死線の果てで【翔】
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鈍色の山道に、無数の魔物たちがひしめく。
その中で天叢翔と四方城舞雪は、岩場を背にして戦っていた。
「勇紋権能、闘気纏装! 炎装……猛蛍ッ!」
舞雪の道着と薙刀が、烈しい炎に包まれる。さながら、炎の振袖だ。
魔物が放った炎弾も、袖を払うようにして打ち除けった。その動きから、流れるように、攻撃の型へと変化する。
「……勢ッ!」
薙がれた刃が赤い横一文字の軌跡を生み、魔物たちの囲いの一角を吹き飛ばした。だがすぐに後続の魔物が、圧し包むように迫ってくる。
身を引いた舞雪は息が上がり、細かな傷が増えてきている。それを見て、翔はすばやく右手を掲げた。
「勇紋権能、万象治癒! ……水恵治癒!」
中空から降り落ちた癒しの水に、舞雪の傷が一瞬にして回復する。活力もわずかながら回復しただろう。
本音では、自身の活力も回復する範囲回復の魔法を使いたいところだった。しかしこれだけの乱戦では、水薬を飲む隙もない。魔力をなるべく温存するための措置だ。
(キリがない……っ! 八薙くんたちも……御船くんたちも無事なのか⁉)
相方を気にかけながら、翔は先ほどまでの出来事を思い起こす。
――きっかけは、崖道の罠だった。
崖の爆発に巻き込まれた八薙を、蒼乃に託すと。なんとか魔物たちの囲みを突破した後、さらに中腹で魔物に襲われた。しかも先ほどのように空が揺らぎ、御船や光河と分断されたのだ。
(あの場所、あのタイミング……! どこかで見てるとしか思えないっ!)
おそらく山田の幻影創造だろう。一対を分断されなかっただけ、まだマシと思うしかない。
目の前の魔物たちは喰い合うこともなく、統制の取れた動きで執拗に翔たちを追い詰めてきていた。囲いの一角を向く舞雪の背を狙う魔物の一体を、魔力を纏った蹴りで牽制する。
(それにしても、さっきの蒼乃さんの思いきりは良かったな)
ふと思い出された光景に、思わず口の端が笑みの形になる。
――崖が爆破された時、蒼乃は迷わず崩れた先へと飛び込んだ。
言葉の代わりに投げかけられた視線は、「先に行って」と言っているかのようだった。
(さすがにちょっと羨ましいよ、八薙くん!)
想いを言葉にする代わりに、固めた拳でアッパーを繰り出す。魔力を纏った一撃に、羽根の生えた馬の頭が粉々に砕けた。
(僕は同じ事、できるつもりだけどっ!)
舞雪の背を護る位置から繰り出した蹴撃が、さらに一体の魔物を打ち倒す。
その間に舞雪の薙刀は、さらに数体の魔物を斬り散らしている。
(舞雪は、どうだろう)
ふとした疑問が、水に落とした墨のように広がる。
もちろん、そんなことは微塵も望んでいない。舞雪が死ぬくらいなら、喜んで身を捧げる。
だがもし、もし何かの刹那に、その時が訪れたら。彼女は、蒼乃と同じ行動をとってくれるだろうか。
(いけない、集中しないと……!)
「……翔くん! 上ッ!」
舞雪の声に、思わず上を見上げる。
背にしていた崖の上から、巨大な爬虫類型の魔物が駆け下りてくる。
それだけなら、先ほども目にした光景だった。明らかに違うのは、背に人を乗せている点だ。
「勇紋権能、魔力増幅! 熱火矢撃!」
聞き覚えのある声は魔物の背から聞こえた。
同時にその位置から、大人の背丈ほどもある炎の一矢が放たれる。周囲は魔物、上からは炎。逃れる場所はない――。
(……いや、あるっ!)
「舞雪ッ!」
「はいっ! 勇紋権能、闘気纏装……嵐装、荒南風ッ!」
舞雪を中心に、大気が動いた。つむじを巻く風が炎を散らす。周囲の魔物たちに、白刃のごとく襲いかかった。
強い言葉を使うことで、継戦力を犠牲に出力を上げる――。舞雪が八薙の剣魔法を見て思いついた、闘気纏装のバリエーションだ。
(今だッ!)
傍らにいる舞雪の腰に手を回した。舞雪の腕が、左の肩を抱いてくる。
細身のわりには柔らかな身体の感触が、手を伝う。が、ここで死んではあとで楽しむこともできない。
「地精の翁、我が身に無限の躍動を! 地躍動呪!」
大地が動く。二人の身体が宙を舞い、魔物の囲いの上空へと至る。
地精の力で、一度だけ大きな跳躍ができる補助魔法だ。背を取られぬうちは、と思って使わなかったが、奇襲を受けては話が別になる。
「おい、園里ッ! あの風なんとかしろよッ! そうすりゃ今のでやれただろうがっ!」
「え、ええっ……! ど、どうやって……っ!」
魔物の群れの中から聞こえる声は、間違いなく松本と園里のものだった。しかし久々に聞いた声は、記憶に残るものと若干違っている。松本は低く獰猛に、園里は以前にも増してか細い声だ。
「……ッ! 松本くんッ!」
囲みの外に着地するとともに、声を放つ。
説得が通じるかはともかく、まず話してみるのが翔の信条だ。
「いよおおおお天叢アアアアッ!! ひっさしぶりだなあぁああ!」
獣の雄叫びに似た声が響いた。理性や知性がないどころか、若干の狂気すら感じられる。
魔物の群れが割れた。爬虫類型の魔物に乗った松本が、ゆっくりと前に出てくる。
「おとなしく投降してくれっ! たとえ僕らを斃したって、次が来る! これ以上、争って何になるっ!」
「何になる……? さすが地主の坊ちゃんは言うことが違うぜ……!」
以前はツーブロックだった松本の黒髪は、ぼさぼさに伸びきっていた。どこから奪ったのか、魔物の皮で造ったと思しき鎧に毛皮の外套を着込んでいる。これで頭に熊や狼の毛皮でも被っていれば、昔話に出てくる山賊そのままだ。
「異世界だぞ、異世界っ! オレみてえな落ちこぼれが……逆転できるはずの世界だろうがっ! 実際、八薙はああなったっ! なのにっ、なのにどうして……っ!」
「違うっ! たとえ次元が違ったって、ここは人の住む世界だっ! 道を外れた者が罰を受けるのは当たり前だろう!」
「いい子ちゃんぶりやがって……。いっつも、いっつも……気に食わなかったんだっ! 何でも持ってて、女侍らせて……」
「僕は舞雪を侍らせたことなんかないっ!」
そうこうする間に、魔物たちは翔たちを遠巻きに囲みつつあった。
崖の際でなくなったことと、数が減ったことが相まって、囲みそのものはそこまで厚くはない。
(囲まれたら、またさっきの繰り返しだ……! もし話してもダメなら、その前に松本くんを仕留めるっ!)
傍らでは、舞雪がいつでも飛び込める体勢で構えていた。
能力の特性から考えて、松本が間合いを詰めずに魔法攻撃してくることは容易に想像できる。決裂したら、先ほどの跳躍魔法で舞雪を松本に向けて飛ばし、一気に決着をつける算段だ。
そんな思惑に気づいてか気づかずか、松本の言葉は続く。
「まあいいさ。この場所に来て、女は散々抱いたっ! 迷い込んだ旅人や商人、冒険者ども……ここに来た討伐隊の奴らだってな!」
「……ロベルタさんをどうしたっ! どこにいるっ!」
「あのお嬢様ドリルのくっ殺女騎士だろう⁉ 最高だったぜぇ……。処女をケツ穴まで輪姦しまくったんだからなぁ! 異世界サマサマだぜっ!」
死線の中で激励してくれたロベルタの顔が、脳裏をよぎる。
次の瞬間、目の前でけたけたと笑う松本の顔が目に入り、頭の中でなにかが弾けた。
「……翔くん。もう、いいでしょう」
「ああ、やろう」
険しい表情を浮かべる舞雪の足元に、意識を向ける。
風の属性を展開している闘気纏装の勢いを殺さぬための措置だ。
「……地躍動呪!」
舞雪の身体が、低空を一直線に翔けた。
風を纏った身体は勢いそのままに、未だ嗤い続ける松本へと突進する。
(獲った!)
そう思った時――。
「勇紋権能……結界解除!」
松本の後方から、かすかに園里の声が聞こえた。
途端、舞雪の身体が、松本に届く寸前で止まる。
「なっ……!」
一瞬で、すべてを理解する。
闘気纏装は術者を取り巻く、結界の一種だ。つまり、園里の結界解除の対象になり得る。
松本はこれを見越して敢えて前に立ち、挑発して見せたのだろう。戦闘に向かない園里が、確実に結界解除の視認範囲に捉えられるように。
「そうくると思ってたぜ!」
松本の顔が、下卑た笑いに染まった。
地に墜ちた舞雪を、魔物たちが素早く囲んでいく。
「ヒハハハハッ! せっかくだっ! お前の舞雪、目の前でひん剥いて犯してやるよっ! まさか手ェ出してない、なんてこたあぇねよなあっ⁉」
魔物たちに押さえつけられた舞雪の身体が、高々と掲げられる。
すでに薙刀はとり落としていた。触手のようなもので口を塞がれ、能力を起動できる状態ではない。
「やめろ……舞雪……止めろオオオッ!!!!」
無謀を承知で、走り出した――瞬間。
「……勇紋権能、全々全花! 業花飛種!」
幼い少女を思わせる声が響く。
鈍色の空から、藍色の光が降り注いだ。小さな粒に見えるそれは、またたく間に舞雪を捕えた魔物たちの身体を穿つ。
「……業花蔦縛」
続いて聞こえた声とともに、魔物たちの身体を藍色の蔦が縛めた。
力が抜けた魔物たちが、舞雪の身体を取り落とす。
(今の、は……)
「ふぅ、よかったぁ……。間に合いましたね」
少女の声に、振り向くと。
禍々しい黒色の杖を手にしたマリーが、そこに立っていた
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