墜ちた先で
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黎一と蒼乃は手を取り合って、峡谷を下へ下へと落ちていく。
生き残った勇翼の魔物たちも迫っているが、蒼乃が手を引いているせいか追いつかれる気配はない。
「大気を彩る風精よっ! その身を以って我らを護れっ! 風精纏盾ッ!」
蒼乃の声とともに、風の結界がふたりを包んだ。
数頭の勇翼天馬が放った風の刃が、結界を取り巻く銀色の雷光が打ち落とす。
蒼乃はその隙に、なおも追いすがる魔物たちに向けて短杖をかざした。
「天穿ち、雲を斬り裂く雷光よ! 空に集いて裁きとなれ! 閃光雷招ッ!」
光が収束した一点から、数条の雷が放射状に伸びた。翼を灼かれた魔物の群れが、次々と峡谷へと落下していく。
「このまま降りる! 手、離さないでねっ!」
左手を握り返してくる蒼乃の右手に、力がこもる。気づけば峡谷の底は、すぐそこまで近づいていた。
――ほどなく、風の結界が川面を震わせた。蒼乃が結界を解くと、足が膝の手前くらいまで水に浸かる。幸い、そこまで深くはない。
黒髪に戻った蒼乃は盛大にため息をつくと、黎一をキッと睨みつけた。
「あんた、もう絶対に先走らないで」
「ッ……仕方ないだろっ! 正面、こじ開けなきゃいけなかったんだから!」
「フォローする身にもなれって言ってんのっ! さっきの岩といい、今といい……もうちょっと周りを信用しなさいっ!」
「互いにやれること、やればいいだけだって……!」
そう言った瞬間、蒼乃は一気に距離を詰めて黎一の肩を掴んだ。
ぞくりと肌が粟立つ。足がすくむ。振りほどけるはずなのに、動けない。
いつもの”女嫌い”の症状だ。普段の蒼乃なら、これが起きる距離を超えて近づくことは絶対にない。
「……ひとりで、抱え込まないで。天叢くんも言ってたでしょ」
蒼乃は、黎一の目を見ながら言った。
「どうしても気が引けるなら、せめて私を頼って。……一対、なんだから」
「……ッ」
言葉に詰まった時。
かすかに、水がしぶく音が聞こえた。
「まだ、来るの……⁉」
蒼乃はさっと黎一から距離を取り、短杖を構える。その視線の先、川の下流のほうから数体の影が現れた。
ぱっと見は、腕が生えた蛇といった体の魔物である。手には思い思いの得物を持ち、鎌首をもたげた姿で器用に動いている。数、四体。
「蛇体兵士……だっけ?」
「音を聞きつけてきやがったな」
蒼乃に背を預ける形で、愛剣を構える。
黎一の視線の先には、さらに五体の蛇体兵士が群れて出ていた。だが陣形を組んでいるわけでなし、動きもバラバラだ。おそらく、勾原が従えた魔物ではない。
「ま、水の魔物ならちょうどいいかな……」
蒼乃も考えは同じなのだろう。
二本目の短杖を抜く様子はない。
「シャアアアアッ……!!」
蛇体兵士が、蛇の鳴き声で威嚇してくる。どうやら雰囲気から、侮られていると取ったらしい。
背を合わせた蒼乃の身体が、かすかに振るえるのが分かった。
「そんなに怒んないの。どうせすぐ終わるんだから……さっ!」
蒼乃が動く。蛇体兵士が、身をくねらせて殺到する。
瞬間。魔物の群れの前に、五つの黄金の煌めきが浮かんだ。勢いづいた蛇体兵士たちが止まれるはずもなく、もろに風弾へと突っ込む。
「ッジャキャアアアアッ⁉」
弾けた風弾に、魔物たちの動きが止まった。
微風封罠。触れるとはじけて強風が吹く風弾を生む魔法だ。一応は攻撃魔法に属するが、殺傷力はないに等しい。
――普通なら。
(……ウソだろ⁉)
黎一は、その威力に驚愕していた。先ほどの微風封罠は、そこらの魔法士が放つ攻撃魔法をはるかに上回っている。
水の魔物としては上位に属する蛇体兵士が、動きを止めていることがその証拠だ。
(しかも、無詠唱……!)
この世界の魔法は、術者のイメージによって効果が決まる。
そのイメージを固めるのに用いるのが”言葉”である。起きる事象を定義する”名づけ”、次いで詠唱の効力が高い。
今の蒼乃は詠唱どころか、名すら告げていなかった。イメージだけで、魔法事象を呼び起こしたのだ。
(前は俺も、何も知らずに無詠唱でやってたけど……。剣魔法だからやれてたようなもんだし、下級魔法であの威力は出ねえ……!)
剣に風を纏って振るいながら、戦慄する。
この剣魔法は異世界に来てから最初の事件で、愛剣に宿る竜人から教わったものだった。得物に魔力を蓄えて放つため、妙にやりやすい。
得物が剣でないとイメージがうまくいかないが、同じ属性であればイメージだけで即座に魔法の形を変えられるメリットは、それを補って余りある。
(でも蒼乃は詠唱から即座に発動する、普通の魔法のはずだ。今までそんなことできなかったはずなのに、なんで……?)
――蛇たちの血が川面を染めるまで、それほど時間はかからなかった。
黎一も蒼乃も、当然のように負傷はない。
「よっし。上まで戻るのは無理そうだから……。どっか上に登れるとこ、探さないとね」
「お前、今の……」
「ん? ああ、無詠唱?」
蒼乃は事もなげに言うと、短杖をくるくると手で弄ぶ。
「すぐに飛びかかってこなかったからさ。事前に短杖へ魔力を溜めてたの。あんたの剣魔法みたいにね」
「それだけで、なんとかなるもんなのか……?」
「ついこないだまでなんとかしてた人が、それ言っちゃう……? そりゃ大きい魔法は無理だけどさ。さっきみたいな状況なら使えるかな、って」
「ぶっつけ本番かよ……」
「無茶と閃きだけで、どうにかしてるような人に言われたくないで~す」
そこまで言うと、蒼乃は微笑んだ。
「久しぶりだね。背中合わせに戦ったの」
「……そう、だな」
最初に遭遇した事件を思い出す。
村を魔物が襲撃した時に、たまたま居合わせて。二人で戦い、どうにか鎮圧したのだ。
「前と同じだけど……。強くなったよね、私たち」
思えば。かつて蒼乃とともに迷宮の最深部へ堕ちた時。蒼乃は、魔力枯渇症を起こして気を失っていた。
だが先ほどは山の中腹から峡谷の底まで落ちたにもかかわらず、気を失わないばかりか平然と戦闘までこなしている。
(俺だけじゃない。蒼乃も、変わったんだ)
蒼乃の言葉に、なにか応えようと思った時。
「#$&%¥!!」
獣じみた雄叫びが、川の上流のほうから響き渡った。
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