ふたりの少女
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マリーはラレイエの裸体を、自らの桃色のガウンをかけて覆い隠した。紋様が刻まれた宝球の下で、傷ついた少女を抱き上げる様は、神話の一遍を描いた名画を思わせる。
「……貴女の声が聞こえた」
ラレイエがぽつりと言った。白磁のような肌の色は変わっていないが、顔は遠目からでもやつれて見える。
「うん。貴女に届いた時に、呼んだから」
「どうして……。どうして助けたの」
「わたしもね、討つしかないって思った。せめてわたしが、って。でも……」
マリーの視線が、ちらと黎一へと移った。
気恥ずかしさに目を背けたくなるが、ラレイエが暴れ出さないとも限らない。仕方なく、そのまま成り行きを見守る。
「手が届くなら、守ろうって。そう言ってくれた人がいたから」
「……いつもそうね。貴女はなんでも手に入れられる」
ラレイエが二の腕で目を覆う。その陰から、一筋の涙が流れた。
「その勇者さんがいるってことは、ヘクターも敗れたのね。わたしは、結局なにも……」
「……ごめんね」
呪いの言葉を吐くラレイエを、マリーが優しく抱き上げる。
「わたし、気づいてあげられなかった。貴女が苦しんでいることも、お家のことも。そういうの全部押し隠して、わたしたちと一緒にいてくれてたんだよね」
その声は、途中からかすかに震えていた。
「貴女は……なにも持っていないわけじゃない。わたしたちがいるから。貴女の罪も業も、わたしたちが全部受け止める。だから……」
マリーが顔を上げる。涙と疲れでくしゃくしゃになった顔には、聖母のような微笑みが浮かんでいた。
「……もう、大丈夫だよ」
ラレイエはしばし呆けた顔をしていたが、やがてふたたび目を伏せる。
「バカね……。わたしも、バカだけど」
そう言うと、傍らに転がっていた長杖を手に取った。
灰色の柄が人の頭もある琥珀を抱くような造からして、ラレイエ自身が使っていたものだろう。
「……この杖、覚えてる? まだ駆け出しの頃、わたしの誕生日に貴女たちがくれたの。冒険者としての稼ぎだけで買ったんだ、って」
「うん、覚えてる。すっごい悩んで、お店の人に値下げ交渉までして買ったんだもの」
笑いながら言うマリーに、ラレイエも応じて笑う。
そこにいるのは、魔女と王女ではなかった。ただ思い出話をして笑う、ふたりの少女だった。ようやく身を起こしたロベルタもまた、遠い目で微笑んでいる。
「……楽しかった、ね」
「うん」
頷くマリーに、ラレイエは長杖を差し出した。
「持っていって。討伐の証が必要でしょ」
「ラーレ!」
「わたしはもう戻れない。杖の見た目、変わっちゃったけど……きっとあなたを守るから……」
ラレイエの言葉が、終わる前に。
突然、地鳴りが始まった。台座の上の宝球に描かれた、六色の紋様が輝きだす。
(なんだってんだ……⁉)
能力を魔律慧眼に切り替えて、周囲を見回す。台座を中心にすべての色の魔力が渦巻き、巨大な螺旋を作っている。よく見ると、赤、青、黄、緑の渦の中に、白と藍色の渦がある。いわゆる属性の四すくみに、光と闇を示す白と藍を加えた形だ。
(全部の魔力が同じ量で、ひとつの場に……しかも法則を持って動いてる⁉)
「……やっぱり、か。最初からこうするつもりだったのね」
黎一の動揺をよそに、呟いたのはラレイエだった。立ち上がり、桃色のガウンをキトンのように纏い直す。男性の前で裸体のままいるのは、さすがに抵抗があったらしい。
その時、愛剣が震えた。
『ウオオオェッ……覚えのある魔力だな。向こう側のヤツらがおっぱじめやがったか』
「なにそれ、焉古装具の一種? その調子だと、何が起こるか知ってるみたいね」
わざとらしくしゃべり始めたダイダロスの声に顔をしかめながらも、ラレイエは視線を黎一に向けた。
「勇者さん、悪いんだけど最後にもうひと仕事してもらえるかしら。それさえ終われば、こっちの手番はおしまい」
(これだけの面倒事を起こしておいて、その言い草かい)
内心でげんなりする。盗人猛々しいとはこのことだ。
表情が顔に出ていたのか、ラレイエが困った笑顔を浮かべた。
「ま、そんな顔したくなるのも分かるけどね……。でもここで踏ん張ってもらわないと、あなたたちが助からないどころか、この世界がまずいのよ」
「この世界……?」
「この台座は、断界門。違う世界の狭間を、自在に超える力よ」
「聞きましたよ。それがなんで勝手に動いてんすか」
「あっちにいる方々がこじ開けようとしてるの。わたしが集めた魔力を使ってね」
ラレイエはおぼつかない足取りで、宝球の真下まで歩を進める。
「あっちにいる方々……?」
「そ、塵界に封じ込められた竜人よ。ちょっとした入口さえあれば、垣根を超えて干渉してくるんだから、大したものよね。そのお歴々がこっちの世界に出てきたがってる、ってわけ」
その口調は妙にあっけらかんとしている。傾国の美姫を思わせる見た目からは想像もできない。おそらくこれが、彼女本来の姿なのだろう。
「……どうすりゃいいんすか」
「簡単よ。わたしが開門を遅らせるから、その間に門を壊して。さっきの魔物たちをどうこうできるくらいの魔法使えるなら、なんとかなるでしょ?」
「……ッ!!」
ラレイエの言葉に、愛剣を握る手に力がこもる。
目の前にあるのは手掛りどころか、明確な答えだ。この門の力があれば、元の世界に帰れるかもしれない。
その時、地鳴りが強まった。宝球の輝きが、いっそう強まる。ラレイエの表情もまた、険しいものに変わった。
「ま、そんなわけだから……よろしくね」
そう言いながら、両手を天井の宝球に向けてかざす。
六色のうち、藍色の光だけが怪しくまたたいた。渦の動きが、心なしか遅くなる。
「ラーレ! なにを……!」
「わたしの魔力で、宝球に、干渉するっ……! あの紋様、六つの属性を均等に使うのが鍵、みたい、だから……っ!」
マリーの悲痛な声にラレイエが応える間にも、宝球の藍色はどんどん濃くなっていく。白が食いつぶされ、他の色の光も大きさにばらつきが出始める。
「ほら、早くしてッ! あんまり長持ちしない……」
ラレイエが言い終える前に、周囲に怪しげな黒点が湧いた。
『ツカイバシリガ。モノノヤクニモタタヌ』
どこからともなく、声が聞こえた。暗く濁った水の底から聞こえてくるような、くぐもった声だ。
次の瞬間――。
「……ああああああっ!!」
黒点から放たれた黒い閃きが、ラレイエの身体を貫いていた。
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