027 幻想の中の離宮で
師匠。
ねぇ、師匠。
私はね、いつだって師匠の弟子だし、私に出来る限り師匠に寄り添う。そう言ったわね。
その言葉に嘘はないの。
でも……
やっぱりね、加減はね、大事だと思うのよ。
うん。
こう、何でも極端から極端に走る人って、いるじゃない? あれね、駄目だと思うのよ。
ほら、いい加減にしろって言葉ね、あるでしょ。
あれは、”自分の思う良さそうな加減”に調整しなさいねって、事だと思う訳よ。うん。
両極端じゃなくて、中庸。
つまり、真ん中くらいを程よく目指すべきだと、私は思うんだけれど、皆はどうかしら?
そう思うわよね?
ね?
ねぇ?
……。
………。
「がはははははっ!! 飛ばすぜっ!!!」
限度も予想も軽く超えている。
いや、超えすぎ。
怖すぎ。
壁走ってる。
壁走るって何。
走っていいところじゃないわよ、壁は。
は? はぁ?
え、私がおかしいの?
大事な事だから二回言っちゃうわ。
私がおかしいの?
「何だよ、レイ? そんな楽しそうな顔して、やっぱり俺の友なだけの事はあんなあ!」
「こんのボンクラ阿呆タレ師匠っ!! 私のどこが面白がって見えるってんのよ、これは呆れてるのよ!! ヒッ!!」
ガッハッハッと機嫌良く豪快な笑い声をあげながら爆走中の師匠と、その師匠に小脇に抱えられて恐怖の悲鳴をあげている私。
そんな私達が今いる場所は、何処あろう。
例のあの人がいる、離宮だった。
例のあの人とか言うと、前世魔法世界で有名だった蛇と話せるあの人みたいだけれど、今さしているのは別の人。
そう。師匠の従兄にしてこの国の第一王子、病弱と噂され国外に療養中と表向きはされている、シリクス王太子殿下だ。
では、どうしてそんな方のいる離宮を師匠に抱えられて爆走中なのかというと、話せば長くなることながらっ……!
「ぐえぇっ!」
考え事をしていたせいで体制を立て直せずに、突然急停止からの大跳躍をかました師匠の肩口にもろにお腹がめり込んだ。
思わず潰れた様な声が出てしまい、思考も中断される。
「おっと。悪ぃ! けど、今は吐くなよ。バケツは持ってないからな」
「……」
後ろ向きに俵担ぎされた状態なので、師匠には私が吐きそうになっている酷い状態が見えないらしい。
「ん? あ、レイ!? やべぇ、飛ばし過ぎたか!? もうちょい我慢出来るか!?」
うん。気が付いたのは褒めてあげるわ。
ただし。
───走りながら首をガクガクするのやめて本当に吐きそう……おぇ。
とんでもないスピードで爆走中なのに、頻繁に予告無しにとんでも大ジャンプされたり床じゃないところを走ったり、重力ってなんだろうとか哲学的な事を考えそうになる合間に来る、浮遊感。
着地と同時に一気に胃の中身が口から出そうになるから、下手に喋ることも出来ない。
──セルゲイは来なくて大正解よ。
本当は事前にセルゲイも一緒に行くと言っていたのだけれど、こういう侵入方法をとるからには人数は少ない方が良いとの事で、師匠が却下をした。
これは本当に英断だったわよ。
と、師匠が抱えている私の背中を軽くポンと叩いた。
そろそろ頃合らしい。
なんとか胃の中身の逆流を阻止して、唾を飲み込みながら思考を切りかえた私は師匠に問い掛けた。
「予定通りかしら?」
「ああ、バッチリだぜ! レイはどうだ? いけそうか?」
少しばかりこちらを心配する気配を感じとって、私はくすりと笑った。
師匠の背中をぽすぽすと軽く叩く。
「勿論よ。私を誰だと思って?」
「ははっ! そうこなくっちゃな。それじゃ……いくぜっ!!」
瞬間。
その場所から、私という人間が姿を消した。
直後。
───ガキィィン
刃物と刃物のぶつかり合う音が聞こえるのを遠耳に聞きながら、私はその場から全速力で走り去っていった。
師匠の笑い声がどんどん遠ざかっていく。
「はははっ!! さっすが、シル兄上直属の精鋭だなあっ! 流石の俺も、簡単には倒せねえ!
でもな、俺も王族の端くれだ。簡単にはレイの後は追わせねぇよっ!」
愉しげな師匠の声と僅かに苛立ちの混じる空気に冷や汗を流しながら、何も無い空中に向かって剣戟を受け止めては返す師匠を振り返らずに、私は無事にその場所から離脱を果たしたのだった。
◆◇◇◆◇◆◆
いつかと同じく、代わり映えのしない変哲のない無駄に広い廊下を駆けていく。
時折、さっきまでの師匠よろしく、何も無い場所を飛んだり空中で身体を捻ったりとしながら、ペースを落とさず前世の電車並みのスピードを保ったまま走っているけれど、景色に代わり映えはしない。
また瞬間的に跳躍する。
すると──、
「ああ、こっちね」
跳躍した先の景色がぐにゃりと歪み、先程までとは全く異なる景観が目に飛び込んできた。
思わず、にやりと笑みがこぼれる。
「ふーん? 面白いわね。師匠の言う通りだったわ」
小さく独り言を洩らして、私は変わってしまった景色の方へと足を向け直し、そのまま駆け抜けて行った。
◇◇◆◇◇
何度目かの景色の揺らぎを目にし、徐々に変化している廊下を通り過ぎ続けて幾許かの刻が過ぎ。
不意に、それは訪れた。
「……!? わぉ、これは凄い……」
途端に感じる、猛烈な違和感。
何も無い廊下をなんの揺らぎもないままに通り過ぎていたはずの場所で突如目にする、不可思議な場所。
前世でこれを目にしていたなら、私は真っ先に、自分の正気を疑ったと思う。
それか、過労でぶっ倒れて見る幻覚か夢の類と信じて疑わないかもしれない。
けれど、この世界に生まれてからの私は、何が起きても不思議ではない、寧ろ、何でもありだと思えるようになった。
それなのに、今。
私は、甚だしい認識の乖離とずれを感じていた。さりとて、至って、落ち着いていた。
───ああ。これが、魔法使い達の頂点に君臨し続ける、王族の力の一端なのね。
私は、冷静だった。
感情の揺らぎもなく、冷静に、いつも通りの私のままでその場所に存在していた。
思わず溢れた簡単の吐息も、それすらいつもの私がこぼすものと何一つ変わらなかった。
空がある。
白く、口に含めばほろほろと崩れ消えていきそうな幻想をする雲が、風に靡いて流れていく。
大地がある。
踏みしめる草の音、虫の音、鳥の囀りと共に、時折吹く風に運ばれた花々の香りが鼻孔を擽る。
森がある。
深緑の木陰に強く伸びやかな枝葉が天を目指し、木漏れ日の狭間を野に生きる動物達が共に駆けていく。
こんなこと、目にしたとて不思議とは思わない。
今私がいるはずの場所が、本当は広く広大な建物のその更に最奥であるとしても。
どこまでも美しく、けれどどこか歪で寂しい場所だと思ってはいても。気が狂うようなことも無い。
目の前に広がる世界の中心に、私と師匠の探す人がいる。その人は孤独で、それでいて言葉に出来ない程深き心をもつのだろうかと涙する。
それすらも、本当かどうかは分からない。
ここは、そういう場所だった。
「さて。ぐずぐずしては居られないわね」
僅かな思考を切り上げて、私はその場所の中心へと歩みを進めた。
一歩足を踏み出す事に変わる景色。
怖いような気もする。
でも、それ以上に興味深さが勝った。
──これは一体、どういう原理かしら?
この空間そのものが、認識阻害魔法によって認識をゆがめられているのだろう。
けれど、かぜの揺らぎや動物の鳴き声までも再現出来るというのは、凄い。
どれほど想像力が豊かなのか。
この光景を作り出せる王太子様は。
あちこちを見て回るうち、また景色が変わった。
──これは、離宮? いいえ、もっと広いし絢爛だわ。……もしかして、王宮?
どこかで見たことがある気がして不思議だったのは、離宮に似ていたのだ。
けれど、明らかに今見ている景色の方が何もかも豪華で煌びやかだと、ひと目でわかる。
さて。
──王宮かぁ。なら、一番王太子様が居そうな場所は、自室かしら? でも、それがどこかなんて分からないし。
あまりもたもたしていると、師匠が相手取っている団体様がこちらまで来てしまう。それか、王太子殿下に気が付かれたら、色々と大変だ。
師匠曰く、チャンスは王太子殿下がこちらに気が付いていない間なのだそうだ。
私がこの場にいると認識された瞬間に、恐らく、完全に弾かれてもう王太子様のいる所までは辿り着けないだろうとの事。
侵入するという手を使ったのに、態々騒ぎ立てて爆走しまくっていたのは、半分は師匠に注意を向ける為だ。
そして先程、師匠が私にかけた認識阻害の魔法。これが、あの場所から一人で離脱できたカラクリなのだけれど、それもいつまで保つかは分からない。
その前に、王太子殿下を捕まえ……コホン。踏んじば、ええっと、とにかく逃げないようにしなければ。うん。
──さてさて、考えるのよ私。
師匠が言うには、認識阻害の魔法同士は微かにだけれど、互いの魔力の軌跡が見えるらしい。
それを利用して、離宮の至る所に張り巡らされた見えない罠を避けて来れたという訳だ。
それから分かることには、今いる子の場所の何処かに、王太子殿下がいるということ。
微かに反応するものがいくつかある。
けれど、問題なのはそれが誰か、厳密に言うと、どれなのかが分からない。
───全く、こうくるとはね。一筋縄でいかないのは、親戚って感じだわ。
目の前に広がるのは、王宮の庭園。それも、畜舎だった。
青々と茂る芝生の上に、動物達が優雅に放し飼いされている。
───動物になんかなられたら、誰だって分かんないわよ。
勘弁して欲しい。
というか、子供じゃなかったの。
いや、私も一度会ったという時の事が記憶にないので、実際に会ったとしてもどういう顔の子供なのか分からないだろうけど。これは予想してない。
───全くもう、侵入するのに屋根から入るは壁を走るはする師匠も大概だけれど、動物なんて見分けもつかないじゃない。なんて手のかかる人たちよ。
そりゃ人間は元を辿れば猿が進化した生物だ。
とはいえ、自分の認識を動物に定義する事なんてあるのか。一人でいる時?
───これは思った以上に骨の折れる作業ね。
この場所にいる動物達のうち、一匹……一人が王太子殿下その人だ。
つまり、私はその動物に気付かれる前に、それを確保しないといけないと言う訳で。
いや、無理じゃない?
「やめよやめ、無理だわーー!」
私は大声を出しながら、豊かな芝生にゴロンと豪快に寝転んだ。
その騒々しさで、半分くらいの動物が慌てて逃げて行く様子が視界の端に映る。
残っている動物は、警戒しているのか人馴れしているのか、こちらを伺ったまま動かない。
幻影に、警戒も慣れもないだろうけれど。
私は気にせずに愚痴をこぼした。
「この中から王太子殿下を見つけるなんて、無理。私には出来なーーい。ねぇ、そう思わない? あなた」
私は恐る恐る近寄ってきた兎の方にくるりと顔を向け、賛同を求めた。
その兎は、突然自分の方を向かれて驚いたのか、びたーっと動きが静止した。
なんだか人間くさい仕草だわね。
私はよいせっと身を起こして、兎を正面からじーっと見詰める。
「よく考えてみればね、私には関係ない事だと思うのよ。だって、これは師匠と王太子殿下の問題でしょ? 私の出る幕じゃないわって、思わない?」
兎は頷きもせず、否定もせずに止まったままだ。
私も構わず続ける、
「そりゃね? 私の部屋で、「兄上に嫌われた〜」ってしょぼくれてる師匠は不憫だったわよ? 大好きな人からもう会わない宣言なんてされたら、辛いと思うわ。私も、お義兄様に顔見せんななんて言われてしまったら、死にそうに落ち込むもの。あっ……駄目だ想像しちゃった……」
うっかり想像してしまって、滅茶苦茶凹みそうになる。お義兄様に限ってそんな事は言わないだろうけれど、でも私を守るためとかいう大義名分があれば言われそうで怖い。ううう。
ガクッと額を芝生に押し付けていると、なにやらポスポスと髪に触れるものがあった。
ふいっと顔を上げると、兎の顔がドアップで見える。どうやら、兎なりに慰めてくれたらしい。
「あら、優しいわね。でも、私は大丈夫よ。うっかり想像しちゃっただけだもの。実際に言われたお師匠ほどダメージは受けちゃいないわ」
気のせいかしら。
兎が若干落ち込んでいるように見える。
私は兎の様子を見逃さないよう注意しながら、喋るのをやめなかった。
「でもねぇ、私、王太子殿下の気持ちも分かる気がするのよね」
兎が顔を上げる。
つぶらな瞳が、じっと私を見詰めていた。
「これは私の想像なんだけれどね、兎さん。王太子殿下って、実はもの凄く、繊細な人なんじゃないかって思うの」
師匠から、王太子殿下について聞いた。
もうすぐ立太子すると言う時に、掛けられた呪い。
それ以降、王太子殿下が人前に姿を見せることはなく、少数の信頼出来る部下と共にこの離宮へと移り住んだ。
表向き病気療養するということにしたのは、一重に王太子の地位を守る為。国王陛下が下した苦渋の決断だったそうだ。
国王陛下のただ一人の息子であることを差し置いても、誰からも王太子にと望まれ認められた方。
優しく、清廉で、齢十六にして王の器と認められた御人が、全てを奪われた。
子供の姿に変えられて、歳も取れない。
周囲に及ぶ魔力のせいで、他者とも触れ合えない。
呪いをかけた相手も、かけた目的も解き方すらも分からない。
そういう呪いを、輝かしい未来と引替えに一人で抱えている人。
こんなに素晴らしい景色を作れるのに。
「師匠が傷つかない様に、あえて突き放す選択をしたんだわ。でも、多分そのせいで、自分も傷付いてる」
自分の事だけ考える人ならば、呪いを受けても王太子のままであれと乞われるだろうか。
あの師匠が助けようと、思うだろうか。
「シル兄上は、凄い人なんだ。俺はいつも、あの人の背中を見てる。離宮の奥で忘れ去られていい人なんかじゃねえ。
お前を会わせたかったのも、もしかしたらシル兄上を引っ張り出せるんじゃないかって期待した。あの憂鬱な場所から。過去から。
セルゲイの迷いをぶち壊したみたいに、同じ苦しみを抱える奴らに光を齎したように。シル兄上の頑固な殻を蹴破ってでも、連れ出してくれるんじゃねえかって、そう思ってる。
だからレイ。
もう一度、手伝ってくれ。
シル兄上を、あの場所から引き摺り出す。
その切っ掛けをつくるのを」
そう言って、私に頭を下げたテルカ師匠。
仮にも王族が、簡単に頭なんか下げてはならない。でも、それが出来てしまう師匠だからこそ、手助けしたいと思う。
───いいわよ、師匠。やってやろうじゃない。そこまで言われて断ったら、女が廃るわ。
そう思って、この作戦に協力したの。
私に出来ることは、ただ一つ。
この場所から、王太子殿下を引っ張り出すこと。
作戦は変更よ、師匠。
文字通り引っ張り出すわ。
「自分一人が犠牲になればいい。自分さえこの場所にひきこもっていれば、誰かを傷つけることもない。そう考えられるのはとても凄いこと。
でも、それだけじゃ駄目。
貴方が一人でいる事で、師匠はしょぼくれてしまうの。悲しむ人がいるの。だから、殿下。
貴方がもう一度、こちら側へ来るべきだわ」
「他を犠牲にしてもそうしろと、お前は言うのか」
「その通りよ」
「私一人がこの離宮にいれば済む話だとしてもか」
「その通りよ」
「その為に何百何千という者達を犠牲にしてもか」
「犠牲になんかならないわ。もう誰一人、あなたのせいで犠牲になる人なんかいないの」
「どうしてそんな事が言える」
「それはね王太子殿下。私がいるからよ」
私は話し相手を振り返る。
そこには、見事な四肢に、燃えるような瞳と見事な赤い鬣をもつ、その人がいる。
この国の紋章、王家の証。
”紅の獅子”そのものを写し取った様な姿で、私と向き合うその人が、静かに言葉を重ねた。
「この呪いがある限り、私は王太子足り得ない」
「いいえ。貴方は王太子殿下です。だって、呪いなどないのですから」
私は、瞳の中の獅子にそう言って微笑んだ。
その瞬間、世界が崩れた。
読んで下さり、ありがとうございました!
良いね・高評価★★★★★頂けると、作者もとても嬉しいです( * ॑꒳ ॑*)




