙が流れている。
「おとーさんと、おかーさんね……もう……」
真っ暗な部屋の中、フィーロはあどけない口許から言葉を紡ぐ。
「もう、もどって……こない、って」
(やっべ! このまま泣いたら……!)
鼻をすすり声を詰まらせる様に、焦燥が生まれる。
フィーロの力は、感情の発散によって発動すると聞いた。力の効果範囲がどれほどのものかは分からないが、ここは王都ど真ん中の宿屋だ。派手に泣き喚かれようものなら、このあたり一帯の魔法設備が止まりかねない。
(ええいっ!)
舌打ちしたい気持ちを抑えて、フィーロを抱きしめる。手は頭にあてて、髪を撫でる。
「俺がいる。ルナも、いる」
ぽつりと言った。すぐ後で、蒼乃を名前で呼んだ気恥ずかしさに身体が火照る。
「れーいち……」
「だから……心配、するな」
言いながら、背をぽんぽんと叩いてやる。
フィーロの身体の震えが、徐々に収まっていくのが分かった。しばらくすると瞼が落ち、すうすうと寝息をたてはじめる。
それを見た瞬間、どっと体の力が抜ける気がした。
(あ、あぶねえ~っ……)
深くため息をつきながら、フィーロを起こさぬように寝返りを打つ。
不機嫌で癇癪を起こした時にも力が発動したと聞いていたので、あやすのもひと苦労である。協力を促す前に、感情を制御できるようにするのを優先したい。とはいえ年齢や境遇を考えると仕方ない部分もあるがゆえに、先が思いやられる。
(この調子で、王国の依頼こなすとかできんのか……?)
さすがに子供連れで、相部屋になっているわけにもいかない。宿を変え、今度こそ二人部屋に分けて、交互に面倒を見るか。でも二人で仕事に出る時はどうする――?
先々のことを頭に巡らせていると、間仕切りしたカーテンの外で鍵が開く音がした。程なくして、ドアが開く音とともにひとつの気配が部屋に入ってくる。
「フィロちゃん、寝た?」
部屋着に身を包み、頬を紅潮させた蒼乃は、何故だか妙に艶めかしく見えた。
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