惜別
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誰もいない王宮の廊下を、窓から差し込む秋の夕日が照らしている。その中を、黎一はマリーと並んで歩いた。ロベルタに見送られて控室を出てから、互いに一言も発してない。
「……なんかこう、誉め言葉のひとつもないんですかぁ? わたしとしては、かなりいいと思ってるんですけど」
だいぶ気まずくなってきたころ、不意にマリーの声がした。
横を見ると化粧に彩られた幼顔が、いつもの笑みを浮かべている。
「えっ、あっ……いや……」
「ふふっ、なんてね。こんなんじゃ、褒めるに褒められませんよね」
そう言いながら、マリーは手袋をした左手をかざす。贄装束という最初の印象は、間違っていなかったらしい。
「……レオン殿下から、色々聞きました」
「そう、ですか」
沈黙が訪れる。
王宮二階の北側にある昇降機に乗り込むと、マリーはパネルに鍵を差し込み、最上階を選択した。今から行くのは、王族のための領域だ。
昇降機が動き出す。窓の外に流れる王都北側の風景が、茜の色に染まっている。
「わたし、後悔してませんから」
ぽつりと、言葉が聞こえた。見ればマリーがうるんだ瞳で、黎一を見ている。夕陽に照り映える純白のドレスは贄の装束などではなく、彼女のために仕立てられた花嫁衣裳のように思えた。
「幸せに、してくださいね?」
悪戯っぽい笑顔に、なんと返せばよいか分からなかった。
だが覚悟を受け入れた者として、なにも応えないのはないだろう――。そのくらいは、さすがに分かる。
「幸せにできるかは分かりません。けど……」
言葉を探して、わずかな間が空いた。
敢えて視線をそらして、口を開く。
「俺の手の届く範囲にいてください。そしたら、守ることはできる」
「……はい。仰せのままに」
ふたたび、沈黙が流れる。
わずかばかりの間だったが、不思議と嫌な感じはしなかった。
* * * *
二人を乗せた昇降機は、王宮の最上階で止まった。パネルには階数の代わりに、剣を銜えた獅子の紋章が表れている。ヴァイスラント王家の紋章だ。
昇降機を出ると、青い色の絨毯が敷き詰められた廊下が一直線に伸びている。赤い絨毯で統一されている下の階と、明確に区別しているのだろう。
「王の居室は、一番奥です。……あ、ちなみに廊下の脇の扉が、兄や姉たちの部屋なんですよ」
マリーに先導されて、歩き出す。
いずれの部屋も、豪奢な鎧と外套で武装した騎士たちが固めていた。一見ただ立っているだけだが、微動だにしない姿勢と雰囲気から強者揃いであることが分かる。
(これが王属近衛騎士団、か)
すべての騎士が、肌をちりつかせるような視線を黎一に向けている気がした。腰間に愛剣があれば、思わず柄に手をかけてしまうかもしれない。
(みんな、すでにご存知なわけね)
王の居室までの廊下は、さながら贄の行列に思えた。
古の時代、人身御供に出された娘はこんな心持ちだったのだろうか――。そんなことを考えていると、突き当りの一番大きな扉にたどり着く。この部屋だけは、近衛騎士たちが立っていない。
「行きましょう。……お父様、マリーが参りました」
返事はない。マリーは困ったような笑顔を向けると、ノックもせずに扉を押し開ける。
(おおう。こういう感じか)
王の居室は、そのすべてが黎一の想像をはるかに超えていた。見えるだけで、教室ひとつ分はあるだろう。天幕つきのベッドに、洒落た装飾がなされた揃いの棚とテーブルに椅子と、かつてネットで見た高級ホテルのスイートルームも顔負けの設えだ。
(いない……?)
部屋の中を見回すと、不意に風を感じる。視線を向けると、部屋の隅にあるガラス張りの扉が開け放たれていた。白地に金の刺しゅうを施されたカーテンが、夕方の風に揺れている。
「ま~た、いつもの場所ですね」
「いつもの……?」
「暁望庭園……。王族の部屋を取り巻く形で造られた、王都を一望できる庭園です。そこにある木の下が、お父様のお気に入りの場所なんですよ」
マリーは、軽い足取りで扉へと歩き出す。
後について扉を潜ると、外は小振りな庭園になっていた。草花どころか、大きな木々まで植えられている。葉が赤く染まっているあたり、四季を感じられる品種を揃えてあるらしい。
その木の下に、逆立った金髪の大柄な男がうずくまっていた。王都の南側を眺めたまま、黙って杯を傾けている。
「……お父様。参りました」
近づいたマリーが声をかけても、金髪逆毛の男――グランスは一向に振り返らない。
熊ほどもあろうかという巨躯を、猩々緋の地と金の縁取りが為された長衣に包んだ様は、一国の王より山賊の頭か荒くれ傭兵団長と言われた方がしっくりくる見た目ではある。もちろん、茶化している場合ではないのだが。
(これ、ひょっとして俺が先になんか言ったほうがいいやつか……?)
事前の打ち合わせでは、マリーが感謝の意を述べた後、冒険者としてマリーとともに生きる旨を述べる予定だった。が、グランスが黙っているおかげで、すべてがご破算になってしまっている。
言葉を見つけられずにいると、マリーが意を決した表情で一歩前に出た。どうやら予定通りにいくつもりらしい。
「お父様。マリーディアは……異界の者の、眷属となりました」
そう言って、手袋を外した左手を差し出した。
手の甲には黎一の右手と同じ、夜空に浮かぶ三日月を模した紋様が刻まれている。
「わたくしは、この者……レイイチ・ヤナギを主人と仰ぎ、この身が果てるまで共に歩む所存です」
盃を持ったグランスの手が、止まった。
「母ともども、ご厚情を賜りありがとうございました。この御恩は、ヴァイスラント王国への貢献を以て、お返しします……」
そこまで言うと、マリーはちらと黎一に視線を向けた。
緊張と戸惑いを抑えながら、マリーの隣に立つ。
「あ、っと……そ、の……」
――言葉が、出ない。
(うああああダメだああああっ! さっきまで考えてたヤツ全部忘れたあああっ!)
マリーのなにかを察した視線が突き刺さる。表情に出ていたのだろう。
こうなればアドリブか、などと自棄になりかけた瞬間。
グランスが、ゆらりと立ち上がった。なんの気配も放たぬ所作に、思わず目を奪われる。
(なにを……ッ!!)
気づいた時には、グランスが眼前にいた。左の拳が動いたのを認識した時には、もう身体が宙を舞っている。
「レイイチさんっ!」
マリーの声とともに、地に叩きつけられた。遅れて感じる頬の痛みで、ようやく殴られたのだと気づく。
忘れていた。この王はあのレオンの父親であり、かつてヴァイスラント軍を率いて大陸最大の版図を勝ち取った英雄なのだ。
「……お父様ッ!」
「かわいい娘を疵物にされたんだ。このくらいはとっておきな」
鷹揚な声に身を起こすと、目の前にグランスがいた。
綺麗にデザインされたあごひげが特徴的な顔には、様々な感情が滲み出ている。憤怒と、悲壮と、諦観と。すべてを綯い交ぜにした後に、交互に表しているように見えた。
「この紋を願ったのも受け入れたのも、わたくしの意志です! レイイチ様は、わたくしの我儘を聞き入れてくださいました……!」
「……別に、それだけでもないっすよ」
縋りつかんばかりの勢いでまくしたてるマリーを制して、立ち上がる。
グランスの眉が、ぴくりと跳ねあがった。
「名誉の死にすることだって、できました。けど、元の世界に帰れるまで……手を広げて届くところは守ろう、って決めたんです。だから……彼女のことも、守るつもりです」
手も声も震えているのが、自分で分かる。それでも目だけはグランスから逸らさずに、言葉を続けた。
「……こういう時は、なんとかします、って言うんすよね?」
そう言って、笑ってみせる。余裕を醸し出すつもりだったが、おそらくにへらとしたいつもの笑みだ。
グランスの肩から少しだけ、力が抜けた。
「マリーディア。後悔は、してねえんだな?」
「はい。たとえ世界の境を超えようとも、彼と共に在る覚悟です」
マリーは黎一に寄り添いながらも、まっすぐにグランスを見ていた。グランスはしばし沈黙していたが、やがて座っていた場所へとのそのそと歩いていく。
「なら、さっきの一発で全部チャラだ。誰にも、お前たちを悪し様に言うようなことはさせん」
「お父様……」
グランスは背を向けて座り込み、ふたたび杯を取った。肩が、少しだけ震えている。
「娘を、頼む」
ぽつりと言うと、ふたたび酒を呑み始めた。
その背に向けて、マリーが頭を下げる。
「ありがとう……ございます」
グランスは、なにも言わない。
告げるべきことは告げた。背中が、そう語っている。
――庭園から去る前。黎一は、グランスのほうを見た。
グランスは、座ったまま動かない。その背中は、なぜか妙に小さく見えた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました!
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