ドマーノ山
また二日をかけて黄の四番の宿場町へ行き、更に一日分北上して街道真ん中の中継所に行く。そこから街道を逸れること一日、リーたちはドマーノ山の麓へとやってきた。
「登るの〜?」
「端っからそう言ってんだろうが!」
龍の棲処を訪れるので本当は麓の宿にでも置いてきた方が都合が良かったのだが、例によって探し物があるかもしれないと言ってついてきてしまった。
仕方ないのでどこかで食事を与えて、食べている隙に抜け出そうかと考えている。
山の中腹までは普段から人が立ち入るので、道もそれなりに整備されて登りやすい。ふたりにもそこそこ体力があることがわかったので、少し急ぎ目に三時間ほど登ったところで展望が開けた。広場のようになっているそこをぐるりと回ると、奥にどうにか登れそうな獣道を見つける。
辺りに人がいないことを確認してから、リーはふたりを見た。
「じゃあここでメシにするか」
麓の宿で用意してもらった食事をふたりに渡す。
「ちょっとその辺見てくるから。俺が戻るまでここにいろよ?」
「ふぁい」
「座って食えよ」
早速食べながらのエリアにそうツッコんでから。
わざと干し肉やらパンやらが入った袋をその場に残し、リーは獣道に分け入った。
格段に足元の悪くなった山道を登ること一時間ほど。道の先に光が見えるようになった頃、変化は起きた。
足を止め、リーは前方を見る。
ここまでは人の入った様子はなかったのに、この先の地面は明らかに踏み荒らされていた。道を塞ぐように細い蔦が何本も張られている。
暫しそこで考え、リーは剣を下ろした。ここでいつもの抜き方はできない。
剣を抜き、鞘を背負い直し、息をつく。
剣が届くギリギリの位置で、一番手前の蔦を切った。
ビュンっと風切り音とともに剣の真上を何かが横切り、真横の木に当たる。
コロコロと、足元を握り拳くらいの大きさの石が転がってきた。
無言でそれを眺めたリーは、半歩だけ歩を進めて次の蔦を切った。今度は反対側から石が飛んでくる。
それを数度繰り返すと、今度は頭上にあからさまな布包みが吊るされてあった。蔦を切ると落ち、どしゃりと大量の小石が散らばる。苛立たしげに小石を足で脇に寄せ、前方を見た。
あと何本か数えようかと思ったが、虚しくなるのでやめた。念のため注意は怠らず、機械的に一本ずつ蔦を切っていく。
最後に嫌がらせ以外の何物でもない膝丈の落とし穴の蓋を蹴り抜き、リーは再び開けた場所に出た。
緩やかな登り坂の草原の奥、岩肌の山頂が見える。やっと終えたと嘆息し一歩踏み出そうとして、不自然に結ばれた草があることに気付いた。置かれた位置には疑問が残るが、ちょうど倒れる方向に一抱えほどの大きさの岩がある。
手にしたままの剣で草を切る。改めて辺りを見回すと、そこかしこに岩があった。
気付かなかったフリをしようかと思ったが、見てしまった以上そういうわけにもいかず。魂が抜けそうなくらい深い溜息を洩らしてから、リーは黙々と結んである草を切り始めた。
とりあえずは手前からと、草を切りながら草原を横切るように進む。出てきた場所は草原だったが、山頂を取り巻くように草原と岩場が半分ずつになっているようだ。
岩場の手前まで来ると、山頂付近に正面からは見えなかった横穴あることに気付いた。
(…あれか)
ほかに隠れられそうな所はないので、あれが龍の棲処だろう。
向かおうとしたその時、横穴に赤いものが光った。何かと目を凝らす間もなく火球が凄まじい勢いで向かってくる。
「いっ??」
間一髪伏せて躱すと、背後からの爆音と熱風に煽られた。振り返りたくない気持ちと振り返っている場合ではない状況に、とりあえずうしろのことは後回しにする。
「俺は請負人、頼まれて来ただけだ!」
鱗を見せようと慌てて服の中を漁りながら、とにかく叫んだ。大事にしまいすぎてすぐに出せない。
キラリと横穴の中、赤い光が灯る。
「これ渡されてるから! 話を聞いてくれっ!」
ようやくウェルトナックの鱗を取り出したリーは、高く掲げる。
横穴の光がふっとかき消えた。
直後、横穴から真紅の髪の若い男が姿を現した。
まっすぐにリーの前へとやってきた長身の男は、リーが手に持つ鱗を驚いたように凝視する。
「…やはりあいつの…」
「いいから早く火を消せっ!!」
鱗から怒鳴るリーに、そして火球が当たって燃える木へと視線を移した男は、短く息をついただけだった。
ただそれだけで、リーの背後の火は一瞬にして消え失せる。
熱と音が消えたことで、背を向けたままのリーにも火が消されたことがわかった。
そして同時に。目の前のこの男が紛れもなく龍であるということも。
目の前の男には敵意も悪意も殺意もない。そんなものを持たずとも自分など簡単に殺せるのだと、肌に刺さる圧倒的な力の差にリーは理解する。
護り龍ではない、魔物としての龍が、そこにいた。
真紅の髪をうしろで束ね、同じく真紅の瞳でじっとリーを見下ろす男。もちろん実年齢ではないだろうが、外見はリーより少し年上に見える。背が高いのも相まって、威圧感が強い。
初めて見る、人にしか見えない龍に、リーは驚きを隠せなかった。
龍には基本形態が二種類あり、それぞれどちらにも変われるとは知っていたが、人の姿にまでなれることは知らなかった。
そして。こうして人の姿を模していても、目の前の男は人ならぬ存在であるということを本能で理解する。
護り龍には抱かない、本能的な畏怖。
目の前の男からは、それを感じた。
検分は終わったのか、男の圧が少し緩む。
「…お前はどうしてその鱗を持っている?」
どうやら話を聞く気にはなってくれたらしい。和らいだ威圧感に、リーはほっと息をついた。
「メルシナ村の護り龍から色々頼まれてて。ここに棲む龍への伝言を預かってきた」
「護り龍? あいつが?」
妙なところに驚きながら、いやしかし、と眉をしかめた男が改めてリーを見据える。
「…お前はお前でなんだか妙だな」
「そう言われても…」
もしかするとアディーリアと一方向とはいえ絆を結んだからだろうかと思いはしたが、余計なことは言わずにいることにする。
「で、あいつはなんだって?」
もう興味は失せたのか、それともそういう性格なのか。すぐに変わる話題にリーは苦笑する。
このペースに巻き込まれると、話さねばならないことの半分も話せないまま終わりそうだ。
「その前に、あんたがウェルトナックの知り合いの、ここに棲んでる龍なんだよな?」
龍であることは間違いないが、ウェルトナックの言っていた龍かどうかは自分にはわからない。確認のつもりでそう聞いたリーに。
「ああ。エルトジェフは俺だ」
表情を変えず、男はさらりと告げた。
リーは今まで生きてきて一番の衝撃を受けていた。
目の前の男は龍であるはずなのに、普通に己の名を口にしたのだ。
「なっ…名っっ……!!」
「どうした?」
口をぱくぱくさせるリーを不思議そうに見返すエルトジェフ。
「な、名前…」
ああ、と今更気付いたように呟く。
「別に減るもんでもなし」
あっさりそう言い切り、変な慣例だよなと笑った。
「そういうわけで俺は気にしないからお前も気にするな」
「そんなこと言われても…」
「で、あいつはなんだって?」
まだうろたえるリーを置き去りに、話を進めるエルトジェフ。
ウェルトナックが難儀な奴だと言っていたことを、リーは今更思い出した。




