手を取り合って
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黎一はひとり、ガディアンナと対峙した。物言わぬ計器類に剣が在った石櫃しかない遺跡の端だが、見えないなにかが戦いを見守っている気がしてくる。
一本だけ残ったガディアンナの前角は肥大化し、今や翡翠色の剣のごとき大きさになっていた。その見た目は、もはや牛というよりサイに近い。
(これで落とせなけりゃ……!)
ぎり、と奥歯を噛みしめ、脚に力を込める。
蒼乃とアイナは、視界の端でうずくまったまま動かない。生きてはいそうだが、放っておいていいわけでもないだろう。
「……やはり、似ているな」
そんな黎一の気勢を殺ぐように、ガディアンナがぽつりと言った。見れば、なにかを懐かしむかのような笑みを湛えている。
「小僧、よくぞここまで戦った。誉れ高き戦士として、名を聞こう」
「……レイイチ。レイイチ・ヤナギ」
威厳のある声に気圧されぬよう、腹から声を出して名乗る。
『レイイチだぁ……? カカッ、なるほどねぇ……』
それを聞くなり”剣”どころか、ガディアンナまでがくつくつと笑いだした。
「フッ、ハハハハッ……。そうか。合点がいったわ」
悟りきった言葉とともに、戦斧が一振りされた。その姿が、片手で振るえる長さの斧槍へと変化する。アイナの斬撃で左手指を失ったためだろう。笑みを湛えた顔が、ギラつく獣の顔へと変わった。
「よかろう、レイイチよ。……来いッ!」
(なんだか、知らねえがッ!)
「勇紋権能――万霊祠堂! 一心深観!」
ふたたび、動体視力を向上させる能力へと切り替える。周囲の魔力が尽きた以上、魔力喰鬼を保持したまま戦う意味はない。
黄金の竜巻と化した剣を構えて、ガディアンナへと突進する。互いの距離が、一気に詰まった。
「ッハアッ!」
振り下ろされた斧と、横薙ぎに繰り出した剣が交差する。炎と風、土の魔力がぶつかり合うのを、肌で感じる。烈しい衝撃が生まれ、弾かれるように距離を取る。
剣に魔力を纏いなおすことは考えない。ガディアンナがそれを許すとは思えないし、なにより体力が保たない。剣が纏う魔力が尽きる前に、角を折れれば勝つ。折れなければ――。
「にゃろうッ!」
迷いを振り切って、剣を振るった。纏った炎と風の力が加わっているのか、敵の得物の重さをものともせずに弾き飛ばす。しかし一合、また一合とするたびに、剣が纏う黄金の竜巻は少しずつ輝きを失っていく。
(保って、くれよッ!!)
赤と黄金の魔力を想起する。少しでも色が戻れと念じながら、剣を振るった。今、剣の魔力を失えば角を折ることはできない。つまり魔力追跡を利用した剣魔法は使えない。
祈りが通じたか、斬撃を受けた斧の刃に亀裂が入った。それを見たガディアンナはニッと笑ったかと思うと、刃を返して槍の穂を使った刺突を繰り出す。
「オオオオオオッ!!」
咄嗟に横へと躱した後、その穂先を目がけて剣を振り下ろした。甲高い音とともに、斧槍の穂先が斬り折れる。
「大した剣だ! 中身はともかくなッ!」
『黙れや牛女ァッ!!』
”剣”の罵声を、意に介す暇もない。ふたたび色褪せた赤金の竜巻に、なけなしの魔力を供給する。
刹那。剣に力を吸われるような感覚に襲われる。
(魔力欠乏症、か……? とっととケリつけねえと、やべえな……ッ!)
その間、斧の柄を打ち棄てたガディアンナは大きく距離を取っていた。両手を床につけんばかりに身を屈めると、前角を前に出す形で突進の体勢になる。
「仕舞いにしようかッ!!」
吼えたガディアンナが飛び出した。目まいと倦怠感で、わずかに反応が遅れる。
やむなくその場で、猛進してくるガディアンナの角を狙って、剣を横薙ぎに振るった。剣と角がぶつかり合い、赤色と金色、苔色と翡翠色の光が飛び散った。朽ちた遺跡の空間にふたたびガディアンナの魔力が満ちたのが、魔律慧眼がなくとも分かる。
『おい、なにやってんだクソガキッ! 押し切られるぞッ!』
幾度目かの激突の中、翡翠の角の輝きが増した。対する黎一の剣が纏う竜巻は徐々に色を失っていく。
「フ、ハハハッ……! 人の身としては、よくやった……ッ!」
わずかに顔を上げたガディアンナが、笑った。その顔を見た時、ふたたび母の面影が心に押し寄せる。身体が震えた。力が抜けるのが、自分で分かる。
死にたくない。だが願おうが、祈ろうが、目の前に迫る力には届かない。
(ダメ、か……?)
ぽつりと、諦めが零れ落ちた時。
ぼやけた視界の端から、白い雷光が奔った。横合いから振るわれた渦巻く風の刃が、ガディアンナの角を挟み込むようにして押し戻す。空間を満たす魔力の彩りに、白い光が加わった。
「……なに、へたれてんのよ」
刃の主――蒼乃が、視線を向けぬまま言った。せめぎ合いが生む風に、黒髪が揺れる。
「死ぬなって言ったの、あんたでしょッ! 何度言わせる気ッ⁉」
「ッハハハハッ! 面白いッ!」
ガディアンナの哄笑とともに、剣にかかる圧力が一層増した。だが新たに加わった白の魔力が、前進を許さない。
(いつもいつも、この女はッ……!)
思い出す。まだ、文句を言っていない。
「文句言いたければッ! 生き残った後でッ! ちゃんと言いなさいよねッ!!」
(顔も見ねえで分かるか普通ッ!)
散っていた赤と黄金の魔力が、ふたたび黎一の剣へと集う。色褪せていた竜巻が、力を取り戻す。
翡翠の角も負けじと輝きを増す。だが赤と黄金、白の光と交差した部分に、わずかな亀裂が生まれた。亀裂から苔色の光が流血のように溢れだし、彼我の勢いの差は見る見るうちに大きくなっていく。
「まだだ……ッ! まだ……愉しもうぞおッ!!」
しかしそんなことは歯牙にもかけず、ガディアンナはますます猛る。その意気に呼応するかのように、角がふたたびその大きさを増した。
対する黎一の剣の光は、今にも消えそうなか細い輝きになっている。
(やべえ……ッ!)
蒼乃の刃だけでは、翡翠の猛威に打ち勝つことはできまい。
最悪の未来が、脳裏をよぎった瞬間――。
『手を、繋ぐんだ』
――懐かしい、声がした。
”剣”の声ではない。
(……ッ⁉)
それはあの日から、聞こえなかった声。
聞きたくとも、聞けなかった声だった。
『さあ、手を』
(父、さん……?)
言葉のままに左手を柄から離すと、蒼乃のほうへと伸ばした。気づいた蒼乃は一瞬、戸惑いの表情を見せたが、すぐその手を取る。
温もりと怖気が、同時に訪れる。それとともに、意識の中に薄暗い石堂が顕現する。
(万霊祠堂⁉ 呼び出してないのに、なんで……⁉)
疑問よりも早く、石堂に並ぶ石碑のひとつが光を放つ。繋いだ左手が、わずかに疼いた。
(一体、なにが……)
「勇紋権能ッ! 無足瞬動ッ!!」
(……⁉)
押し寄せる疑問に応えるように、蒼乃の声が響いた。
叫んだ名は、万霊祠堂の中に在った能力だった。自身の次の挙動に、超加速を加える能力だ。
告げた名は力を示し、蒼乃の身体が加速する。白き雷光の刃は圧を増し、翡翠の角に入った亀裂を大きくしていく。
(あと、少しッ!)
繋いだ手をそのままに、一歩踏み出した。
消えかけていた赤と黄金の竜巻がふたたび渦巻く。角に走った亀裂が、見る見るうちに角全体へと波及してゆく。
「能力を、渡した……ッ!! やはり、貴様はァ……ッ!!」
笑うガディアンナの言葉が、終わる前に――。
交差した二つの刃に挟まれた前角が、高々と斬り飛ばされていた。
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