戦鬼との邂逅
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峡谷に、異常な雄叫びが響き渡る。
人語とも、獣の遠吠えともつかぬ声だ。
「なに、あれ……?」
「普通の獣じゃ、なさそうだな」
「ねえ、行ってみよ。山脈はともかく、峡谷のほうには人が住んでるかも知れないんでしょ?」
蒼乃の言うとおり――。
六つの王国が主となっているこの大陸にも、原住民族は存在する。
生活地域や習慣は、部族によって様々だ。魔法技術によって領土内の国民を管理しているヴァイスラント王国ですら、全容を掴みきれてはいない。
「……だな。勾原の魔物に殺られた、なんてなったら寝覚めが悪い」
「うん! ……空往く風よ、幾重も連なる翼となれ! 風翼言祝!」
蒼乃の言葉とともに、風が身体を覆い、四肢の動きが軽くなった。少し詠唱を変えたのか、最近はわずかな浮遊の効果までついた代物となっている。
水上を滑るように走っていると、川の水に血の色が混ざり始めた。
「魔物を、倒してる……⁉」
蒼乃の驚いた声が聞こえる。
無理もない。川面に屍を晒しているのは、いずれも禍の山脈の魔物たちだった。数は十や二十では利かない。これだけの数を倒せるなど、普通の原住民族ではありえない。
(山脈への立ち入りは制限されてるから、他の冒険者ってセンはない。一体、誰だ……?)
考えながらなおも進むと、魔物の群れが川の端でなにかを取り巻いているのが見えた。種は様々だが喰い合うことをしていない。つまり、勾原が使役している魔物だ。
その十重二十重の取り巻きの中心で、かすかに動く者がある。
(あれは……)
人の姿をしているものの、人ではなかった。
亜麻色の髪はともかく、緑色の肌に額から角を生やしている人間など、原住民族でも聞いたことがない。
「戦鬼……?」
蒼乃が、ぽつりと漏らす。
人型の魔物の中では、小鬼に次いでメジャーな種族だ。武具や魔法を使いこなす知性と、巨体ゆえの膂力が相まって、戦闘力は小鬼をはるかに上回る。
「みたいだな。普通、魔物に襲われることはないんだが……」
幸いなのは、村落に近づかなければ人間や他の魔物に手出しをしないことだった。それでも思わぬところに村落があったりするため、犠牲になる冒険者は後を絶たない。魔物も力ある存在を嗅ぎ分ける本能からか、手を出すことはあまりないらしい。
それが身の丈ほどもある大剣を構えて、川端の崖まで追い詰められている。
「ねえ、どうする……? 今のうちに周りの背を撃てば楽だけど……」
まわりをよく見ると、魔物の屍に混じって身を鎧った戦鬼たちの屍が転がっていた。おそらく食料を調達する狩りの最中に、峡谷に降りてきた勾原の魔物たちに出くわしたのだろう。
(助けたら助けたで、ってか)
その時、戦鬼の顔立ちと身体つきが目に入った。
顔は思っていたより端正で、筋肉質な身体の胸元は妙な豊かさがある。
(女、か……)
刹那の間、逡巡する。
戦鬼は部族で暮らす。あの女戦鬼にも、夫が、家族があったら――。
「……助けよう。襲われたら、その時だ」
「同じこと、考えてた」
蒼乃はそう言うと、腰に吊っていた二本目の短杖を抜いた。
一気に決着をつけるつもりだ。
(なら、こっちも……!)
「勇紋権能、万霊祠堂! 風巧結界ッ!」
峡谷に一陣の風が吹いた。周囲の風の魔力が、一気に増幅されたのだ。不意の颶風に釣られたか、魔物たちの意識が戦鬼から黎一たちに移る。
合わせるように、蒼乃が両手の短杖を交差して構えた。
「雲上に御座す風帝よ! 玉衣を纏いて舞い踊れ! 風帝嵐招ッ!!」
蒼乃の声とともに風が荒び、帷のごとき雲が降りた。そこから迸る雷が、ひしめく魔物たちを打ちのめした。女戦鬼を巻き込みやしないかと思ったが、攻撃範囲をきっちり限定しているらしい。
数拍の間を置いて、雲が切れた。先ほどまで戦鬼を取り巻いていた魔物たちは、すべて斃れ伏している。
(風巧結界つきとはいえ、すっげえ威力だな……。さて、と……)
戦鬼のほうを見れば案の定、大した傷は負っていなかった。腰蓑とさらしのような布の上から、使い古された革の防具を身に着けている。
人間基準でもだいぶ端正な顔立ちはしばし、呆けたよう表情を浮かべていた。が、すぐに――。
「……ッガアッ!」
やおら剣を構え、威嚇の声を上げる。
その表情は怒りというより、怯えや疑問といった色が感じられた。とはいえ、意思疎通の手段がないことに変わりはない。
「うわぁ、やっぱり……! ちょっと、なんとかしなさいよ!」
(こういう時だけ、俺を頼るのやめろや……!)
なんとかジェスチャーだけでも、と考えた瞬間――。
上流のほうから飛来したなにかが、足元の川面に突き立った。
「……ッ⁉」
見ると、数条の粗末な矢だ。
同時に、水をしぶかせ走る緑色の集団が押し寄せてくる。
「うっそ、まさか……」
「……助けが来た、か」
つぶやく間にも、戦鬼の集団がぐるりと黎一たちを取り囲んだ。
集団の後方では、羽根飾りで彩った豪華な兜をつけた戦鬼が、腕組みをして黎一たちを睨みつけている。上背は、周りの戦鬼たちより頭ひとつ高い。おそらく族長なのだろう。
「……#$」
羽根飾りの戦鬼が、声とともに左手を挙げた。
戦士と思しき者たちが身構え、射手たちが弓に番えた矢を黎一たちに向ける。
「結界で矢を弾く。その間に仕掛けて」
「分かった」
ふたたび背中合わせになり、手番を決めた時。
「¥%@……FRTS!」
声は、囲みの外から聞こえた。
見れば、先ほどの女戦鬼だった。族長と思しき戦鬼が、困ったような表情を浮かべる。
「IMRD! $%&>……!」
「‘*¥”! @;ー~……」
羽根飾りと女戦鬼は、なおも何かを話していた。
が、やがて羽根飾りのほうが観念した表情で顔を伏せた後、黙って左手を横に振る。囲いを形作る戦鬼たちが、一斉に構えを解いた。
「え、なに……?」
「一応、なんとかなったんじゃねえの。知らんけど……」
こそこそと話す間に、囲いの一角が割れた。羽根飾りが、ゆっくりと黎一たちに向けて歩いてくる。
目の前に立つと、その身の丈はさらに高く感じられた。羽根飾りを抜きにしても、二メートルは下らないだろう。筋肉しかなさそうな巨大な身体の要所に、金で装飾した革防具をつけている。
「オマエ。ツマ、タスケタカ?」
ぼそりと低い声で紡がれた言葉は、意外にも人語だった。
少し片言だが、聞き取れなくもない。
「……ああ」
「ソウカ。レイヲ、イウ」
そう言うと羽根飾りは、軽く頭を下げた。
周りの戦鬼たちも合わせるように、一斉に武器を構える。彼らなりの敬礼らしい。
(え、戦鬼って……。こんなに礼儀正しい種族なの?)
面食らっている間に、羽根飾りが面を上げた。
その表情は心なしか、先ほどよりもわずかに曇っている。
「オ前タチ、何ヲスル? 我ラヲ、討ツカ?」
「あんたたちと戦うつもりはない。そうでなきゃ助けない」
「ナラ、何シニキタ」
相手が話し慣れてきたのか、耳が慣れてきたのか。
先ほどよりも、やや聞き取りやすくなる。
「魔物を操って、騒ぎを起こしている人間がいる。そいつらを狩りに来た。あんたの妻を狙ったのも多分、操られた魔物だ」
「……獣ドモ、誑カシタヤツラカ。知ッテイル」
思わぬ言葉に、蒼乃と顔を見合わせた。
「奴らを知ってるのか? だったら知ってることを教えて欲しい。必ず、そいつらを狩る」
羽根飾りが、渋面を作る。
意図を汲み取れていない風ではない。むしろ理解した上で、判断に迷っているように見えた。
「……フォルティス」
横合いから、低い女の声が聞こえた。先ほどの女戦鬼だ。
羽根飾りの名前は、フォルティスというらしい。
「見テ。彼ラ、強イ。彼ラナラ……」
女戦鬼が、先ほど己を囲っていた魔物たちの屍を指し示す。
フォルティスと呼ばれた戦鬼はしばし黙考した後、ふたたび黎一を見た。
「……ツイテコイ」
「ついてこい、って……どこへ?」
「ココデハ獣ドモガヨッテクル。礼モシタイ……。我ラノ、村ヘ行ク」
フォルティスはそう言うと、川の上流に向かって歩き始めた。
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