片割れの絆
はっと我に返り、リーが慌ててウェルトナックを見る。
「な、何がなんだか……」
「すまんな」
苦笑してウェルトナックが引き剥がそうとするが、リーの服にしがみついて必死に抵抗するアディーリア。
「やだやだ。まだ絆結んでないのに」
「まだ早い!」
「やだぁ」
ぐい、と引っ張られ、リーの足が浮く。
「ちょっ、まっっ!!」
「あっ」
自分の身体ごと吊り上げられたリーに、驚いたアディーリアが手を放した。
「うぇっ??」
一瞬の浮遊感のあと、リーはザブンと池に落ちる。
先程の浮遊感に似た、しかし確実に沈みゆく感覚。揺れる視界に、飛び込んだ金色の龍が凄まじい勢いで距離を詰めてくるのが見える。
追いついたアディーリアがするりとその身をリーに寄せ、微笑んだ。
「その命ある限り、我とともに」
水の中なのにやけにはっきりと声が聞こえるなと、そう思った瞬間。
ずぶりと身体に手を突っ込まれたかのような衝撃に、リーは肺の空気を吐き出した。
やばい、と思うと同時に背中を押されて勢いよく上昇する。すぐさま水面から出たものの、身体が順応しきれずひとしきりむせる。
その体でリーを押し上げたウェルトナックは、ずぶ濡れのリーから水を弾き、落ち着くのを待ってから岸に下ろした。次いでしがみついたまま心配そうに見上げるアディーリアをつまみ上げる。
今度はおとなしく手を放したアディーリアを自分と向き合うように置き、ウェルトナックは初めて見せる厳しい眼差しを向けた。
「アディーリア」
「…ごめんなさい………」
しょぼんとうなだれるアディーリア。
そのうしろ姿を見るリーの胸の内に激しい謝意と後悔が押し寄せる。
「え……?」
ざわめく胸のその感情は、己が抱いたものではなかった。
目の前で何度もごめんなさいと謝り続けるアディーリアと、確実に責める眼差しを向けているウェルトナックを順番に見てから、リーは己の身体を見下ろした。
たとえば黄金龍についてのように、龍の間にはいくつかの語り継がれる事象がある。
すべての龍が体験する訳ではないが、間違いなく存在するそれ。稀なものから珍しくはないものまで、頻度は様々である。
そのうちのひとつに『片割れ』があった。
異なる種である龍と人。しかしそれでも、相通じることのできる相手がいる。人にとっては一生に一度、龍にとっては数度、そういった相手に出逢うことがあるという。
龍ならば一目でわかるその片割れとは、互いに絆を結ぶことで強い感情を共有することができる。
「アディーリアにとっての『片割れ』が、リーなのだ」
うつむいたままのアディーリアのうしろで、ウェルトナックがそう説明する。
「本来なら互いに認め合い行われるはずの宣誓を、アディーリアは一方的にしてしまった。だから今はアディーリアの感情のみがリーへと流れるようになっている」
すまなそうに語るウェルトナックと、こちらを見ることもできずに縮こまるアディーリア。
自分に向けて謝り続けるアディーリアの痛々しいほど必死な思いが、リーの胸を占めていた。
「アディーリアはまだ幼い。成熟していれば互いに伝わる感情もある程度抑えられるのだが…」
「ごめんなさい…」
しょんぼりと下を向いたまま、アディーリアが謝罪を口にする。
「アディーリア、リーに会えて嬉しくて…。離れちゃう前にって思っちゃって…」
ポロポロと、その眼から涙が溢れる。
「ごめんなさぁい……」
うわぁん、と泣き出したアディーリア。こんなことになってしまった悲しみと、自分の行動への落胆と、迷惑をかけてしまったことへの後悔と。
その小さな身から溢れんばかりの感情の波に同じく晒されながら、リーはアディーリアの前に屈み込んだ。
「とりあえず、怒ってないから泣かないで。本当に悪いと思ってくれてるのはよくわかるから」
伝わる驚愕に、リーは笑みを見せる。
「まだ俺もよくわかってなくて驚いてるけど。怒る気持ちはないよ」
「リー…」
アディーリアがにじり寄り、ぴたりとリーにくっついた。遠慮がちに服をつまむ彼女からは、相変わらずの謝意に紛れて自分の言葉を嬉しく思ってくれているのが伝わってくる。
「…名前、聞いちゃったけどいいの?」
「リーに隠すことなんて何もないもん」
迷いもせずに返すアディーリアに、それなら、とリーもひとつ打ち明け話をする。
きょとんとリーを見てから、そっか、とアディーリアが呟いた。
「少しだけぼやけてたのは、そのせいだったんだ」
「ぼやけてた?」
「うん。でもこれで」
リーの耳元、ぽそりと一言。
「もう大丈夫」
その笑みの通り、リーの胸にも喜色が満ちた。
伝わってくる感情もすっかり落ち着いた。名残惜しそうなアディーリアを池へと帰し、リーは立ち上がる。
「俺はこれからどうすればいい?」
水面に留まるアディーリアからウェルトナックへと視線を移し、問う。
怒ってはいないが、何がなんだかわからないままだった。
「いくつか選択肢はある」
まだすまなそうな顔で、ウェルトナックがリーを見据える。
「今の状態だと、リーにアディーリアの感情が流れ込むことと、あとは居場所がわかるくらいだな。急いで制御を覚えさせるが、当分はその状態だと思ってくれた方がいい。ただ…」
眼差しが、迷うように少し揺れた。
「この絆を解消すれば、元には戻る」
「お父さん!」
叫ぶアディーリアから伝わる不安。それだけで、彼女が望むものではないとわかる。
「解消した後はどうなるんだ?」
「再び結ぶことはできない」
「リー! お願い!」
懸命なその声と、心を覆う憂い。
「頑張って抑えられるようになるから! それだけは……」
縋るようなその眼に、わかってると頷いた。
「しないから。安心して」
告げると途端に安堵の思いが胸に広がる。見返すウェルトナックもどこかほっとしたように見えるのは、見間違いではないのだろう。
「解消しないのであれば、あとはこのままいるか、リーからも結ぶか、だな」
そう告げられ、少し考える。
「このままいることで、何か不都合なことはあるのか?」
「いや、特にはない。出逢った相手によってはわざと一方向の絆を結ぶときもあるのでな」
相手―――この場合は人の方―――が子どもだったり余命幾許もない場合などは、負担をかけないため龍から人への絆を結ばないときもある。
わかったと頷き、リーはアディーリアを見た。
「なら、このままで」
「リー! アディーリアも…」
感じるのは悲しみと不安。それでもリーは首を振る。
「俺は請負人なんだ。普通よりも緊張状態になるのも、痛い思いをすることも多い」
「だからなの! 何かあったら助けに行けるから」
死を覚悟するほどの強い痛みや恐怖を感じたその時。空を飛ぶことのできる龍ならば、たとえこの地の端から端までだとしても、辿り着くのにそう時間はかからない。
「お願い」
自分を心配してのその申し出に、それでもリーは頷かなかった。
「リー…」
伝わる絶望に近い感情に、申し訳なく思いながら。リーは屈み込み、アディーリアと目線を合わせる。
「心配してくれるのは嬉しいけど。そんな気持ちがそのままアディーリアにも伝わると思ったら、俺は今まで通り戦えない」
じっと見返すアディーリアに手を伸ばし、その体を少し撫でる。
「だからこのままでいさせてほしい」
悲しみ、不安、心配、そして納得。伝わらずとも、十二分に物語るその眼差しをリーに向け。
こくりとアディーリアが頷いた。
「…アディーリアが抑えられるようになったら、その時はちゃんと結んでくれる?」
「ウェルトナックのお許しが出たらな」
そう応えウェルトナックを見上げると、仕方なさそうな、しかし和らいだ表情で、無言の頷きを返された。