メルシナ村の護り龍
街道を逸れ森を抜けた先、一面の畑の中を歩く人影があった。
小柄なその体躯に似合わぬ大剣を背負う、茶髪の男。顔付きは少年というほど幼くはないが、かといって青年というほど精悍にも見えず。その体型と相まって更に実年齢がわかりにくい。
男はスタスタと歩を進め、畑の先、山林を背負う村へと入っていった。
「あんたは…?」
見つけた村人に怪訝そうに問われ、男は服の中から掌ほどの木の板を取り出す。
「請負人だよ。依頼、受けて来た」
それを見せ、にっと笑う。
「誰に話を聞けばいい?」
「…依頼を受けてくださり、ありがとうございます」
案内された村長の家、割板を確認した村長が頭を下げた。
「俺はリー。早速だけど詳しい話を聞かせてほしい」
そう言いつつ、リーは見返す村長の視線に苦笑する。
「これ。所属証」
自分が何を疑われているのかなど聞かなくてもわかる。
いつも首から下げている小さな銀板を服の中から引っ張り出して、村長に見せた。
「一応中級だから」
「い、いえ、疑ってるわけでは……」
慌てて相手に取り繕われるのもいつものこと。慣れた展開なのでもう気にするつもりもない。
「で?」
先を促すリーに、村長はついてくるように告げた。村を抜け、慣れた足取りで背後の森を進んでいく。
木々のせいか、少しひんやりとした空気。葉擦れの音と踏みしめる草葉の音だけが聞こえる。
本当に穏やかで心地良いこの雰囲気。覚えあるそれに、リーはひとり眉をしかめた。
もしそうであるならば、この依頼自体がおかしいことになる。
疑心暗鬼の中、ついていくこと暫く。
唐突に視界が開け、目の前に池が現れた。澄んだ水から洩れ出るような張り詰めた空気が辺りに満ち、自然と背筋が伸びる。
リーの疑念は確信に変わった。
「……村長。ここ、護り龍の…」
足を止めて尋ねるリーに、池を見たままの村長が息を呑む。
風もない水面に、ひとつ波紋が広がった。
ここレストアと呼ばれる大地には、人ならざる生き物たちがいた。
奥地にひっそりと住む、魔法に長けたエルフ。
人と共に暮らし、その技を売るドワーフ。
害にも糧にもなり得る魔物と呼ばれるものたち。
そして、すべてを見通す眼を持つといわれる龍。
限られた大地で暮らすには、龍はあまりにも大きく。人はあまりにも無遠慮で。
行き場をなくした龍たちの一部は、人とともに生きることを決めた。
魔物の頂点である龍は、その存在自体が魔物避けとなる。
人に護りを与えることで人の世に居場所を得た龍を、人は敬意を込めて『護り龍』と呼んだ。
背を向けたままの村長に、リーが背中の剣に手をかける。
「……なんで護り龍のいる村が、魔物の討伐依頼なんて出すんだ?」
リーが受けた依頼は、この村を困らせる魔物の討伐。しかし護り龍がいるのならば、魔物に困ることはあり得ない。
振り返った村長は剣を抜こうとする素振りに怯えを見せながら、それでも首を振る。
「…ま、魔物かどうかの調査も含めての依頼で……」
「それならそう初めから言っとくべきだろ」
依頼内容で基本報酬が決まるため、虚偽報告は重く罰せられる。
もちろん誤解や勘違いは当然あることだが、この場合はまず確信犯だ。
「と、とりあえずこちらに……」
「何を隠してる?」
「ここへ……」
オロオロとうろたえる村長の様子からは、報酬をごまかすために一計を案じたとはとても思えず。ますます困惑しながら、リーが一歩歩を詰めたその時。
ザンっ、と村長の背後に水柱が立った。
反射的に柄を握ったリーだったが、水柱の中に光るものを目にして手を放す。
派手に立ち上がった水柱は、還る水音もなく龍の姿へと変わった。
淡い水の色の体は水龍の基本形態であるヘビのように細長いそれで、向けられる眼は水底を覗き込んだかのような深い青。
すべてを見透かすような、その眼差し。
目を逸らせずに、リーは水龍と見つめ合う。
じっとリーを見ていたその眼がゆっくりと瞬いた。
「儂から話そう」
僅かに開いた水龍の口から言葉が洩れる。
「護り龍!」
「いい。この者は信頼に足るだろう」
心配そうに声をあげる村長にそう返し、水龍はリーを見た。
あとは任せろと水龍に言われ、村長は頭を下げてから村に戻っていった。
残されたリーはただ水龍を見上げる。
人ならざる魔物の頂点。しかしその眼差しは慈愛に満ち、畏怖は抱けど恐怖はなかった。
「試すような真似をしてすまなかったな。儂はここメルシナの護り龍。そなた、名は?」
尋ねる声音は柔らかく、自然と肩の力が抜ける。
「…リー、と名乗ってはいますが……」
もごもごと続けられた言葉に水龍は笑う。
「そうか。なら儂もそう呼ぼう」
くつくつと笑いながら、水龍はリーの目線まで頭を下げた。
「怖がらんところを見ると、どうやら龍に縁があるようだな?」
「うちの村にも護り龍がいますから」
村の名を尋ねられ答えると、あやつか、と水龍が呟く。
「なら取り繕ったところで仕方ないとわかっているだろう?」
人であったなら、ニヤリと笑って告げられたような。そんな含みをもつ響きに、リーは息をついた。
「じゃ、遠慮なく」
語調を崩し、リーは改めて水龍に向き合う。
「依頼はある、んだよな?」
「儂が関わるために、あまり正直に依頼も出せなくてな。組織にはちゃんと話を通してあるから問題ない」
虚偽依頼ではないとの言葉に、ほっとするリー。
龍が請負人組織に既に話を通してあるという事実には、この際目を瞑る。おそらく知っても仕方ない。
「条件は中級以上。依頼料は倍。差額は本部で受け取ってくれ」
「倍?」
「口止め料込み、ということだ」
楽しそうに笑い、水龍が顔を近付ける。
「尤も、話すような者でないのはわかっているがな」
じぃっと青い双眸に見つめられながら、リーもふっと表情を緩めた。
「龍の見る目は確かだから、か?」
「そうだな、まず間違わん。それに…」
凝視する水龍の背後、水面が小さく持ち上がる。
水を模してはいるが、青い眼が見えた。
「あ」
目が合うなりシュパっと引っ込む。突然のリーの呟きに、水龍はその視線を辿り、水底を覗き込んだ。
「…すまんな、少し待っててくれ」
すぅっと水に紛れた水龍は、暫くしてから戻ってきたのだが。
「……悪いが、岸から底を覗いてくれんか?」
申し訳なさそうに、溜息をついてそう言われる。
「は?」
「見えぬと泣かれた。少しでいいから頼む」
「覗けばいいのか?」
わけがわからないまま池の縁に立ち、脇に避けた水龍の横を覗き込む。
パシャパシャと水面が波立ち、底にキラリと何かが光るのが見えた。
何かと思いつつ顔を上げ、これでいいのかと水龍を見る。
「すまな―――」
言葉途中に、がぼりと水龍が引きずり込まれた。
「護り龍っ??」
慌てて飛び込むべきかと考えたが、決めきる前に水面からひょっこり小さな水色の龍が顔を出す。
見つめ合うこと暫く。音もなく引っ込んだ小さな水龍と入れ替わりに、また護り龍が顔を出した。
「……度々すまない」
「さっきのって…」
「儂の子どもだ」
再度、水龍が溜息とともに告げた。
「で、だ」
気を取り直すかのように息をついて、水龍は話し始める。
「依頼は魔物討伐…いや、できれば魔物かどうかも含めての調査、だな」
まだ話は続きそうだったので、リーはとりあえずは口を挟まず聞くに徹することにしたのだが。
「もう少し行くと崖があってな、そこの横穴にいくらか食料を置いてあるのだが…」
「食料?」
早々に、しかも本筋とは関係のない疑問を洩らしてしまった。
龍は経口での食事を必要としないと、リーは故郷の護り龍から聞いていた。司る物との関係で量は変わるが、万物から生きるための糧をもらえるらしい。
水龍ならば、棲処とするこの池にいる限り糧には困らないはずなのだが。
明らかにぎくりと動きを止める水龍。
「……人の食す物は龍にとっても美味いからな………」
僅かに視線を泳がせてから、ぽつりと呟いた。
「人も酒や甘味を好むだろう?」
「つまり嗜好品ってことか」
確かにそう言われれば納得できる。
「村の負担にならぬ程度に分けてもらっておるのだが、いつの間にか少しずつ荒らされだしてな。ここ数日はひどいものだ」
ぴょこんと水龍の背後に子龍が顔を出す。
「跡を見る限り魔物のようではあるのだが」
続いて二匹顔を出す。
「これだけの龍が住む中に、普通ならば近寄りもしないはずだからな」
更にもう一匹、少しずつ大きさの違う四匹が並んだ。
「……そうだな」
納得顔のリーに怪訝そうな目を向けてから、くるりと水龍が振り返る。
「あっ、お前たち!」
シュっと引っ込む子龍たち。
「五匹もいるのにな」
「…あと、かみさんと末の娘が…」
リーは言葉を返すのをやめた。