消える者、託す者
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翡翠の輝きを持った角が、宙を舞う。それはくるくると回りながら落ちてきて、やがて遺跡の床へと突き立った。
黎一はその様を、へたり込んで見つめていた。隣には蒼乃が、やはり無言で呆けている。視界の端からは、アイナが刀を杖に歩いてくるのが見えた。
「寝惚けか油断か……。いずれにせよ、言い訳よな」
ガディアンナは最後の角を折られても、なお悠然と立っている。
角が折れた額から、血は流れない。煌めく翡翠色の光と、苔色の靄が噴き出ているのみだ。先ほどの”剣”の言から察するに、この光と靄こそがガディアンナの血肉なのだろう。
「そなたらも大したものだ。女子らよ、名を聞こう」
「ルナ。……ルナ・アオノ」
「……アイナだ」
二人の名を聞いたガディアンナは、ふっと笑った。気品のある顔は、やはりどことなく母に似ている。
そんなことを考えていると、ガディアンナの背後に巨大な獣が現れた。先ほど打ち倒した地精王獣の身体だ。四肢も胴も無数の斬り傷と火傷に覆われ、眼に意志の光はない。しかしふたたびガディアンナが内に宿れば、話は別だ。
(まだやるってのか……?)
「フフッ、そう気負うな。我を愉しませた褒美だ。この身体はくれてやる。好きにするがいい」
事もなげに言うガディアンナの身体は、徐々に霞んでいた。
手先や爪先、銀髪の端から翡翠色の輝きが放たれる。それはすぐに、苔色の靄へと姿を変えた。
「その顔、やはり似ているな……ソウマに」
「……ッ!!」
(なんで、その名前が出てくる)
それは、聞くはずのない名。聞きたくなかった名。だが、どこか繋がっているような気がしていた名。
ソウマ――八薙聡真。あの夏の日に消えていった、父の名だ。
「なんで、なんでお前が……ッ!」
「フ、ハハッ……知りたくば、探せ。この世界の、何時かの何処かにいる……あやつをな」
からからと笑う顔とは裏腹に、ガディアンナの下半身は消えていた。残った上半身も、苔色の靄の中に呑まれていく。
「我、は……しばし、眠る……。時の果てで、ふた、たび、相見える、ことがあらば……」
頭部だけになったガディアンナが、微笑む。
「ま、た……死合おう、ぞ」
言葉は残響となり、すぐにそれも消える。静まり返った遺跡の研究施設には、巨大な獣の骸のみが遺された。
「……終わった、の?」
「そう考えていいだろう。おそらく外の小さな木立の迷宮と、魔物たちも消えたはずだ」
アイナが疑問に応えると、蒼乃が勢いよく振り向いた。例によって知的好奇心を刺激されたらしい。
「迷宮が、消える?」
「そういうものなんだよ。なんでも迷宮は、迷宮主の夢らしい」
「夢、ですか? 実体として存在してるのに……?」
「ああ。迷宮主の想い出や大切なもの、想い描いたすべてが具現化されたものが迷宮。周囲の動植物が想いや魔力に中てられ、変異したものが魔物……らしい。まだ仮説の段階だがな」
アイナの言葉を聞いた蒼乃は、彼方を見つめた。その視線は、かつてガディアンナが眠っていた場所に向けられている。
「きっとあの礼拝堂や自然豊かな土地が、想い出の場所だったんだ……。そこに踏み込まれたら、そりゃ怒るよね。なんか悪いことしちゃったのかも」
蒼乃の申し訳なさそうな言葉も、黎一の耳にはほとんど届いていなかった。ガディアンナが遺した言葉が、頭の中に何度も繰り返される。
(父さんが、異世界に……? しかも、まだ生きてる……?)
『……ずいぶん、お悩みじゃねえか』
脳裏に、”剣”の声が響いた。
心なしか、先ほどよりも少し擦れている気がする。
(おい、教えろ! あんたも父さんのこと知ってるのかっ⁉)
『ま……。教え……やっ……いいが……そ……前に、条……が、ある』
「おい、あんた⁉」
思わず出た声に、蒼乃とアイナが振り向く。だが”剣”の声が聞こえない故か、じっと様子を見守っている。
『チッ、あの牛の影響……消え……ば、いけ……と思……が……。ぶはっ! おいっ、さっさとこのほっかむりを取ってくれっ!』
「な、なんて?」
『黒くこびりついてるヤツだっ! こいつを取ってくれっ!』
「どうやってっ!」
『こまかく教えてる暇はねえっ! とにかく早くしろっ! そし……ら……』
一度は元の大きさまで戻った”剣”の声が、急激に小さくなっていく。
『お前、たち……知り……たいこ、とを、教え……て……』
それっきり、声は聞こえなくなった。脳裏で聞き返しても声で問うても、応じる気配はない。
剣を思いっきり床に叩きつけてやろうか――。そこまで考えた時、蒼乃がすっと寄ってきた。
「声の人、どしたの……?」
「聞こえなくなった。この黒いやつ取ったら、お前らが知りたいこと教えてやる、だとさ」
ぶっきらぼうに応じると、蒼乃はしばし考えこんだ。だが、すぐに顔を輝かせながら口を開く。
「ねえ。声の人さ……お前ら、って言ったの?」
(だからこっちに話を振るな)
「あんたじゃなくて、お前ら、ってことはさ。私も込みだよね?」
(だからそれがなんだって……)
相手をするのが面倒になって、無言を貫こうと決意した時――。
蒼乃が、面白そうな顔で言葉を続けた。
「それ、もしかしたら……私たちの世界に帰る方法、じゃないの?」
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