魔物か人か
一旦メルシナ村へと戻り、改めて依頼を受けたことを村長に報告したリー。
必要な物を用立ててもらい、再び森へと入る。
荒らしに来る時間帯がわからないので、横穴の近くで張り込むことにした。森の中に滞在することと火を熾す許可も水龍に取ってある。
教えられた横穴に辿り着いた時にはまだ日があったので、今のうちに中を調べることにした。
足を踏み入れるとまず感じる酒の匂いと、あとは僅かな腐敗臭。奥は暗いが火種を持って入るのはためらわれた。
中で動く気配は感じないので、入口からの光量が落ちる辺りで目を慣らし、更に進む。
「…もったいないよなぁ」
鼻腔を抜ける香りは芳しく、いい酒だったのだろうと思う。もちろん腐敗臭のことは考えない。
片手を壁につけ歩くうち、割れた破片のような物と、何やらむにょりとしたモノを踏むようになった。どうやらここが最奥のようで、少し広めの行き止まりになっている。
足への感触があまり精神衛生的によろしくないので、なるべくすり足で進みつつ。暗がりの中見つけた無事な酒瓶を手に外へと出た。
「…あぅ……」
己のブーツの惨状に呻きが洩れる。酒瓶も洗えば中身は無事だろうが、この外面を見てしまった以上はどうにも飲みづらい。
いい酒だろうに。
この際この酒でブーツを流すかとも考えたが、やはりもったいなくてやめた。
酒に罪はない。
結局酒瓶片手に水龍の下へと戻り、事情を話して流してもらった。この酒を飲むかとも言われたが、かなり迷った挙句遠慮した。
「そうか。美味いんだがな」
残念そうに呟く水龍。あの外面を気にしないあたり、やはり龍は魔物なのかとなんとなく思う。
「今度俺のオススメも持ってくるよ」
「お、いける口か?」
「それなりにな」
「儂のイチオシは…」
ここから離れることのない護り龍のはずが、ここのあれ、あそこのどれ、と次から次へと並べ立てる。
それはそれは楽しそうなその様子に。
詳しいな、とぼそりと言うと、少し視線を逸らされた。
本当は暗くなりきる前に火を熾して夕食をと思っていたのだが、池まで戻る羽目になったので遅くなってしまった。
薄暗くなってからでは目立つと思い、火を熾すのは諦める。
村人の厚意でもらったパンと手持ちの干し肉をかじりながら、酒を飲むのは我慢して様子を窺っていた。
横穴の中の状況は、確かに人が荒らしたようには見えなかった。魔ではない―――動物であれば可能性はあるかもしれないが、あれほど荒らすにはそれなりの体躯もいるだろう。むしろあの場で食い荒らされたモノが動物である可能性の方が高い。
やはり問題は、護り龍のいるこの界隈になぜ魔物が、ということか。
龍の影響力は魔物の頂点であるがゆえ。強大な力を恐れるのは魔物も同じだが、人とは違いそれに挑もうとはしない。あらゆる魔物は本能的に龍には敵わないと知っている。
龍の強さを認めながらも絡め取れると驕るのは人だけなのだ。
(……考えられるのは…)
変化のない横穴を見ながら息をつく。
子龍が多いとはいえ、七匹も龍のいる場に踏み込む魔物がいるとはどうしても思えない。
それならば、やはり人が魔物を装い何かを企んでいるのか。
人は矮小すぎて害意を抱かぬ限り龍の警戒には引っ掛からないらしいが、同じ矮小な存在である自分なら気付くことができる。
魔物に対する警戒よりも人へのそれを強めながら、リーは息を潜めていた。
動きのないまま夜が訪れ、やがて空が白み始める。木々の合間からの光にリーは息をついた。
夜の間に来てくれればと思ったが、何も起こらず。長期戦になるならそれなりに準備も調えなければならない。
一旦メルシナ村に戻って数日籠もれるだけの準備をしてこようかと立ち上がりかけたところで、僅かに聞こえた葉擦れの音に息を呑んだ。
(…誰か来る……)
聞こえる音に神経を集中させるでもなく、やがてそれは何の警戒もない足音に変わって。
疲れたような重だるい足音は次第に近付き、木々の向こうに姿を現した。
「ヤダもう歩きたくない」
「…………」
「やーだー」
「……………」
揃いの旅装束の女がふたり。赤髪の女がひとり喋り、金髪の女は口を閉じたまま見もしない。
こんな場所に女ふたり、しかも。
茂みに隠れながらその顔を見て、リーは眉をしかめる。
ふたりともエルフの特徴である長い耳をしていた。
(エルフがなんで……)
エルフは人里離れたところに集落を作ってひっそりと暮らしている。稀に人の世に住むエルフもいるが、数は少ない。
そんなエルフが、ふたり。
見たところ武器は持っていないが、エルフは魔法を得意とする。訓練生時代の対魔法訓練を思い出しながら、リーは剣を抜くべきか観察を続ける。
気配を隠す気もない、杜撰な動き。周りを気にすることもなく大声で話すその様子からは、何かを企む輩だとは思えない。
(…ただ迷い込んだだけ、か…?)
それならば護り龍のところへ行かぬように、村まで送るべきだろう。
突然魔法を使われた時に対応できるだけの警戒心は残しつつ、リーは隠れていた茂みから出た。
突然現れたリーに、ふたりのエルフはびくりと足を止める。
驚いて自分を見るふたりは色こそ違えど似通っていて。双子なのかとなんとなく思う。
「俺は請負人。お前たち、こんなところで何をしてるんだ?」
危害を加える気はないと、両掌を見せながら話しかけるリー。
瞠目してリーを見た直後、赤髪のエルフが猛然と突っ込んできた。
先ほどまでのだらけた動きからは想像もつかない俊敏さで、剣に手をかけることしかできなかったリーの肩をがしりと掴み、顔を寄せる。
男女問わず見目の良い者が多いエルフ。至近距離で見るとまだ幼さが残るが、輝くような緋色の瞳を縁取る長いまつげに透き通るような白い肌は、おそらく容易く男を魅了するものであるのだろう。
固まるリーをじっと見つめながら、赤髪のエルフがその艶やかな唇をそっと開く。
「お腹すいた」
鈴の音のような声が、辺りに響いた。




