在るがままの
フェイと同じトカゲ型、茶色い鱗。
バドック村の護り龍は地龍であった。
「素通りとはつれないねぇ」
開口一番そう言われ、リーはぐっと息を呑む。
「私はリーシュを待っていたのに」
からかっての言葉だということはわかっていたが、事実でもあると知っていた。
「ごめん。連れがいたから」
だから素直に謝ると、地龍はカラカラと笑う。
「この子は本当に。あまり己を偽るものではないよ」
「偽ってるつもりはないけど…」
そういえば、アディーリアにもぼやけていると言われたことを思い出す。リーとしては嘘をついているつもりはないのだが、龍には見える何かがあるのかもしれない。
暫し笑ってから、地龍はその眼差しに少しだけ心配そうな色を混ぜた。
「色々あったようだね」
ウェルトナックが自分に名と鱗を与えて依頼したことを言っているのだと、リーにもわかっていた。
「突然リーシュの名を聞かされて驚いたよ。ところでリーシュ、お前の方は何か聞いたか?」
「何か…って、片割れのこと?」
思い当たることがそれしかなく尋ね返す。
「ウェルトナックの末の娘が俺の片割れだって…」
「それだけか?」
頷くリーに地龍はそうかと呟く。
「…あいつも気を遣ったということか」
「何?」
「いや。たいしたことではないよ」
見返す眼に先程の憂いはなく。穏やかに見守る温かいそれに懐かしさと安堵を覚え、リーはかつてのように地龍の前に座り込んだ。
「飛んでるのを遠目に見ることはあったけどさ。護り龍以外の龍に会うのは初めてだったよ」
こんな短期間にこれだけの龍と会うのもそうだが、水龍、火龍、果ては黄金龍。もちろん護り龍ではない龍に会うのも稀である。
「びっくりしたけど。やっぱり龍はきれいだよな」
「そんな風に言うのはリーシュぐらいだよ」
普通は怖いと言うものだよと、地龍は嬉しそうに笑う。
「怖くはあるけど…なんていうか、気が引き締まる感じかな?」
魔物であるはずなのに、魔物に対するような恐怖など感じない。同じ畏怖でも違うのだ。
遥か遠くを見据えるようなその瞳に映るものは、もうここの景色だけではなかった。
故郷を出て六年目。養成所を出て請負人として働き始めてからは四年目。
まだまだ新米に毛が生えたような年数だが、それでも。
「やっぱり外には色々あるんだな」
楽しそうな声に、じっとその姿を見つめて。
「あの悪戯坊主が。立派になったもんだね」
しみじみと呟く地龍。
「…もう私の知るかわいいバドック村のリーシュではないんだねぇ」
生まれた時から村を出るまでのすべてを知られているからこその言葉に、リーは苦笑する。
「かわいいはいらないけど。俺はいつだって、護り龍の知ってるリーシュだよ」
「…そうだね」
頷く地龍が少し身を乗り出した。
「リーシュ」
かけられた声はいつも以上に柔らかく、慈しむそれで。優しく温かい響きが頭上から包み込むように降る。
「私がお前を好ましいと思うのは、お前がリーシュであるからだよ」
「なんだよ急に」
唐突な言葉に照れ笑うリーに。
「このネイエフィールの言葉を忘れないでおくれ」
笑みを見せて地龍が告げた。
耳に入ったそれに一瞬硬直してから、リーががばっと顔を上げる。
「護り龍っ?」
「なんだい、今名を教えたところなのに。呼んではくれないのかい?」
うろたえるリーの様子をからかうように、ネイエフィールは楽しげに笑う。
「仕方ないとは思うがね、私とてウェルトナックに先を越されて悔しいんだよ。一番にお前に出逢ったのは、この私だというのに」
明るい声に拗ねた色はないが、同時に冗談にも聞こえず。
「全く。こんなことなら村を出る時に教えておけばよかった」
「ま、護り龍…」
何をどう答えればいいのかわからず戸惑うリー。
呟いた言葉にネイエフィールが苦笑う。
「リーシュ?」
「…ネイエフィール……」
「そうそう、それでいい」
頷きながら、キラリと光るものをリーに投げよこす。慌てて受け止めたリーは、手の中のものを見て絶句した。
淡く光を孕み、銅色に輝く鱗。
「気負うことはない。在るがままのお前でいい」
言い含めるように、ネイエフィールは静かに告げた。
出立前にまた来ることを約束し、リーは村へと戻る。
告げられた名に、二枚目の鱗。
自分はただ依頼を受けたというだけなのに、渡される信用は重く尊く。せめて恥じぬよういなければと思う。
実家に戻りジークと話すうちに、シエラの夫のナバルが夕食だと呼びに来た。元々この村の住人であるナバルはもちろんリーとも旧知の間柄で、橙三番の宿場町の菓子店に勤めている。
「おかえり、リーシュ」
呆れたような笑みは、散々シエラから愚痴を聞かされたからだろう。
「シエラ、張り切って作ってるから」
「わかってる。ありがとな、ナバル」
リーとシエラが喧嘩をしつつもお互いを大事に思っていることを十分に理解しているナバルは、少々口数は少ないものの、昔から意地を張りがちなふたりを上手く宥めてきた。
「連れが一緒とは思わなかったけどな」
「俺だって連れてきたくて一緒なんじゃないって」
おそらくわかっていて聞いているのだろう。少し上がった口角にジト目で返す。
夕食はいつもシエラたちと食べているジークと三人で家に行くと、足し置かれたテーブルと椅子の並ぶ部屋に双子がせっせと料理を運んでいた。
「もう準備できるから座ってて、だって」
調理場にいるシエラの伝言を伝えたエリアは、またパタパタと戻っていく。
「兄貴は…」
「シエラが連れてきてくれたよ」
やはりシエラが紹介してくれていたようだと安堵する。あのやり取りは正直もういい。
やがて食事が揃い、双子とともにシエラが入ってきた。
「エリアちゃん、ティナちゃん、手伝ってくれてありがとう」
「楽しかった!」
労うシエラに嬉しそうに返すエリアと頷くティナ。
仲良くやってるようだなと思ってからふと気付いた。
「……今、名前……?」
「え?」
「姉貴、略して……」
そうなの、とエリアが笑う。
「もう村じゃないんだから、妥協しなきゃいけないこともあるってシエラさんに言われて」
「だってこんなにかわいい名前なのに。呼んでもらわないともったいないわよ」
ふたりに席を勧めながら、自分も座るシエラ。
「だからリーシュも略して呼んでいいからね」
にこにことそう言ってくるエリア。
変わらぬ顔のティナ。
順に見回してから、エリアを睨む。
「なら俺のこともリーでいいだろ」
「村ではリーシュなんでしょ?」
「略してもいいんだろ」
「でも村ではリーシュなんでしょ?」
「面倒くさいっつってただろ」
「面倒くさくても村ではリーシュなんでしょ?」
平行線の会話にひくりと顔を引きつらせ。
(絶っ対に名前でなんか呼んでやらねぇ……)
リーはそう心に決めた。
相変わらずの食べっぷりを見せた双子と、顔色ひとつ変えずに次々食事を与え続けた姉と、さすがに驚いた様子だった義兄と、にこにこ眺めていた兄と。食後もしばらく歓談していたが、眠そうな双子におひらきになった。
ジークとふたり実家に戻ると、まだ飲むだろ、と酒を出される。ふたり向き合い座って、おつかれ、とグラスを合わせた。
「楽しそうにやってるな」
笑うジークに溜息を返す。
「楽しくないって…」
ジークは双子のことを言ってるとわかっていたが、リーにとってはそれだけではなく。エルフといい龍といい、こちらにはわからぬ常識がありどうにも振り回されてばかりだ。
「兄貴の方はどうなんだよ?」
金細工師として独立しているジーク。工房こそここにあるが、作品は修行元と共同で宿場町で売っている。
「まぁそれなりに」
そう笑ってから、すっと表情を引き締める。
「…大丈夫だから。お前が稼いだ金はお前が使え」
「だって俺使い途ねぇもん」
問答無用で手数料を差っ引かれる分、組織からの保障は厚い。中級になりそれなりに高額の依頼も受けられるようになった今、少々人より酒代がかかったとしても贅沢をしなければ困ることはない。
そして何より、基本旅回って依頼を探す生活、羽目を外している暇はないのだ。
「兄貴は元手がないと仕事にならないだろ」
「それも含めてもう大丈夫だと言ってるんだ。もうとっくに入所金以上の金を預かってるんだから…」
請負人養成所への入所金は角金貨一枚。二年分の授業料と生活費だと思えば破格であり、全額でも一部でも組織に借りることもできる。
当初はリーも組織に借りようと思っていたが、結局はジークとシエラが用立ててくれた。それを返すという名目で、今なお報酬の一部をふたりに送っている。
「使ってくれって」
これくらいしかできないからと思う気持ちは呑み込んで。
「あんまり向こうに溜め込んどくと、手数料増やされそうだからさ」
適当な理由をでっちあげてそう言うと、仕方なさそうな笑みを返される。
「…わかった。預かっておくよ」
「使えって」
頑固な兄に笑いながら、リーは酒を飲み干した。




