名と鱗
水龍に報告に来たリーは、何も隠さずすべてを伝えた。
依頼を受けた以上、得た事実を告げることは請負人としての義務である。捻じ曲げることも隠すことも許されない。
そして、それはそのまま双子のエルフの処罰を水龍に任せるということでもあった。
もちろんあまりに大きな代償を求められたならば口添えはしてやるつもりではあったが、恐らくその心配はないと思っていた。
案の定話を聞いた水龍は、エルフらしいなと笑う。
「まぁ村の者も絆されるだろうし、問題はないだろう」
「絆される?」
「エルフとはそういう種だからな。世間慣れしていない若いエルフは特にそうだろう」
意味がわからず首を傾げていると、村に戻ればわかるとつけ足される。
「とにかく。ありがとう、面倒をかけたな」
「俺何もしてないんだけど……」
このままでは報酬も出るかどうか怪しいくらいだ。
「結果はともあれ、ちゃんと動いてくれていたことは報告してもらっておく。それに報酬の半分は口止め料だからな。リーに受け取ってもらわねば困る」
「報酬がなくったって、依頼内容を話したりはしないけど…」
そう返してからふと気付く。
魔物の頂点である龍。
たとえ相手が龍を恐れないとしても、負けることはないのではないか、と。
見つめる視線に、水龍が何かと問う。聞こうか迷ったが、優しげなその眼に結局リーは口を開いた。
「どうして自分で片付けに行かなかったんだ?」
人を介さなければ口止めをする必要もない。そもそもなぜ口止めをせねばならないのか。
水龍はじっとリーを見返し、眼を細める。
「護り龍は龍であって龍でない。だから人を頼るのだ」
「…龍であって、龍でない……?」
意味がわからず繰り返すリーに、水龍はそれ以上何も話さなかった。
「それはそうと。儂としては来てくれたのがリーで本当に幸運だった」
向けられる眼差しに込められる感謝。あまりにはっきり示されるので少々むずがゆい。
「これ以上信頼に足る相手はいないからな」
「嬉しいけど。俺じゃなくても、龍ならちゃんと見極められるんだろ?」
照れ隠しでそう呟くと、何を言ってる、と笑われる。
「そうではあるが、やはり…」
続けかけ、水龍が言葉を止める。
「もしや、故郷の護り龍から何も聞いとらんのか?」
「何を?」
きょとんと見返すリーを暫し見つめ、そういうことなら、と水龍はひとり頷いて。
「いや、なんでもない」
穏やかに微笑み、水龍は改めてリーを見据えた。
「リー」
名を呼ぶ声は真剣で。リーも表情を引き締めて水龍を見上げる。
「儂から改めて助力を請いたい。どうか儂ら龍の力になってくれ」
「護り龍?」
見つめる深く青い眼には、不遜も躊躇もなく。
「儂らにも知り得ぬことが起こり始めている。請負人としての仕事のついででいい。何か気付いたことがあれば龍に知らせてほしい」
ただ自分を信頼しての申し出だということを、ひしひしと感じる。
人の悪意など簡単に見透かすといわれる龍。その龍にこれだけの信頼を寄せてもらえることが、どれだけの誉れか。
請負人として、人として。それでいいのだと認められたような、そんな気持ちを抱きながら。
「俺でよければ」
「リーでないと困る」
応えたリーにそう笑い、水龍が傍に来いと指し示した。
腕が出るまで体を持ち上げ、水龍が手を差し出す。
拳程度の大きさのものを眼前に出され、リーが息を呑んだ。
透けるような水色の、楕円の薄い板。光を含み輝くそれは、今目の前の龍が纏う鱗であった。
龍の意思なく剥がすと必ず割れるといわれる鱗。欠けのない鱗は龍からの信用を得たという証でもある。
受け取れ、と、呆然とするリーへと押しつけ、水龍は再び目線を合わせる。
「儂の名はウェルトナック。この名と鱗を、証明と信頼の証として」
名を教えるという行為は、龍からの最大の親愛の情。ともに肩を並べるものとして、その者を対等であると認めた証である。
「護り龍!」
唐突に渡された身に余るほどの信頼に、うろたえたリーが声をあげた。
「なんで会ったばっかりの俺に…」
「龍にとっては会ってからの時間は関係ない」
見ればわかるからな、とウェルトナックが笑う。
「その鱗と我が名があれば、まず龍との間に問題は起こらぬだろう。まぁ、リーなら大丈夫だと思うがな」
「護り龍……」
ウェルトナック、次いで手元の鱗を見て、リーはきゅっと唇を引き結ぶ。
示された信頼は重く、誇らしく。
「ありがとう……」
「儂の方こそ。受けてくれてありがとう」
絞り出すようなリーの、喜色の滲む呟きに。
ウェルトナックの穏やかな声音が、包み込むように被さった。
大事そうに鱗をしまいこんだリーが、ウェルトナックを見上げて笑う。
「じゃあ」
「待て待て。まだ報酬の話をしとらん」
立ち去ろうとするリーを慌てて止めるウェルトナック。驚いて見上げてから、リーはしまいこんだ鱗を服の上から見る。
「報酬…って、今鱗を……」
「あれはほかの龍への証だ」
さらりと言われるが、リーは困ったように首を振る。
「俺はこれで十分なんだけど」
「請負人なのだから。きちんと対価は受け取れ」
「でも…」
「黄金龍の鱗なんだが」
ぴたりとリーが動きを止めた。
水龍は水色の鱗を持ち、火龍は赤、地龍は茶、風龍は白と、それぞれ司るものに馴染む色を持つ。そんな龍たちの中に、極稀に金色の鱗を持つ龍が生まれる。
黄金龍と呼ばれるその龍の鱗は、その稀さからか、持つ者に幸せを与えるという。
「うちの末娘が黄金龍でな」
固まるリーに笑いながらウェルトナックがそう告げるなり、水底から光るものが浮上した。
飛沫を纏って水面から飛び出した金色の小さな龍。水滴までも輝くその様子に、リーは声を失う。
飛沫が水面に落ちる中、ふよりと浮かんだ黄金龍はその金の眼でリーを見据えて。
瞠目したまま突っ立つリーへと、まっすぐ突っ込んできた。
「うわっ」
慌てて抱きとめるリーに、黄金龍は嬉しそうに擦り寄る。
「はじめまして! はじめまして! まさかこんなに早く会えるなんて思わなかったの!」
まだリーの肩にも足りない長さの黄金龍は、その小さな手でリーの服をしっかり掴んで、興奮した様子でペチペチと尻尾を動かす。
「アディーリアね、もう見た瞬間リーがそうなんだってわかったの! だからちゃんと会いたかったの!」
何がなんだかわからずに。黄金龍に纏わりつかれながら、ただその輝く体を見下ろすリー。
惚けて立ち尽くすリーを見上げ、黄金龍は幸せそうに眼を細める。
「これからよろしくね!」