業には業を【マリー】
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視界の片隅で、天叢が倒れた四方城の元へと走り寄った。
抱きかかえて距離を取ったかと思うと、右手を地につく。
「勇紋権能、万象治癒……! 慈愛の水を湛し宝瓶よ! 傷つく我らに無限の癒しを! 宝瓶湧水ッ!!」
天叢の背後に、巨大な水瓶の幻影が現れた。その口からなみなみと溢れ出る水が、天叢と四方城を包み込んでいく。
幻影設置型の回復魔法――。魔力でできた幻影が在る限り、周囲に一定の効果を与え続ける高位魔法だ。
その様を見届けながら、マリーは松本に向き直った。
「あんた……マリー王女、だっけ?」
「覚えててくださって光栄です。残念ながら、今は王女じゃありませんけどね」
にやける松本に、微笑みを返す。
もっとも、好意や善意は微塵もない。
「あんたも、いい乳してるよなあ。服の上からでも分かるもんな。わざわざ抱かれに来てくれたのかい?」
「ふふっ。冗談はお顔だけになさいませんと、嫌われますよ」
「へぇ……。なんか、雰囲気変わってね?」
「女には色々あるんです。やんちゃするだけの殿方とは違ってね」
軽口で応じながら、縛められている魔物たちをちらと見た。
藍色の蔦に縛められた魔物たちからは、色とりどりの光が搾り取られるように浮かび上がっている。魔物たちの魔力の光だ。
先ほどの攻撃に巻き込めなかった魔物たちは、依然としてマリーと松本を中心に囲いを作っていた。が、なにかに勘づいたのか近づいてくる気配はない。
(踏み込んじゃいけないって分かってるんですね。さすが禍の山脈の魔物たち、目の前の方より賢いです)
今、囲いの中にはマリーの魔法が大量に仕掛けてある。
業花飛種――。魔力を闇の種子として撃ちこむ魔法だ。種は周囲の地形や宿主の魔力を贄として蔦を伸ばし、やがて大輪の花を咲かせる。魔物たちが一歩でも踏み込めば、たちまち種に魔力を吸われ、そこから伸びる蔦の餌食となるだろう。
(あとは空気を読まずに、仕掛けてきてくれると嬉しいんですけど……)
そこまで考えた時。松本が、嗤った。
「勇紋権能、魔力増幅! 熱火矢撃!」
松本が振り下ろした両手から、巨大な火の矢が放たれる。
使われた”言葉”からして、本来は普通の矢と変わらぬ程度の大きさのはずだった。だがまっしぐらに飛んでくるそれは、投石器から飛びくる岩塊さながらの大きさだ。
だがそれを見たマリーは、口の端に笑みを浮かべた。
(かかりました、ね)
空いた左手を掲げる。
手の甲に刻まれた勇者紋が、輝いた。
「勇紋権能……魔力喰鬼」
黎一より預かった力を、解き放つ。周囲の魔力を、一気に術者へと吸収する能力だ。飛来した火の矢が、魔物たちから生まれた光の粒が、マリーの左掌に吸い込まれた。
「は……ッ⁉ 能力がふたつ⁉ ええいっ! 勇紋権能、魔力増幅! 熱火矢撃!」
(ホントにそれしか使えないんですねえ。異世界に来てからすぐにお山暮らしじゃ、無理ないですけど)
苦笑しながら、ふたたび魔力喰鬼を発動する。松本が放った火の矢が、先ほどと同じ結末を辿った。
程なくして、周囲にいくもの藍の光が溢れ出す。集まった魔力を、マリーが闇の魔力に変換したのだ。
「魔力を吸い取って、変換しただぁっ……⁉ そんなことできるわけ……!」
松本の口調に、焦燥の色が滲む。爬虫類型の魔物の腹を蹴ったかと思うと、くるりと背を向けた。
「お山に籠って得た知見だけで言うのは、感心しませんね。……業花蔦縛」
集まった魔力を、撒いた種たちに与える。
途端、松本の行く手を、幾条もの藍色の蔦が遮った。動きを止めた爬虫類型の魔物の足を、松本の身体を、またたく間に絡めとっていく。
「ああっ、クソッ、クソッ……おい魔物共あッ! 囲みはいいからとっとと突っ込んでこいッ! オレを助けろオオオッ!」
松本の声が響いた。
だが魔物たちが、囲みを解くことはない。唯々、遠巻きに見守っているだけだ。
「おいぃ! なんで、なんでだよっ! オレになんかあれば、サクが黙ってねえぞッ! おいっ、なんとか言えええッ!」
(やはり主の命でなければ、このくらいが限界ですよね。従者の器は、主の器の鏡ですから)
顔を悲痛と絶望に歪める松本を見て、失笑する。
命令を与える類の能力は、複雑な命令にするほど強制力が落ちていく。こと”主以外の者の命令を聞け”というのは意外と曲者で、強制力が目に見えて落ちるのだった。勢いに乗じている時ならいざ知らず、生存本能が強く働く場面で命令が機能することはまずない。
(まして魔物は本来、より強い力に従うことを是とする存在……。弱き仮の主が食われかけたところで、命を懸けて助けるとかありえませんよ。実際、突っ込んできたところで結果は同じですし)
マリーの予想通り、魔物たちは囲いを解きはじめた。一体、また一体と背を向けて去っていく。
そんな中、魔物たち以外にも動く者があるのを、マリーは見逃さなかった。
「……ひとりで逃げるのは許しませんよ? 業花棘突」
「ひぎゃああッ⁉」
情けない悲鳴を上げたのは、今まさに逃げを打とうとしていた園里だ。
すでに駆っていた魔物は力尽き、身体だけが蔦に縛められている。
(さて、あとは仕上げですね)
蔦に念で命じ、松本の縛めを解く。こちらもすでに、足となる魔物を失っている。
「てっ、てめえッ……! このままじゃ済まさねえ……! 絶対に、オレが……」
「……先のことを望むより。今、生き延びることを考えたほうがいいと思いますよ?」
にこりと笑った視線の先には、薙刀を構えた四方城がいた。その顔に、普段の穏やかな雰囲気は欠片もない。
松本の表情が、絶望に染まる。
「うっ、ああっ……。勇紋権能、魔力増幅! 熱火矢撃ッ!」
燃え盛る巨大な火矢が、四方城を目がけて突き進む。
しかし四方城は避けようともせず、ゆらりと薙刀を構えた。
「勇紋権能、闘気纏装……。氷装、冷泉御影」
――鈍色の大地に、霜が降りる。
四方城の身体を包んだ氷の振袖が、直撃した火矢を吹き散らした。
薙刀の動きに合わせて舞う雪と霧が、松本を取り巻いていく。
「ひ、っ……ひ……あああああっ!! 猛火刃招ッ!!」
松本の短杖の先端から、炎が噴き上がった。
だがその時、すでに四方城の姿は冷たい霧の中に消えている。
「どこだ……っ! どこだあああっ!」
炎の刃を携えた、松本が吼える。
その背後から、四方城がすっと現れた。短杖を持つ右手を狙って、薙刀を振り下ろす。
「ひとつ……ッ!」
「っがっ……っあああああああっ!!」
松本の右腕が、飛んだ。
噴き上がった炎が、むなしく消えていく。
「ふたつ……ッ!」
「っぎあっ……ああああああっ!」
左の腕が、飛ぶ。
四方城は薙刀を横薙ぎの型に構え、迷いのない表情で振り抜く。
「……みっつッ!!」
――数拍の、間を置いて。
霜に覆われた松本の首が、とさりと落ちてくる。
鼻水をたらし口を半開きにした表情は、なんともだらしないものだった。
* * * *
首を失った松本の身体が、力なく崩れ落ちる。
四方城の能力によってもたらされた霧が、徐々に晴れてきた。雲の切れ間からわずかに差す陽光の位置からして、今は正午くらいではなかろうか。
そんな中、天叢が四方城に歩み寄る。
「舞雪、ごめん……。最後、任せちゃったね」
「いいんです。わたしがやりたくてやったんですから」
マリーもまた、なおも表情が晴れぬ四方城のほうへと歩いていく。
「ご無事でなによりです。まずは一人、ですね」
「マリーさん……。助けていただいて、ありがとうございました」
四方城が、深々と頭を下げる。
防具と道着にところどころ傷はあるが、目立った外傷は回復したらしい。
「それにしても、どうしてここに? 麓にいたはずじゃ……」
天叢の問いに、マリーは笑顔を浮かべた。
「レイイチさんから、皆さんを助けてほしいって連絡がきたんです。地図は手元にありましたから、レイイチさんが落ちた場所から皆さんの進んだ道を割り出して……。幻影には苦労させられましたけど、間に合って良かったぁ」
「八薙くん……! よかった、無事なんですね!」
「ルナさんともども、ご無事ですよ。ちょっと込み入った状況みたいですけどね。さて、と……」
マリーは言葉を切ると、後ろを向く。
そこには未だ、藍色の蔦に吊し上げられた園里の姿があった。
「二人目、いっちゃいます?」
「……そうさせて、いただきましょうか」
感情が失せた四方城の声に、園里がぶんぶんと首を振る。
四方城が、薙刀を振るおうとした時――。
「舞雪、やめろっ!」
制したのは、天叢の声だった。
「六人の討滅が、わたしたちの任務のはず。なにより……この人たちのしたことは、人として許されることではありません」
「分かってる。だからこそ、君はもう手を汚すべきじゃない」
天叢はそう言うと、蔦に口を塞がれたままの園里に向き直った。
「ロベルタさんは、まだ生きてるね?」
園里が、こくこくと頷く。
「よし……。園里さん、幻影の抜け方は分かるんだろう? ロベルタさんのところまで案内してほしい。うまくいけば、命くらいは助けてあげられるかもしれない」
黒髪の向こうにある荒んだ目に、わずかに光が戻る。
だが天叢は、一転して険しい表情でその目を見つめた。
「ただし、もし変なマネをしたら……。その時は、僕がこの手で君を殺す」
園里は顔を恐怖に染めた後、うなだれるように頷いた。
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