力への導き
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苔色の靄が立ち込める遺跡の広間に、白き雷光が飛翔する。その中心にいる地精王獣と、雷光を纏った蒼乃の戦いを尻目に、黎一はアイナの元へと走った。
倒れたアイナの貫頭衣の破れ目からは、少しひしゃげた金属胸甲がのぞいている。そのおかげか目立った外傷こそないものの、口元から流れる血が負った衝撃の大きさを物語っていた。
(頼むぞ……!)
治癒水薬の栓を抜いて振りかけると、赤色に煌めく液体が見る見るうちにアイナの身体へと吸収されていく。
すると微動だにしなかったアイナが、はげしく咳き込んだ。口から、いくばくかの血が吐き出される。荒く呼吸をしはじめるが、まだ起き上がらない。
(……ええい、クソッ!)
腹を決めて、もう一本の治癒水薬も振りかけた。アイナの呼吸が、徐々に落ち着いていく。吐血もない。
(アイナさん。お願いですから、起きてくださいよ?)
心の中で告げると、背後を振り返る。
蒼乃は依然として、爪牙や尾撃を避けながら一撃離脱を繰り返していた。だが度重なる攻撃を受けてもなお、地精王獣の動きは鈍っていない。
(……そう、長くは保たねえな)
今の蒼乃は勇紋主命によって死力を振り絞っている、いわばドーピングの状態だ。身体の現界を越えた動きが、長続きするとは思えない。仮にアイナが復活して蒼乃と共闘しても、先ほどの様子からしてダメージらしいダメージが与えられるかは甚だ疑問だった。
(しかも、俺は……これか)
右手に握りしめた、半ばまで折れた剣を見る。この異世界の魔法は、発動体がなければ威力が落ちる。そも発動体なしでは、魔法を行使することすら難しい。
この状態で魔法を使ったとて、”獣”を傷つけることはできない。無力であることに、変わりはないのだ。
(なにか、ないのか……? 今だけでいい。獣をなんとかできる、力を……)
『……ふうううッ!! やあっと通じたぜッ! あんの緑牛め、ところかまわず魔力をぶちまけやがってッ!!』
そう思った時、身体の奥底から力が漲った。同時に、脳裏に濁声が響く。
(てめえ、今さらノコノコと……ッ! 嵌めやがったなッ!!)
『ああん? 嵌めてなんぞいねえよ。それどころか、ここは目的地だぜぇ?』
(この期に及んでなにを……!!)
『壁の近くに、でけえ石櫃があるだろう。開けろ。オレ様は……そこにいる』
見れば確かに、壁の計器類に囲まれるように置かれた石の箱が見える。壁に立てかけられるようにして設えたそれは、死者を納める棺に似ていた。
(……ッ!!)
湧き出た疑問も戸惑いも振り切って、箱の元へと走る。
やはり棺のような造りになっている蓋を、開け放った。
『いよお。はじめまして、だな』
「これがあんた、なのか……?」
意外なその姿に、思わず声が漏れる。
棺の中にあったのは、台座に突き立てられた一振りの剣だった。いわゆる片手半剣というやつだろう。焦げにも錆にも見える黒ずみに覆われた、九十センチほどのまっすぐな両刃。両手でも扱えそうな鈍色の柄に、装飾の類は一切ない。代わりに、歯車を仕込んだかのような鍔が妙に目を引いた。
『さあ、とっととオレ様を出しやがれ。そうすりゃ、あの緑牛くらいはなんとかしてやんよ』
「あんた……何者なんだ?」
『それ、今聞いちゃうか? それどころじゃねえのと違うか?』
脳裏に響く言葉に、背後を振り返った。雷光は変わらず変幻自在に飛び回っているが、その輝きが心なしか鈍っているように感じられた。
「お前、俺に一体何を……」
『小難しいこと頼む気はねえよ。言ったろ、お前とは相性がいいんだよ』
「……やれるんだな?」
『ああ、やってやるさ。お前とならな』
柄を、両手で握り締めた。
身体に、今までにないほど力が漲っていく。
(どこへ行っても、利用されるだけ……。この世界に来た時点で結局、負け犬なのかもしれない)
腕に、力を込めた。剣は棺と同じく石造りの台座から、するりと抜ける。
身体の疲労が、瞬時に消え去る。知りもしない動きが、感覚として身体にひとつひとつ埋め込まれていく。
(負け犬だっていい……! 今を、変えることができるなら!)
『やっぱりお前とは、相性いいなあ。さあ、征こうか? 相棒』
「誰が相棒だ!」
『そうかてえこと言うなよ、長い付き合いになるんだからよお。まあとりあえず、一発かましてやれや』
言われて、苔色の靄の中心を見つめた。
雷光を纏う蒼乃に戯れるように攻撃を繰り返す地精王獣からは、己の勝ちを信じて疑わない余裕が窺える。
(その余裕……ぶった斬ってやる!)
剣を両手に構え、高々と振り上げた。
刀身に纏うのは、赤をさらに練り上げたが如き緋の色だ。
「いっ、けええええっ!」
雷光が離れた刹那を狙って、剣を振り下ろした。剣の軌跡が描き出す、巨大な緋色の弧が突き進む。その後ろを、炎の柱が勇み征くように立ち昇る。
地精王獣が気づいて振り向いた時には、もう遅い。十メートルもあろう胴を、緋色の弧が深々と斬り裂いた。胴から、苔色の靄が血しぶきのように噴き出す。
「グオ、オオオオオアアアッ……!」
苦悶する暇もあらばこそ。裂けた胴を連なる炎の柱が焼き、獣の巨躯がぐらりと揺らいだ。
苔色に澱んだ景色が緋色に照らされ、少しだけ元の色を取り戻す。
(そうか、この苔色……。獣が放ってる地の魔力か)
『魔力が見えるってのは便利だねえ、その通りよ。ヤツは六天魔獣のうち、地を司る獣……。ヤツが封印されてたせいか、この遺跡は地の魔力で満ちてやがる。とっととケリつけねーとやべえぞ』
と、そこまで聞こえた時、脇に白い光が降り落ちた。
纏った雷光を振りほどいた蒼乃は、がっくり膝をついて荒い息をつく。
「……おっそい」
(最初の一言それか)
「なにが死ぬな、よ」
(抱かせろ、よりいいだろ)
「けど……ありがと」
顔を向けることは、しなかった。
きっと今、蒼乃に顔を見られている――そんな気がしたからだ。
「グルルルル……ルオオオオオオオオオッ!!」
遺跡が揺れる錯覚に襲われる。
大量の血を流しながらも、”地精王獣”は、なおも立ち上がろうとしていた。
『さあ、今度は取っ組み合わねえと……大事な別嬪ちゃんが殺られちまうぜ?』
(……言ってろッ!)
心の中で毒づくと、黎一は剣を構えて地精王獣へと突進した。
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