隠れ里
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黎一と蒼乃は、峡谷を上流に向けて歩いていた。先頭をフォルティスとその妻――イメルダと言うらしい――が行き、黎一と蒼乃を戦鬼の戦士団が囲う大移動だ。
彼からとしては、族長の妻を救った恩人を護衛している体なのだろう。だが傍から見れば間違いなく、狩りの獲物を引き連れているようにしか見えない。
(……あれか)
崖の陰に建てられた松明を見て、黎一は目的地が近いことを悟った。
戦鬼の一体が、骨の彫刻がついた松明に火を灯す。数拍の間を置いて、松明の脇の岩肌が音を立て始めた。鈍色の岩がゆっくりと奥へ動いたかと思うと、崖面に暗い洞窟が口を開ける。
「行くゾ」
フォルティスはぽつりと言うと、イメルダを伴って洞窟へと入っていく。言葉は、先ほどよりもはるかに聞き取りやすい。口が慣れたのか、それとも言葉の壁をなくすこの異世界の加護か。
戦鬼たちに手ぶりで促されて、中に入ると――。
「うおぅ……」
「結構、広いんだね……」
意外にも、開けた空間が広がっていた。地肌剥き出しの壁や天井を見るに、天然の洞窟を少しずつ拡げたらしい。
入口の脇には先ほど動いた岩とともに、数人の戦鬼が立っている。
(え、あの戦鬼たちが岩を動かしてんの……? まさか手動……?)
「ね、ね。今の見た?」
ふとした疑問が脳裏をかすめたところで、蒼乃が弾んだ声で問うてくる。
その目は、知性と欲望の狭間くらいの輝きを宿している。嫌な予感しかしない。
「……なにをだよ」
歩きながら、努めて平静な口調で応じた。
すると蒼乃は、先ほどの岩を指さした。
「あの岩っ! 見たことない術式、刻まれてたよっ! あんな術式、魔法院でも見たことない……!」
「え。自動ドアなの……?」
たしかに、岩の表面の一部が紋様の形に輝いている。
脇に立つ戦鬼たちの姿も、言われてみれば戦士よりは祈祷師に近い。
「そうそう! 脇の戦鬼たちがみんなで動かしてるのかと思ってたのに……。ひょっとしてさ、外の松明とも連動してたりするのかな? 骨のところに、術式っぽい紋様あったし!」
(松明に火を灯すと、魔力が通って岩が動くのか? しっかし、蒼乃もよく見てんなあ……)
最近――。
蒼乃はマリーの口利きで、ヴァイスラント王宮内の王立魔法院に、客席魔法士という名目で在籍している。
主に携わっている研究は”実戦における魔法の利活用”という、趣味と実益を兼ねたアルバイトだ。魔法の組み立てが異常に早かったり、術式に関する知識が増えたのも、この仕事のおかげなのだろう。
(それにしても、戦鬼がこんな高度な術式を使ってるなんて……。魔法も使う、ってのは分かっちゃいたけど)
黎一の中では、いいとこ下級の攻撃魔法や回復魔法といった、呪いの類に近いものを用いる程度の認識だった。
だが今の岩を動かした術式などは、五百年前の竜人文明である焉古時代の技術を流用した人間社会ほどではないにせよ、明らかに魔物が用いる範疇を超えている。
(禍の山脈って場所がそうさせたのか……? それとも別の理由が……?)
「……そろそろ着く」
取り留めのない思考を、フォルティスの声が遮った。気づけば洞窟の先に、わずかな光が見えている。
なおも歩いていくと、視界が開けた。
「わ、ぁ……!」
蒼乃が、感極まった声を上げる。
出た先は、洞窟を大きなドーム状にくり抜いた空間の中腹だった。
眼下では空間を十字に仕切る大きな道を、魔力の光を帯びたかがり火が照らす。その道に沿うように、木組みの家や石で造った邸宅と思しき建物が所狭しと並んでいる。
(ちょっと待て。村、なんてもんじゃねえだろ。これ……)
見える戦鬼たちの数からして、人口はちょっとした人間の街ほどもあるだろうと思えた。道の脇には毛皮を絨毯がわりに敷いた市らしきものも、ちらほら見える。
「こっちダ」
フォルティスは崖道を下ると、奥まったところにある神殿らしき建物に向けて歩いていく。道行く戦鬼たちから向けられる、興味と殺気が入り混じった視線がチクチクと痛い。
程なく着いた神殿は、山の地肌と同じ鈍色の建物だった。研磨された石で組んだ造りは色味も相まって、簡素ながらも厳かな雰囲気を醸し出している。
「……メシをダせ。酒もダ」
入口で出迎えた侍従らしき戦鬼にそう告げると、フォルティスは奥の上座にどっかりと腰を下ろした。イメルダが、その隣につく。
黎一たちが上座の前に設えられた席につくと、焼いた肉や川魚が盛られた木の皿が次々に運ばれてくる。少量ながら、野菜や果実を盛った皿もあった。どこかに畑や、採れる場所を持っていることの証だ。
「ここ、集会所かなにかなの……?」
「族長の屋敷ダ。族長は皆、ここに住む」
「やっぱり、あんたが……」
「そうダ。改めて、名乗ろう」
フォルティスは、羽根飾りのついた兜を外した。
兜の下から、後ろに撫でつけられた真っ赤な髪が現れる。
「シグムント族、族長……フォルティス・ラージャ・シグムント。我ガ妻を助けてくれたこと、礼を言う」
フォルティスはそう言うと、イメルダとともに深々と頭を下げた。
「この程度デ報いになるとも思わぬガ、たんと食え」
「……気持ちはありがたいが、こうしてる時間も惜しい」
卓から身を乗り出すようにして、フォルティスに応じる。
「俺たちは魔物を操ってる奴らの罠で、谷に落ちたんだ。仲間ともはぐれた。早くしないと、手遅れになっちまう」
ちらと横を見てみれば、蒼乃が皿に盛られた料理を興味深く観察しては口に運んでいる。なかなか大層な神経だが、知的好奇心に釣られてのものと思い、敢えて制することはしない。
「そう急くな。腹ガ減っては動けまい。増して、彼の者ドもを狩るならな」
「……奴らと会ったことがあるのか?」
「魔物を率いて、他の部族の村を襲った時にな。討たれた者、操られた者は数知れぬ。逃れてきた女子供を、我が村に匿えたのガ救いダ」
「なるほどね。いくらなんでも魔物の肉だけじゃ、って思ってたけど……。戦鬼たちから略奪してたってわけだ」
蒼乃が、野菜を頬張りながら口を挟む。
他の部族の文化レベルがシグムント族と同程度なら、衣類や食糧の類には事欠かないだろう。勾原たちからしてみれば手下が増える上、物資まで手に入る美味しい獲物だ。
「我ガ村は呪いを使った造りのおかゲデ、奴らに勘ヅかれズニすんデいる。妻ガ捕えられていれバ、ドうなっていたか分らぬガな」
「……谷には降りてこぬト思っテ、油断しテいタ。あなタタチには感謝しテいる」
フォルティスの言葉を、イメルダが幾分たどたどしい人語で継ぐ。
端正な見た目を裏切らない、鈴の音を思わせる声だ。
「ここから、山の上に出る道はないか? 奴らが陣取ってるのが、山頂のあたりにある村の跡地なんだ。そこまで行きたい」
「道はある。ダガその前に、問いたいことガある」
フォルティスはしばし瞑目した後、黎一の目をひたと見つめた。
「お前たち……。なゼ、我らを討たなかった?」
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