前を向いて
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苔色に染まっていた遺跡は、元の金属質な青竹色を取り戻していた。
計器や研究設備と思しきものが並ぶ景色の中、不敵な笑みを湛えて立つ銀髪の女性は場違いにも見える。だがその身体が纏う覇気は、一切の愚弄や嘲笑を許さぬ圧倒的な存在感を放っていた。
しかし黎一の脳裏に在るのは、目の前にいる幻想的な存在ではない。
(似てる……。母さんに……)
母は日本人で、黒髪だ。姿形は似ても似つかない。
だが似ている。身に纏う存在感が、雰囲気が、似ている。
ある日、父がいなくなってから、変わってしまった母に。
『どうして、こんなこともできないの――』
『母さんに、恥かかせないでちょうだい――』
母の声が響く。世界は、違うはずなのに。
『あなたが、あなたがいるおかげで――』
『きゃあっ!! ……殴ったわね!! そうやってあの人も……あの人も……ッ!!』
(俺の、せいだってのか……)
隣のアイナがなにかを言っているが、耳に入らない。脳裏に”剣”の声が響くが、なにを言っているのか分からない。
あれだけ漲っていた力が、闘志が、萎んでいく。残るのは、女性を前にした時の身体の震えと、逃げたい一心だけだ。
以前と、同じ――。
「……前、向いて」
言葉とともに、左手に温もりを感じる。
声がしたほうを振り向くと、蒼乃が黎一の左手をしっかりと握っていた。
「私に死ぬなって言ったよね。戻るから、それまで死ぬなって」
炎の中で背中を合わせた時も、遺跡を走り獣の猛威から逃れた時も。いつも感じていた温もりが、震える身体に沁み渡っていく。
「戻ってきても、死んだら同じでしょ。だから今は……前を向いてっ!」
忌み嫌った者の言葉が、心に突き立つ。
ひらりと落ちた言葉は根を張り幹となり、生い茂る枝葉のごとく身体の感覚を取り戻していく。
(まさか蒼乃に、言われるなんてな)
繋いだ左手を解いた。今、欲するのは、温もりではない。
蒼乃もそれ以上、手を繋ごうとはしなかった。
『カカカッ、なんか知らんが……やれるな? 萎えちまったのかと心配したぜ』
狙い澄ましたかのように、”剣”の声が響いた。
誤魔化すように、剣を一振りして一歩踏み出す。
(黙れ黒マラ。で、なんなんだ。あいつは)
『どうもこうもねえよ。あれがヤツの本来の姿だ』
(本来……? じゃあ、さっきの獣は?)
『六天魔獣なんて言っちゃいるがな。実際は焉古時代に生きてた竜人が、己の理想の姿を具現化した存在なんだよ。さっきの獣は言わば鎧……。お前にしこたまぶった斬られて、使い物にならなくなったってわけだ』
(……ってことは、あいつが本当の迷宮核か)
『そんなところだ。だが魔力を吸収するのは変わらねえ。また着込まれたら、なんともならねえぞ』
(手はあるんだよな?)
『さっきと同じだ。角を狙え。今のヤツは、魔力を喰って実体化してる思念体だ。魔力が集中してる角をへし折れば、実体を維持できなくなるはずだ』
”剣”と話す間も、ガディアンナは悠然と戦支度をしていた。褐色の肌を、遺跡の壁と同じ金属質な青竹色の外殻が覆っていく。それが終わったかと思うと、遺跡の床から外殻と同じ色をした巨大な戦斧を創り上げた。
身を鎧い戦斧を担いだ姿は、さながら歴戦の武帝。おそらくこれが、彼女の戦装束なのだろう。
(俺も蒼乃もアイナさんも、万全じゃない……。長引けば不利だ)
獣の姿でなくなったことが、プラスに働くとは限らない。裏を返せば、相手の手番が分からなくなった。
なにより皆、歩き走り戦い、疲弊した後だ。相手が魔力を吸収できることも鑑みると、短期決戦しかない。
(でも、どうやって……)
その瞬間――。
右手が疼いた。目の前の景色が、暗転する。
(……ッ!!)
広がりつつある光景に、絶句した。薄暗い石堂の中に、光る紋様が描かれた石碑が無数に立ち並ぶ。
さながら墓場のような光景には、見覚えがあった。しかし記憶の中でそこに立っていたはずの存在は、いない。
(父、さん……。父さんがいなくなった時と、同じ……)
右手が、ふたたび疼いた。
ひとつの石碑の紋様が明滅する。それが収まったかと思うと、石碑から光が放たれ黎一の右手へと吸い込まれた。記憶に知らないはずのなにかが刻まれる、そんな感覚がする。
(この感じ、勇紋共鳴……?)
気づけば、視界は元の景色に戻っていた。
右手に宿った感覚も、知らないなにかの記憶は残っている。だが魔力は見えない。
その事実に気づいた時、脳裏にひとつの仮説が生まれた。
(今のはまさか……)
たった今、産まれた言葉を告げると、意識の中に在る石堂がふたたび具現する。夢幻の石堂に立ち並ぶ、無数の石碑のひとつを意識した。光が右手に吸い込まれ、先ほどとは別の力が刻まれる。
(やっぱり、そうだ……。俺の、能力は……)
――勝てる。感覚がそう告げている。
手札は揃った。あとは勝ち筋だけだ。
意識の中で、”剣”に問いかける。
(おい、あんた。魔力には詳しいか? いくつか教えろ)
・
・
・
『……ヘッ、おもしれーこと考えるじゃねえか。それでいい』
頭の中に浮かべた問いに、”剣”はすぐさま答えを返す。
黎一はそれを確かめると、蒼乃とアイナのをほうを振り向いた。
「俺が、前衛に出る」
* * * *
二言三言を交わした後、黎一は剣を構えて進み出た。
それを見たガディアンナが、余裕の笑みを見せる。
「手番は決まったか?」
「……わざわざ待ってたのか」
「応ともよ。数百年ぶりの戦だ。まして我が身体に、傷を負わせた存在との戦。存分に愉しまぬでは意味がない」
手にした青竹色の戦斧を構え、今にも飛び掛からんばかりの体勢で身構える。
構わず、前へと進んだ。不思議と、恐怖は感じない。
「勇紋権能……万霊祠堂」
己の中に在った力の名を、告げる。
ガディアンナの表情が変わった。興味でも殺意でもない。百年の知己の声を、久方ぶりに聴いたかのような顔だ。
「そのまま続けよ。あるだろう、続く言葉が」
(分かったように、言うじゃねえか……!!)
剣を持つ右手に力を込めて、高らかに告げる。
「……炎巧結界ッ!」
その言葉とともに、炎の温もりが辺りを包みはじめた――。
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