黒い影
村でエリアとティナが食事をしている間に、リーはもう一度水龍の下を訪れた。
先刻ふたりから聞いた話をすると、水龍は息をつき、ひとつ頷く。
「…やはり、か」
「気付いてたのか?」
「儂らに怯えぬ種がいるとは聞いている」
そう告げる水龍は暫く考え込むように視線を落としていたが、そのうち再びの溜息とともにリーの名を呼んだ。
「…本部へは儂から警戒するよう伝えておく。数日で進展がなければ、一度そのエルフたちを支部に連れて行ってくれ」
「伝えておくって……」
「使い勝手は悪いが、龍には龍の伝達手段があるのだよ」
そう笑い、水龍はじっとリーを見つめる。
「向こうが儂を怖がってくれれば、リーに与えられる加護もあるのだが。役に立てずすまないな」
本当にすまなそうに呟く水龍の眼は、どこまでも慈愛に満ち。
人を頼りつつ、それでも人を守ろうとする水龍。
やはり龍は見守る存在であるのかと感じ、同時にその龍に頼られたことを嬉しく思った。
「何言ってんだよ。依頼主なんだから、ふんぞり返って待ってりゃいいんだって」
依頼を受けたからにはなんとかするのが請負人なのだから。
任せとけと笑みを返し、リーは決意を新たにした。
食事を終えたエリアとティナを連れ、リーは再び横穴へと向かった。
「待って、動けない……」
「食い過ぎだっ!!」
食事を頼まれてくれた村長には金を払っておいたのだが、備蓄の食料まで食べ尽くしたのではないかと少し心配になる。
数歩歩いてはぼやくエリアを引っ張り、どうにか辿り着いたその場所で詳しい話を聞いた。
ふたりが最初にそれを見たのは五日前。崖の上から姿を現し、横穴の中へと入っていったらしい。次に見たのは三日前で、何かをくわえて同じように横穴に入っていったところだったという。
大きさは腕の長さくらい。トカゲをそのまま大きくしたような体で、腹側はわからないが背面は黒一色。動きも概ねトカゲのそれらしい。
もちろん思い当たる魔物はいない。
「その二回しか見てない」
「……何日ここで迷ってたんだ?」
「どこに行こうか考えてたの」
どうしてこんな何もないところでと思いつつ。またわけのわからないエルフ理論を聞かされるのも嫌なので、リーもそれ以上何も聞かないことにした。
「わかった。ありがとな。とりあえず戻って、明日まで村長の家で待っててくれ」
そう言い見張りを始めるが、ふたりともうしろに突っ立ったまま動こうとしない。
暫く待ってみたが動く様子はなく。仕方なくリーは振り返る。
「何してんだよ」
「帰り道わかんない」
「はぁ?」
村からここまでは一度曲がるだけなのだが。
「来た道を戻れば…」
「だからわかんない」
ティナを見るが、無言で首を振られた。
「……わかった。あとで送るから」
下手にふたりだけを帰して護り龍の棲処に出られてもどうかと思い、仕方なく静かに待つよう言う。
潜むリーのうしろ、意外と素直にふたりも座って待っていた。
そのまま暫く待ってみたのだが、何も現れず。焦れて騒がれる前に村に送った方がいいかと思い始めた頃。
ふと、ティナが視線を上げる。
「来る」
その言葉に一瞬遅れ、リーも絡みつく不快感を覚えた。
魔物に向けられる敵意とも、人から向けられる悪意とも違う。ねっとりとしたそれは、自分に向けて放たれたものではないのに、すべてを飲み込もうと身体を這い上がってくるような悍ましさを感じて。
相容れぬ何かであると本能が警鐘を鳴らす。
柄に手をかけ、勢いよく引き抜く。上空でくるりと回った剣は手元に落ちてくる―――はずであったが。
ガンっと鈍い音の直後、真横に剣が突き刺さり、はらはらと木の葉が落ちてくる。
リーの真横に突き立つ剣を見て。
「……何やってるの」
エリアに騒ぎもせず冷静に告げられ、ものすごく腹が立つのだが。
(仕方ねぇだろ………)
答えずに剣を握る。
リーの力の強さを見込んで組織の鍛冶職人が鍛えてくれた大剣。背中に負うと剣先はリーの膝裏辺りまでくる。
小柄なリーでは、普通に抜くと鞘から剣が抜けきらないのだ。
少し抜いておいてから屈んで前に落とすか、鞘を下にずらして横に抜くかすると抜けはするのだが、手間がかかる。
かといって腰につけると前後が飛び出し邪魔になる。
曲芸まがいの抜き方は、これでも苦肉の策なのだ。
もちろん正直に話す気はないので無反応を貫く。
「基本俺が守るけど、参考までに。魔法は?」
話を変えるべく尋ねると、エリアは何か言いたげにリーを見ながらも、仕方なさそうに息をついた。
「あたしはたいしたことない。ティナは―――」
「使えない」
あっさりとティナが言い切る。
(エルフなのに?)
魔法に長けるエルフ。能力差があるのは当然だが、使えないものがいるとは思わなかった。
「わかった。下がっててくれ」
尤も、自分が重ねて聞くようなことではない。短く返し、横穴の方を見据える。
増す重苦しい気配。崖の上、何かをくわえ持つ漆黒の頭が見えた。岩肌を伝うその姿は、確かに黒くて大きなトカゲではあるのだが。
「あれか?」
足元から這い上がった禍々しさが全身を絡め取り、ひたりと喉元に手をかけるような。そんな錯覚を抱くほどに、場を占める嫌悪感。
横穴に入るそれを見据えつつ、聞くまでもないとは思いながら問うと、そう、とうしろから震えた声が返ってきた。
「あいつが! せっかく見つけた食料を!」
継がれた言葉に瞠目し、思わず振り返ったリーの真横。
手を振り上げたティナが、小さく何かを呟いて横穴の方向へと振り下ろす。
キィン、とかろうじて耳が拾うくらいの金切り音とともに、寄り集まり凝縮された光が横穴めがけて迸った。
続く、爆音。
飛んでくる石礫を背に受けながら、リーは呆然と突っ立つ。
足元、自分を盾にするようにしゃがみ込むふたりのエルフ。
―――一体何から聞けばいいのか。
身体に何も当たらなくなってから、リーは緩慢な動きで振り返った。
横穴のあった場所は崖の上まで抉れ、削れた地面に砂礫が積もって跡形もない。崖向こうまでは貫通しなかったので、恐らく人的被害はない、と信じたい。
身に纏わる不快感が消えたことから、おそらくあの黒トカゲは消滅したのだろうが。強さも何も、全くわからなかった。
とりあえず、口から溜息しか出てこない。
仕方なく向き直ると、立ち上がったふたりが砂を払っていた。
本当に、何から聞けばいいのか。
この先の問答を想像し、リーは盛大に溜息をついてからティナを見る。
「……魔法は使えないんじゃないのか?」
まだ砂まみれのリーの姿に吹き出して睨まれながら、違うとエリアが首を振った。
「使える魔法がないってこと。ティナはねぇ、すごく素質はあるんだけど、加減ができないの。いっつも全力」
「そんな物騒なモンを人の真横で撃つな!」
「初級魔法なのに、二回目撃つと気絶するよね」
「知るか!!」
とりあえず怒鳴りつけてから、もう一度溜息をつく。
「…で。見つけた食料ってのはあの横穴にあったやつか?」
「そう! やっと見つけたのに! あいつが中めちゃくちゃにしたから何も食べられなくなっちゃったんだから!」
怒るエリアを半眼で見つつ。
「…で、お前らは何日前からここにいるんだ?」
尋ねると、首を傾げて指折り数えだす。
「今日で八日目?」
ひくり、とリーが顔をひきつらせる。
「あの黒トカゲが来たのは五日前だったよな?」
「めちゃくちゃにしたのは三日前だけどね」
最後に持ち出した食料が一日分しかなかったんだと怒るエリアに。
リーは剣と拳を握りしめる。
「…俺は、あの横穴を荒らす奴を探してたんだ」
息を吐ききり、大きく吸い込んで。
「そもそもはお前らじゃねぇか!!!」
うるさいと言わんばかりのエリアと、全く表情を変えないティナを順番に見て。
リーは肩を落とし、もう何度目かわからない溜息をついた。




