長き道
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三日後――。
屋敷の台所から、なにかが割れる音が響いた。
「わひゃあっ⁉」
一拍遅れて、マリーの悲鳴が聞こえる。リビングにいる者たちの視線が、一斉に台所へと集まった。
(まさか、今の音は……)
黎一が暗澹たる予感を胸に台所へ行くと、果たしてマリーが床にしゃがみ込んでいる。足元には、割れた皿の残骸らしきものが散らばっていた。大ぶりな欠片に描かれた花の柄を見た瞬間、予感は確信へと変わる。
(あ、あ……。結構、使える皿だったのに……)
「ご、ごっ、ごめんなさいぃぃい! すぐ片づけますから……っ!」
「いや、いいっす。俺がやるんで」
涙目で片づけようとするマリーを、素早く手で制する。被害が広がったら、たまったものではない。
「で、でも……」
「とりあえずどいてください。んで、もう台所に入らないでください」
「はぅ……っ!」
事実上の戦力外通告を受け、マリーの顔が悲しみに歪む。だがこの三日で、食器を二十近くお釈迦にされているのだ。黎一の中では、だいぶ寛大な措置である。
なにせ先日までは箱入りのお姫様。慣れないこともあろうと、最初の三つくらいまでは笑っていられた。だがここまで来ると、もはや別の才能があるのでは、と勘繰ってしまう。
「あらぁ~? 張り切ってたわりに大したことありませんねぇ~。お城に戻ったほうがいいんじゃないですかぁ~⁇ オ・ヒ・メ・サ・マァ~⁇」
未だ座り込んでいるマリーを、蒼乃がカウンター越しに煽り散らかす。この三日で、食器が割れる音がした瞬間にどこからでもすっ飛んでくるようになっていた。人の弱みを察知する特殊な器官が備わっているのかもしれない。
「うう……っ! だいじょうぶですっ! わたし、へこたれないのが強みなんでっ!」
「へこたれるとかじゃなくてっ! 実害出てるんですっ! もう屋敷の設備に触んないでくださいっ!」
「そんなぁっ……。レイイチさんは家事を分担しようって言ったじゃないですかぁ!」
たしかにそういう話はした。
現状の家事当番はひとりがフィーロのお風呂と寝かしつけ、もうひとりが掃除と食事の用意である。このローテーションの内、掃除と食事を分割したのだった。いきなり一番負担の大きいフィーロの子守だと大変なので、とりあえず慣れてもらうための措置だったのだが――。
(こりゃもう、家事は任せてはおけねえな)
マリーに因る被害は、食器を割るだけにとどまらなかった。掃除の最中に絵の額縁を落とす、花瓶を割る、ゴミをぶちまけるなど枚挙に暇がない。まだ試してはいないが、この調子では料理も期待できないだろう。
「……フィーロの面倒だけ見ててください。それで十分なんで」
「は、はい……」
とどめを刺すと、今度こそマリーはすごすごとリビングのソファへと歩いていく。
「マリ~! フィロのおむねでないていいのよ!」
どこで覚えたか定かでない台詞とともに、フィーロがマリーの膝に飛び乗った。こちらもこちらで、自分が構ってもらえるチャンスは見逃さない。一体、誰に似たのだろうか。
「ふ、ふぇええん……! フィロちゃあああん……」
マリーは、盛大にフィーロを抱きしめる。フィーロ吸いは、女性陣の中ではこの上ない癒しであるらしい。
一連の流れの中、リビングに屯す面々が苦笑しはじめる。
「いやぁ~、一夫多妻ってのは大変ですねぇ。八薙さん」
「ありゃあ、また別の問題な気もするがな」
(どっちも妻じゃねえよ……)
窓際のソファからのたまう光河と御船の声に、心の中だけで言い返す。声にすると、蒼乃やマリーがなにを言い出すか分からない。
その間に、リビング中ほどのテーブルに座っていた四方城と天叢、アイナも顔を見合わせていた。
「で、でもほら。変に宿で暮らさなくて良かったよね。ひとりで暮らすと、大変だろうから」
「ご家族の皆さま、こうなるって分かってたから八薙くんに預けたんでしょうね……」
「仕事では有能なのだが、というのがレオン殿の評であったからな。是非もない」
(ええいくそ……。みんな好き勝手言いやがって……)
割れた皿の破片を片付けていると、気分が萎れていくのが分かった。フィーロだけでも大変なのに、世間知らずのお姫様まで追加だ。金の面はともかく、心のゆとりがどんどん消えていく気がする。
(俺の、平穏な日々を返してくれ……)
そこまで考えた時、ふと思う。
今、この場にあるのは結果だ。手を広げ守ろうと、動いた結果だ。元の世界には帰りたい。だが元の世界にいた頃の時分には、戻りたくない。なんとなく、そんな気がした。
(俺が守ったもの、か)
思えば今この瞬間も、悪くはない気がする――。
などと考えた時、蒼乃がすっと寄ってきた。黎一が固まらずに済む、絶妙な距離感だ。
「食器、買わないとね。ただでさえ皆が来るようになって、足りなくなってきたし」
「そう、だな」
立ち上がり、台所からリビングを見渡した。
マリーはフィーロを膝に乗せつつ、四方城や光河に慰められている。こうして見ると、子守役と思えば悪くない。
「……食器のついでに、メシの材料も買ってくるか。この人数じゃ、今ある分じゃ足りないだろ」
ぽつりと漏らした一言に、隣にいた蒼乃が意外そうな顔をする。
「へっ? あんたが作るの?」
「悪いかよ」
「いや、いいんだけど……どういう風の吹き回し?」
「別にいいだろ。突然の死を齎す迷窟の件が終わってから、特に何もやってなかったしな」
声を聞きつけたのか、天叢の目が輝いた。
「おっ! 打ち上げの許可が出た⁉」
「あら、珍しい。じゃあマリーさんの歓迎会も込みですね」
四方城が賛同すると、他の面々がぽかんとした顔をする。
「あの塩の八薙が……?」
「明日は嵐かもしれねえな。ま、とりあえず買い出し行くか」
「私もつき合おう。作ってみたい品がある。材料が売っていればいいんだが……」
「アイナさんが作ったお料理、美味しかったですからね」
口々に言いながら出かける準備を始める面々を見て、マリーが一人おろおろしはじめる。
「え、えっと……わたし、どうすれば!」
「ここにフィロといてください」
「は、う……」
「へこまなくてもいいっすよ。フィロ見てくれてるだけで、だいぶ助かりますから」
声をかけると、マリーは少しだけ安心した顔をした。
「できること、少しずつ増やしてください。あまり長居はしたくないが、なんだかんだで長いでしょうから」
「……はい。仰せのままに」
マリーが、恭しく頭を下げる。
それを見た黎一は、玄関のほうへと歩いていく。
(長い、か……)
自分の口から出た言葉を、反芻する。
聡真の足取り、別世界に転移する術。手が届くのはいつになるだろうか。そしてその時、守ってきたものはどうなるのか。
(……その時、考えればいいか)
今は、この瞬間を守り続けよう――。
そんなことを考えながら、黎一は玄関の扉を押し開けた。
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