残されたもの
脱いだ上着を抱えて町の入口まで戻ると、中年の男が慌てて駆け寄ってきた。町長だというその男はエリアからある程度話を聞いていたようで、もう心配はないと告げると安堵の息を洩らして礼を言われる。詳細はあとにして、とりあえず住人の対応に当たってもらうことにした。
そのまま町の外に出ると、住人たちに囲まれるエリアとティナがいた。
大きな混乱が起きた様子もなく、リーはほっとしながらふたりに近付く。
「あ、リー。おかえり」
「おう」
軽く手を振り、ティナから鞄を受け取った。
「誘導ありがとな。問題なかったか?」
そう聞くと、エリアとティナはお互い顔を見合わせる。
「あんなかったいペラペラのお肉じゃ足りない」
「は?」
「もうお昼過ぎちゃってる。お腹すいた」
「はぁ?」
一体何をとリーが問い返すよりも早く。
「じゃあうちに食べにきなよ?」
「それより皆で食堂に行けばいいじゃない」
「好きなもの食べていいからね」
ふたりを囲んでいた住民たちが口々に言い、夜には宿へと帰すからと言い残して連れていってしまった。
呆然と見送ってからエリアの言葉を思い出して荷物を漁るが、携帯食の干し肉は全滅していた。
(あいつら勝手に……!)
六番から五番への移動中、腹が減ったと喚くのを黙らせるために渡したのが失敗だった。
少しイラッとしたものの、ふたつ返事で誘導を引き受けてくれたことを思い出し、怒らずにいてやろうと決める。たとえ昨日宿場町で買い足した分を丸々食い尽くされたとしても、だ。
(……経費に足しといてやる…)
心中愚痴りながら、忘れないようにメモ書きをしておく。
そうこうするうちに対応を終えた町長に家へと招かれ、そこで詳細を話した。
「…こっそり帰してやってくれないか?」
そう告げ、リーは己の上着を町長に渡す。
今回シングラリアによる人的被害はなかったが、家畜と建物に被害が出ていた。
怒りの矛先は、ただ黒い獣であればいい。
受け取ってくるまれた中を見た町長は、お気遣い感謝します、と頭を下げた。
町長の厚意で用意してもらえた宿の一室。湯浴みと軽い食事を済ませて落ち着いてから、リーは今回のことを整理する。
ネコのようなシングラリアから黒い靄が抜け落ち、残されたのは普通のネコ。詳しいことはもちろんわからないが、その姿の元となるものが体の中に取り込まれていて。倒して残るのは、その元の体だけなのだろう。
表面は普通の手応えなのにあとが軽いのは、あの靄が体を模しているからだとも考えられる。尤も、靄にしては実体があり硬さもある。その矛盾に慣れるまでは苦労しそうだ。
抜け出た靄はすべて北西へと流れていった。大陸の南東にあるこの場所からだと、まだ行き先を絞ることはできない。
とりあえずわかったことといえば、わからないことが多すぎる、ということだろうか。
息をつき、町長から返された上着を見る。
あの白いネコに斬り傷はひとつもなかった。
自分が落とした足先も、貫いた喉も、何ひとつ跡はなく。ただ眠るようだったことに少し救われた。
浮かぶ自嘲は今更な己へのもの。
請負人である以上、割り切らねばならないことがあると理解はしている。
溜息をつき、ベッドに転がって。
アディーリアへの絆を結んでいなくて本当に良かったと独りごちる。こんなやるせない思いを彼女にさせるのは申し訳なかった。
胸の中、頑張るんだから、と張り切る気持ちを感じながら。
自分まで励まされているようだと、少し笑った。
翌日、三人は住人たちに見送られてエンバーを出た。
歩きながら、リーはちらりと双子のエルフを見る。
昨夜は無事宿に帰ってきたことを確認しただけなので、昨日のことに改めて礼を言っていない。
どうしようかとものすごく迷ったが、助かったことは間違いないのだしと認め、意を決した。
「…なぁ」
かけられた声に、エリアはきょとんと、ティナは表情を変えずに見返す。
「…改めてってわけじゃないけど。誘導、ホント助かった。皆怯えてたのに、よく落ち着かせられたな」
「こっち、って呼んだだけ」
怪訝そうな顔のままエリアが返した。
「リー、自信満々で行ったから大丈夫だって思ったの。だからここで待ってよって」
「むしろ失敗したら笑えたのに」
「おい?」
珍しく喋ったと思ったら何を言うんだと、リーはティナを睨みつける。もちろん動じた様子はない。
全く、とぼやいてから。いつも通りの双子に肩の力が抜けた。
おそらくふたりとも、自分を手伝うとか皆を助けるためだとか思ったわけではなく、本当にいつも通りだったのだろうと。
そしてだからこそ、住民たちもいつも通り絆されて落ち着けたのだろうと。
そう、思った。
だからありがとうという言葉は、心中呟くに留める。
再び前を向いたリーに、そういえば、とエリアが口を開いた。
「リーって防具着てたんだね」
「そりゃあな」
昨日シングラリアに服を裂かれたので気付いたらしい。
「上に着たら服も破れないんじゃない?」
「これはこういうもんだし、この方が動きやすくていいんだよ」
中に着込むこの防具は特殊なものであるらしく、薄手で軽く、防刃性に優れている。開発者とは知り合いだが、素材と作り方は聞かない方がいいと言われた。もちろん聞かなかった。
衝撃にはあまり効果はないので普通の防具と併用する者も多いが、リーは単独で使っている。動きやすいからというのは本当だ。
金がなくて普通の防具を着けていた駆け出しの頃。
子どもが防具に着られてるようだと言われたことを根に持っているからではない。
昼過ぎに黄の五番の宿場町へと戻ってきたリーは、食堂にふたりを放り込み、この金額内でと角銀貨一枚を先に払っておいた。普通なら四人は食べられる金額だが、おそらく釣りは出ないだろう。
ひとり支部へと向かい、男にシングラリアだったと告げてから、少々長めの報告書を書いた。
「手ぶらか?」
目を通した男に聞かれ、リーは頷く。
「首輪、してたから」
男は少し驚いたようにリーを見てから、ふっと相好を崩した。
「そうか」
報告書の下に何やら書き足して、ご苦労さんと男が労う。
「ここからどうするんだ?」
「北に向かうよ」
ウェルトナックとの約束であるドマーノ山に行くため、一区画北、黄の四番の宿場町を目指す。いつでもいいと言われたが、あとに回す気はなかった。
食堂に戻ると、案の定金額いっぱい食べ尽くしたふたりが、店主の厚意で菓子を食べていた。
山積みの皿にげんなりしながら、リーは自分の分の昼食を頼むことにした。




