対峙
主体との距離を詰める。
レジストのおかげでなんとかまっすぐ立てるようになったリーは、木々の合間を縫い走る彼のうしろ姿を追っていた。
ただの一言で、こちらを鼓舞し立ち直らせた。容易く人心を掴むのも、彼が長であるがゆえなのかもしれない。
この先にいる、シングラリアの靄を集める主体。
現状わかっているのは、靄の集まる先に黒いものがいるとだけ。どのような様態かも確認できていない。
シングラリアは何かの生物を取り込み、その姿を模す。この先の主体がどのような姿かにより、対応も変わるのだ。
近付くにつれより濃く纏わりつく悍ましさに耐えながら進むこと暫く、前を行くレジストが足を止めた。
リーも速度を落とし、レジストが見据える先を見る。
木々の合間に黒い塊が見えた。全貌を見ようと覗き込むと、ちょうどそれが身を起こすところであった。二足で立ち上がってぐらりぐらりと前後に頭を揺らしながら、前屈みのような体勢で数歩動く。
大きさは自分たちの二倍ほど。少し歪な姿ではあるが、完全に人型。
ごくりとリーが息を呑む。
つまりは、中に取り込まれているのは―――。
「エルフね」
厄介な、とミゼットが洩らす。
人かと思っていたリーはその声に驚き、ミゼットを振り返った。
「エルフ?」
「間違いなく、ね」
よく見るとあとの五人も龍のふたりも、少し厳しい表情になっている。
「…仕方なかったとはいえ。後手に回ったな」
レジストの苦々しい呟きに、リーも雲行きの悪さを感じ取った。
「ま、今更か」
しかしすぐ切り替えるようにそう言い切り、レジストはマルクを見やる。
「マルク。グレイルと交代だ。あとはデインを」
「わかった」
「三人戻って。二人は補助に」
「わかりました」
次いでのミゼットの言葉を合図に、マルクとエルフ三人が龍ひとりとともに離脱した。
「さてと」
場違いなほど呑気に呟き、レジストがリーを見る。
「相手はエルフ。魔法は効かない。俺たちが斬るしかないと思え」
声音と裏腹な、剣呑な眼差し。
自分には見えていなかった窮状を突きつけられ、リーは手に持つ剣を握りしめた。張り詰めるその様子に、レジストは笑って肩に手を載せる。
「グレイルたちが来るまでは、お前が俺の相棒だ。頼らせてもらうぞ?」
更に増す責と誉。引きたくはなかった。
「はい!」
リーの返答に満足そうに頷いてから、首を巡らせるレジスト。
「だそうだぞ、ミゼット」
向けられた視線に、ミゼットは妖艶に微笑む。
「わかってるわ。こんなことで諦めたらあの人に申し訳が立たないもの」
今まで見せたことのない好戦的な瞳で主体を見据え、舌先で唇をなぞった。
「レジスト。少し荒らすわよ?」
「ああ。均してくれ」
組織長を呼び捨てにしたミゼットは、小さく数言呟き、パチンと指を鳴らした。
キュォン、とミゼットへと空気が収束したと感じた直後、前方へと何かが吹き抜ける。
目には見えない。しかし確実にある何かが前方の木々を寸断しながら舞い上げたところを、間髪入れずに横薙ぎに腕を振るう。中空の木々が弾き飛ばされ、主体へと突き刺さった。
立ち昇る靄に、更なる呟きを刻んだミゼットの唇が弧を描く。
再び指が鳴らされた。
ドゥンッ、と低い爆発音と赤い閃光。叩きつけられる熱気にリーは反射的に顔を庇う。
「ねぇさんおっかねぇな」
軽く腕を上げて目を守りながら楽しそうに笑うレジストと、爆風に紫銀の髪をなびかせるミゼット。順に見てから戻ってきた動揺露なリーの顔に、レジストは肩をすくめる。
「ねぇさん、初代のヨメさんなんだよ」
告げられた言葉もすぐには理解できず。
俺は十代目、とつけ加えられたことで、ようやく気付く。
初代組織長。一代で請負人組織の基礎を創り上げた人物だ。
そして同時に一期生から始まった養成所、リーは百三十一期。
―――つまり。
慌ててミゼットに視線を戻すリーに、レジストは忘れてたと呟く。
「年のことは言うなよ? キレられっぞ」
軽いレジストの言葉に、リーは内心青ざめた。
(じゃあ教えないでくれって!!)
エルフの寿命は三百年程だという。
二十代後半にしか見えないミゼット。
エルフの恐ろしさを目の当たりにした気分だった。
リーが衝撃の事実を聞いている間に、水を降らせて熱気を収めたミゼット。主体の周囲の木々は切り株ごと燃やし尽くされ、動くのに十分な広さが切り拓かれた。
主体は膝をつくような格好になっていたが、特に変化は見えず。
「物理のみ、ね」
息ひとつ切らさぬミゼットが呟く。
木々が刺さった時には靄が漏れたが、今はもう止まっている。大したダメージはなかったらしい。
「じゃああとはお願いするわね」
「ああ。任せとけ」
抜き身の剣を手に、無造作にレジストが歩き出す。
「頼むわね」
次いで自分に向けてかけられた言葉に頷くリー。笑みを見せるミゼットは、息こそ切らせてはいないが少し青白く。
無理をしたのだと気付いたリーに、それでもミゼットは表情を変えなかった。
「行ってきます」
喉まで出た言葉は呑み込み、代わりにそれだけを告げ。
うしろで箱を持つエリアとティナ、傍に立つフェイに頷いて。
踵を返し、リーはレジストを追う。
再びよろよろとしながら立ち上がった主体は、ようやくこちらを認識したかのように体を向けていた。胴回りに比べ手足の靄は若干薄いのか、纏う昏さが異なる。
スタスタと距離を詰めながら、レジストが主体を見上げた。
構えたかもわからない無雑作な動きから、閃く光が闇を薙ぐ。遅れてぼたりと落ちた腕が解けるように靄へと変わった。
初めて見る組織長の戦い振りに、駆け寄る足が緩む。
(はっや……)
アーキスのような細身の剣でもないのにと、リーは息を呑んだ。
自分は足手まといにしかならぬのではないか。そんな思いさえ浮かぶ。
主体は呻き声すらあげることなく、切り口から伸びる靄が再び腕を形取った。
「ふぅん」
短く呟くレジストへと主体が手を伸ばす。その手の真ん中に剣を合わせて屈み込むように身体を落としながら、肘のあたりまでをふたつに割く。立ち上がりながら胸の辺りを切り上げ、素早く持ち替え突き下ろした。
僅かに眉を寄せ、レジストは剣を引き抜く。
「報告にあったが。確かにやりにくいな」
「斬る感触だけ軽いんですよね」
あれだけあっさり腕を落としておいてと思いつつ、リーは主体を見上げた。
ほかのシングラリアはどちらかというと好戦的であったのに、なぜか攻撃をしてこない主体。レジストに切られても動じず、緩慢な動きしか見せない。
靄は漏れるが暫くだけ。割いた腕も元に戻っていた。
しかしそれでも、靄の分だけ削れていると信じるしかない。
主体があまり動かぬこのうちにと、リーもようやく対峙する。
レジストの邪魔をしないように、間合いに入らぬよう気遣いながら、削げるところを削いでいく。
主体は時折口らしきものを開いたり手を伸ばしたりするばかりで、反撃をする様子もない。
戦闘というにはあまりに一方的なその行為。終わりは見えぬが、いずれこのまま、と。
そう、思っていた―――。
レジストの間合いにも慣れたことでリーの手数も増えてきた。腕を落とすとすべて靄に変わるため一番効率がいいと気付き、反撃がないのをいいことに、ひたすら生える腕を斬り落とす。
膝立ちのような格好のまま、ゆらり、ゆらりと揺れる主体。
力なく動く頭が、不意に止まった。
ちょうど振り下ろした剣を、がしりと掴まれる。
(しまっっ…)
目の前にある、主体の腹。牙を剥く顎のように縦に割れ―――。
「リーっっ!!!」
とぷりと暮れる眼前。
フェイたちの声が、聞こえた気がした。




