剣姫の契り
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時が、無限のように感じられた。
ラキアの剣の鋒が、迫る。
『――――!』
ダイダロスが、何かを叫んでいる。
あまり無茶を言うものではない。渾身の攻撃を繰り出したばかりだ。
(間に、合わねえ……!)
狙いは右肩、それは分かる。
だが、身体が追いつかない。能力を切り替えている余裕もない。
まるで、どう動くかがあらかじめ分かっていたかのような位置と動きだ。
(……腕上がんなくたって!)
覚悟を決めた、その時。
不意に、誰かが視界を遮った。
青みがかった黒髪、ところどころが焦げた貫頭衣。脚線が見えるスリットには、ずいぶんと悩まされた。
(アイナ、さん?)
とん、と音がした。
アイナの身体が、わずかに震える。
「あ……」
声がこぼれる中、アイナが崩れ落ちる。
その向こうには、剣を引いたラキアが呆然としていた。剣からは、血が滴り落ちている。
「アイ、ナ……?」
近づくラキアの手が届く前に。
「……ッ!!」
アイナの身体を、抱き留めた。
全身の肌が粟立つのを感じる。背筋に怖気が走る。
それでも今は、離さない。
ラキアは表情を強張らせて、それを見ていた。大切なものが手からすり抜けた、そんな顔だ。
「アイナさん、アイナさんッ!」
名を呼びながら、傷の具合を見る。腹から、血が流れていた。
光が消えかけた瞳が、黎一を捉える。
「あぶな、かったな……。あの、突きは……受けては……」
「喋らないでくださいっ!」
最後の水薬を振りかける。腹の傷口に、手を当てた。
だが、血は止まらない。
「やめるんだ……。あれは、氣が高まった一点を突き……散、逸させる……」
「でも……」
「……いい、んだ。面倒に……つ、きあわせ、て……すまな、かった……」
アイナの声から、力が消えていく。
かつて影蠢く城の地下で、同じ光景を見た。知っている。死とは、こういうものなのだということを。
傷を瞬時に治したり、死者の魂を呼び戻す能力はない。迫り来る死の前では、己が無力であることも知っていた。
(でも今は違う。方法なら、ある)
勇者の、主上だけが使える言葉――。誓約を交わした者を、眷属とする言葉だ。
眷属となることを承認した者の肉体は勇者として蘇り、常人場慣れした力と能力を手に入れる。
(使う、のか? この人が死ぬのを見たくはねえ。けど……)
栄光と畏怖の狭間で生きるのが、勇者の宿命だ。
この異世界において勇者になることは、人ならぬ存在となることと同義だ。ひとりの女性の人生に枷を嵌める。その代償は、マリーの時に嫌というほど見た。
(俺のわがままで、命を救って、それで……)
不意に、右手になにかが触れた。
見るとアイナが、左手を添えている。
「……アイナ……ヒイズル……ズィパーグ……」
(本当の、名前……? 王族かなんかなのか……?)
縋る風の声ではない。さりとて、諦めているわけでもない。
分かっているのだろう。黎一が、これから為そうとしていることを。
迷っていることも、伝わった。
(信じるままに、か)
身体に、熱が戻る。
それでもアイナは、信じてくれている。
そんな、気がした。
「……勇紋布告」
ぽつりと言った言葉に、呆けていたラキアの表情が変わる。
「お前、まさか……やめろっ!」
ラキアもまた、言葉の意味を知っているのだろう。
異世界人ではないにも拘らず、勇者であることがその証左だ。
「創絆。アイナ・ヒイズル……ズィパーグ」
「アイナ、やめろ……! やめろおっ!」
拒絶の言葉とは裏腹に、邪魔をしてくることはない。
アイナはふっと笑うと、右手を握る手に力を込めた。
「……承認」
右手の勇者紋が輝く。
溢れた光は舞いあがった後、次々にアイナの身体へと入っていく。
「あ、ああっ……」
ラキアが剣を取り落とす。手を伸ばしても、光が止まることはない。
その視線が、アイナを抱きかかえる黎一へと向いた。
「貴様ッ……! 貴様ッ……!」
「そんなに言うなら、なんで傍にいてあげなかったんすか」
憎悪を宿した瞳に向けて、淡々と言い放つ。
「アイナさん、苦しんでたでしょ。それが分かってて、なんであんたは放っておいたんですか」
「お前になにが分かるッ!」
「分かりませんよ、あんたの都合なんて」
アイナの身体を降ろして、立ち上がった。
愛剣を握り締め、突きつける。
「俺はただ……苦しんでる仲間を、見捨てたくないってだけだ。あんたにはそういうの、ないんですか」
「……同感、だな」
声は、足元から聞こえた。
見ればアイナの形をした光が、ゆっくりと立ち上がるところだった。
「世界の頂に立つといったな。そんなものに興味はない。私はただ、己の故郷を取り戻したいだけだ」
光が徐々に零れ落ち、アイナの姿へと戻っていく。
焦げた貫頭衣から覗く肌に、傷はない。左手の甲には、夜天に浮かぶ三日月の勇者紋が顕れている。
その姿を、ラキアが睨みつけた。
「愚かな……。その身ではもう、世之断は振るえない。誰もお前を……」
「構わないさ」
ラキアの言葉を喰ったと同時に、アイナが動く。
かと思うと、明後日のほうに転がった世之断の位置まで飛んでいる。
「たとえこの身が滅びようとも、国の血筋が続けば……本望だっ!」
拾い上げた世之断の鋒を、ラキアに向ける。
ラキアはしばし俯いていたが、やがてぎらりと黎一を見た。
「ならば……禍根として、ここで断つとしようか」
ラキアが剣を拾い上げ、大きく後ろへと飛んだ。
右手に外套を巻き取り、左手で剣を構える。
「さあ、来なよ。覚悟や決意じゃ、力の差は埋まらないってことを教えてやる」
火口の熱が、鋭い氷のごとき殺気で吹き飛ばされた。
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