忌み嫌うがゆえに
お読みいただき、ありがとうございます!
黎一を中心に、柔らかな炎の暖気が遺跡に広がっていく。先ほどまで重苦しかった空気が、にわかに変わった。
対峙するガディアンナは邪魔する気配もなく、ただ黎一の為すことを見守っている。気にすることなく、ふたたび己が中の能力を振るう。
「勇紋権能、万霊祠堂……風巧結界ッ!!」
言葉とともに、穏やか風が遺跡を吹き抜けた。
今、魔力の色は見えない。だがおそらくは炎を示す赤と、風の顕現である黄金の魔力とが、綯い交ぜになって空間を支配しているだろう。
「能力を二つ……⁉ そなた、一体……何をしている⁉」
「うっわあ……! 身体、軽っ!」
(やっぱり、な)
アイナと蒼乃の声に、黎一は己の仮説が正しかったことを悟る。なんのことはない、講義で習ったことの応用だった。
この異世界において、地水火風の四大属性は四すくみの関係にある。火は地に、水は火に、風は水に、地は風にそれぞれ強い。
(だがウンすくみなんてのは、互いの力が拮抗してる時にだけ成り立つ方程式だ……。ひとつの力が圧倒的になったなら、周りのヤツは弱るに決まってる。学校で何度も見てきた)
ここまでの道中で感じていた苔色の魔力は、地精王獣の復活により放たれた地の魔力だ。故に、地の弱点属性である火の魔力で地の力を相殺するとともに、影響力が弱まった風の魔力を供給することで蒼乃の体調を回復したのである。
――己の中に在った、能力によって。
「能力が二つ……いや、三つか」
(クソッタレ……。魔律慧眼のこともバレてやがんのか)
ほくそ笑むガディアンナを前に、心の中で舌打ちする。ふたつだけ、と侮ってくれれば幾分やりやすかったのだが、さすがにそこまで甘い相手ではないらしい。
雰囲気が伝わったのか、ガディアンナは表情を変えぬまま言葉を続ける。
「異界より舞い降りた者は、我らの時代にも存在した。紋の軛を代償に能力を振るい……我らが世に多くの繁栄と、禍をもたらした」
(五百年前にも、勇者がいた?)
「その中でも数多の能力を振るった者は……ただ一人のみ。時に憂い、時に焦がれ、時に交わった……」
ガディアンナの顔から、笑みが消えた。
「小僧、なぜその力を振るう? この地、この時代に、なぜ貴様が……その能力を持つッ!」
感情が、渦を巻いた。魔力の色が見えずとも、火と風の気配がわずかに揺らいだのが分かる。
「干戈を交え、見極めてくれるッ! その能力、その魂ッ! 我が最愛の存在であるかをなッ!!」
(恋煩いなら……他所でやってくれッ!!)
黎一は、咆哮するガディアンナへと走った。剣に灯した赤き炎が空間に満ちる炎の魔力と重なり、紅焔を噴き上げる。
対するガディアンナも、突進を以って応じた。諸手に持った長柄の戦斧を尾のように構え、まっすぐに黎一へと突っ込んでくる。
「フッ!」
「ハアッ!」
渦巻く紅と、翠の閃きが、交錯した。鐘の音に似た衝撃音が響いたかと思えば、ガディアンナはすでに次の挙動へと移っている。
(ここだッ!)
「勇紋権能、万霊祠堂! 一心深観!」
刹那、意識が暗い石堂へと飛んだ。そのまま無数の石碑のひとつへと吸い込まれ――能力が、切り替わる。
視界の一部を犠牲にして、対象の行動を観測する能力らしい。
(ぶっつけ本番だが、やるしかねえッ!!)
目の前で戦斧を振りかぶる女傑を強く意識すると、周囲の視界がぼやけた。代わりにガディアンナの姿に重なるように、残像のような軌跡が生まれる。動きと姿勢から導き出される、数瞬後の行動を示す軌跡だろう。
頭上に降り来る翠の斬撃を、すんでのところで躱す。続いて横合いから来る石突は、ガディアンナの右横に回り込んで避ける。
「貴様ッ! 逃げるだけかッ!」
(ああ、そうだよ!)
煽りとともに繰り出された戦斧の刃をしゃがんで躱し、潜るように足を横に薙いだ。
紅焔がわずかに露出した褐色の肌を焼き、斬撃が肌にわずかな傷を創る。
「チイッ!」
(逃げ回るのだけは、得意だからな!)
軌跡が、空いた左腕を動かすことを告げた。その掌に生まれた翡翠の輝きが放たれる前に、黎一はさらに右横にするりと抜けている。
剣を、間合いの外から振るった。黎一の意志に応じて放たれた紅焔の弧を、ガディアンナは掌の光で迎え撃つ。
「勇紋共鳴、魔力追跡」
光る右手の紋が繰る力に導かれ、紅焔の弧が軌道を変えた。放たれた翡翠の光とぶつかる直前に上へと飛んで、ガディアンナの角を目がけて急降下する。
角から生まれた光が紅焔の弧を消し去る。だがその間に、黎一はいくつもの炎の弧を生んでいた。そのすべてが、ガディアンナに向かって殺到する。
「えい、小癪なっ! ぶつからんかッ!」
(へへっ、分かってるよ。ウザいよなあ)
どうせ次は、斧を大振りして弧を消し飛ばしてくる。狙うのはその時だ。
果たしてガディアンナは、斧をプロペラの如く回転させ、向かい来る弧のすべてを斬り払った。それを見透かしたかのように、黎一は間合いを取って剣を振りかぶっている。
行動が、手に取るように分かる。だがそれは、軌跡が教えてくれるだけではない。
(影薄くしてれば、見つからない。けど目をつけたら、そこしか見えなくなるんだろ。お前みたいなのは)
ガディアンナは女性だ。忌み嫌うが故に、その行動は徹底して研究してきた。逃げるために、かち合わぬように。目の前にいた母の眼を、掻い潜るために培ってきた力――今は、前に進むために。
剣を振り下ろした。紅蓮の弧刃と噴き上がる豪炎が、敵を呑み込まんと一直線に進み行く。
「えええいッ!!」
ガディアンナが、苛立った声をあげる。
振るう斧が生んだ衝撃が、炎を散らす。黎一はその隙に、ふたたび剣に火を灯して肉薄している。
溜まりにたまった疲労ゆえか、足の動きが粘り気を帯びたように重い。それでも、今は、動き続ける。
「オオオオオオッ!!」
図らずも漏れた裂帛の気合とともに放った炎の斬撃が、ガディアンナの前角を捉えた。
「があ……ッ⁉」
さすがに堪えたか、ガディアンナは呻きながら後ろへと退がる。
そこに合の手を入れるように、右後方の背景がゆらりと揺らいだ。
(……⁉)
水面を思わせる揺らぎの中から出てきたのは、刀を構えたポニーテールの女性――アイナだ。その胸には、翡翠色の五芒星を象った飾りのネックレスが輝いている。
(さっきの焉古装具か!)
おそらく、発動者の姿を一時的に隠す魔法が封じられていたのだろう。
それを察する間に、アイナの刀が横薙ぎにガディアンナの左角を狙う。だがその銀光は、ガディアンナがかざした左掌に封じられた。
「それで不意打ちのつもりか、剣士よッ!!」
アイナは嘲りに応じることなく、さっと刀を引いた。そのままガディアンナの背後へと回り込み、引き絞るような構えを取る。
「――穿刻」
滴り落ちる声とともに、巻き込むすべてを微塵に刻む刺突がガディアンナの背中を穿った。かと思えば、アイナの姿はふたたび搔き消えている。
黎一は、意図を察した。わずかに生まれた隙を突き、ガディアンナの前角を狙って肉薄する。
「ハエのように……鬱陶しいッ!!」
炎に染まった剣を、片手で振るわれた戦斧が受け止める。そこにふたたび現れたアイナの斬撃も、やはり左手に生んだ光に防がれる。
――ガディアンナの両手が、塞がった。
(今だッ!!)
応えるように、上空から影が降る。風を身に纏い、短杖の先端から生まれる風の刃を構えた蒼乃だ。
「斬空風刃ッ!!」
かつて二人の命脈を繋いだ風の刃が、ガディアンナの左角に向かって振り下ろされた――。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました!
お気に召しましたら、続きもぜひ。




