住み込み聖女
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ようやく王宮から解放されて後――。
黎一は屋敷のソファに寝そべって、グランスに殴られた箇所をさすっていた。
(うおおおぅ……。まだいてえ……)
マリーの回復魔法をかけてもらったのに、未だに頬の痛みと脳が震えたような感覚が残っている。子を持つ親の気持ちの重さとは、こういうものなのかもしれない。
(父さんも、こんな気持ちだったのか……?)
ふと、父を想う。
この世界で、穏やかに暮らせ――。父の声は、そう言った。
(父さんがいるのは塵界、なのか? ダイダロスもあの調子じゃ、全部を知ってるってわけじゃなさそうだし……)
「……そういえばさあ。マリーさん、これからどうするんだろうね」
沈みかけた思考を、対面のソファでフィーロの髪を乾かしていた蒼乃の一言が引き戻す。
今日の蒼乃は珍しく積極的だった。頬を腫らして戻ってきた黎一を見てからは、フィーロのお守りやら家事やらをすべて引き受けている。明日はきっと雨だろう。
無言で視線を向けると、蒼乃は察したように口を開いた。
「ほら、住むとことかさ。王族を追放されちゃったんじゃ、もうお城には住めないでしょ? ギルド職員や国選勇者隊まで除名される、って感じではなかったけど」
(たしかに。どうするんだろうな)
ソファの上で寝返りをうちながら、ぼんやりと考える。
王の居室を辞した後、階下に戻った黎一とマリーは召使いたちに迎えられた。去り際に、『色々と準備がありますから。それじゃ、また』と言われたきりである。
沈黙から色々と察したのか、蒼乃がみるみるうちに呆れ顔になっていく。
「ちょっと……あんた、なにも聞いてないわけ? 一応、陛下に挨拶までしたんでしょ? さすがにどうかと思うんですけど」
(お前は俺の何なんだ。コブ付きで同棲してる今の状況もどうかと思うぞ)
言葉の代わりに態度で示さんとばかりに、ふたたび寝返りを打ってソファの背もたれに顔を向けた。
「ま、いいけどね。私が気にしたところで、どうなるもんでもないし」
ため息混じりに言う蒼乃の声を背で聞きながら、王宮でのやりとりを思い出す。よく考えると追放された後のことは、マリー本人はもとより他の誰も触れていなかった。
(まあ父親があの調子なら、なにもないってことはないだろう。斡旋宿とかだと色々アレだし、一の園のどっかに適当な屋敷もらって……ん? 屋敷?)
聞き覚えのあるフレーズだ、と思った瞬間――。
玄関の鐘が鳴る。来客だ。
「「……」」
思わず起き上がり、蒼乃と顔を見合わせる。
嫌な予感がした。そういえば一昨日の晩にチャイムが鳴ったのも、このくらいの時分だった。
「れーいち、おきゃくさんだよ!」
ただひとり、フィーロだけはわふわふとした表情を浮かべている。誰とも限らず、訪客を喜ぶ性質の娘なのだ。
立てかけてあった愛剣を鞘ごと引っ掴み、無言で玄関へと向かう。魔律慧眼で見ると、やはり魔力がふたつある。
「どちら様で……」
「あ、マリーで~す!」
あまりに予想通りのアニメ声に、身体から力が抜ける気がした。ドアを開けると、そこにはいつもの桃色のガウンに身を包んだマリーが立っている。
「ごめんなさい、遅くなっちゃって……」
言いながら微笑むマリーの足元には、ひと抱えほどもある大きな鞄があった。右手には、布にくるんだ棒状のなにかを携えている。おそらく、友の形見である長杖だろう。
「えっと……なんの、御用で?」
「えっ? 嫌だなぁ、もう王女じゃないんですから。そんなにかしこまらなくたっていいのに。ともあれ、今日からよろしくお願いしますね」
「……はい?」
最後の一言に、わずかな間だけ思考が停止する。
その間隙を縫って、背後に控えていた蒼乃が黎一の横から顔を出した。
「よろしく、って……なにを?」
あくまで笑顔で、しかしげんなりした声で問う蒼乃に向けて、マリーは満面の笑みを浮かべる。
「今日から、わたしもこの屋敷に住まわせていただきます」
「は、はあっ⁉」
「こうなっちゃった以上、嫁入りと同じですし。お父様とお兄様には話してあります。それに宿暮らしとかだとお金が、ねぇ……」
素っ頓狂な声を上げる蒼乃を尻目に、マリーは笑顔で言葉を続ける。蒼乃の表情を見て、愉しんでいるとしか思えない。
「どっか適当に小さな屋敷とかもらえばいいじゃないですかっ!」
「ちょうどいいところ、ないんですよぉ。ここなら部屋もたくさんあるし、フィロちゃんの様子も見れますし……願ったり叶ったりです」
蒼乃とマリーがやり合う足元で、今度はフィーロが顔を出した。
「マリー、ここにくるの⁉」
「ふふっ。そうですよぉ、フィロちゃん」
「おおぉぉ~!」
マリーに頭を撫でられたのも相まってか、フィーロが目を輝かせる。
すると、今までマリーの背後にいた人物がフードを上げた。言わずと知れたロベルタだ。
「さて、わたくしはそろそろ引き上げますわよ」
「うん! ありがとう、ロビィ」
「まったく、このわたくしを荷物持ちに使うなど……。大陸広しと言えど、貴女くらいのものですわ」
苦笑するロベルタの脇には、マリーが持っているものと同じくらい大きな鞄が、左右にひとつずつ置かれていた。
昨日の今日で夜分に出歩いているあたり、天下のカストゥーリア公も娘には甘いのかもしれない。
「疲れてるのにごめんね。今度、甘味オゴるから」
愛おしげに抱擁するマリーを、ロベルタもひしと抱きしめる。王族を追放されても友情は変わらないらしい。微笑ましくはあるが、残念ながら今はそれどころではない。
「三の園のお店は初めてですからね……。楽しみにしておきましょう。それではヤナギ様、アオノ様。ごきげんよう」
ロベルタは簡易な礼式を取ると、踵を返して門へと歩いていく。
その時、狙い澄ましたかのように黎一の端末が震えた。
「はい……」
『やあ、私だ。マリーはそちらに着いたかい?』
疲れた声で応じた途端、レオンの鷹揚な声が聞こえてくる。悲しいかな、予想通りの相手だ。
「……今、まさに」
『ちょうどだったか。まあそういうことになった。よろしく頼むよ』
「いや、ちょっと、さすがにそれは……」
『父上も了承済みだ。よもや、断るとは言うまいね?』
レオンの口調には、有無を言わさぬ圧が込められている。たとえ生まれた腹が違おうと、追放されようと、妹ではあるのだろう。血は水よりも濃い、とはよく言ったものだ。
「……はい」
『うむ。餞別を持たせておいたから、必要なものがあればマリーに言いたまえ。もっともキミたちも、そう不自由はしていないだろうがね。では邪魔にならんよう、これで失礼するよ』
「……ハイ。お疲れっす」
そのまま通話が途切れる。あとに残るのは、げんなりした蒼乃と、笑顔のマリーとフィーロだ。
「そんなわけなのでぇ……とりあえず、荷物運びこんでいいですか? あ、お部屋は一番小さいところで構いません!」
蒼乃の顔が、ゆらりと黎一を向いた。
この動きは経験上、良くない。非常に良くない。
「……あんた。空いてる部屋、掃除してきて。どこでもいいから」
「は……?」
「いいからっ! フィロもれーいちのお手伝いっ!」
「えぇ~⁉ やだぁ、マリーとおはなしするの~」
「……フィロ、行くぞ。お話はあとでも明日でも、たくさんできる」
その場から離れなければいけない、なにかを感じる。
黎一は有無を言わさずフィーロを抱きかかえると、そそくさと二階へと立ち去った。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました!
お気に召しましたら、続きもぜひ。




