とある男の手記
私の人生はおおよそ特別と言えるものではありませんでした。が、ただ一つ、人よりも優れていたところがあるとすればそれは、小説を書くという事だったと思います。
小説を書く事が出来たのは、私の人生に於いて最大の幸福でありました。その才能を天から与えられた事は、この上ない幸いであったと私は思います。
しかし、それ故に、私は小説家としては凡庸な人間に過ぎませんでした。
私の書いたものは、すべて平凡なものです。平凡である事を自覚していながらも、それを直そうと努力しなかったのですから、これは怠惰以外の何物でもありません。
ですから、私が小説家として大成する事はなかったでしょうし、また、おそらく、そんな可能性など微塵もなかったのだと思われます。
しかし、私は自分が小説家として大成することを微塵も疑っていませんでした。そして、自分の作品が世間に認められることを夢想していたのです。
ところが、現実にはどうでしょうか?
私は、今や作家としてではなく一介の小説愛好家でしかありません。
何故こうなったのかと言えば、原因は明らかです。私が小説を書き始めた動機が不純だったという事に尽きるわけです。
そもそも、私は作家になろうと思ったのではなくて、単に小説を書いてみたかっただけなのです。それで、たまたま文章の才能があったものだから、つい調子に乗ってしまっただけの話であって、もし才能がなかったら、あるいは、もっと別の趣味を持っていたとしたならば、私はきっと違う人生を歩んでいたはずなのです。
そう思うと、つくづく自分は運の悪い男だと言わざるを得ません。私は今までずっと、自分だけが不幸だと思っていましたが、実はそうではなかったようです。世の中というのは案外公平なもので、幸運に恵まれた人もいれば不運に見舞われている人もいるらしいのです。
もちろん、だからと言ってそれが慰めになるわけではないのですけれどね。
こうして筆をとってみると、いろいろなことを思い出すものですが、やはり一番強く記憶に残っているのは、最初に小説を書いた時のことです。あれは確か中学三年生の時だったと思うのですが、その時の事はよく覚えています。当時、私は学校の勉強についていけず、成績が悪くて落ち込んでいたのです。そこで、気分転換に何か書きたいと思い立ったわけです。
ただ、その時はさすがに中学生だったので、あまり難しい漢字を使って書くことは出来ませんでした。それに、まだパソコンというものを持っていなかった時代でもありましたから、ワープロソフトなども持っていなかったのです。
それでも、何とか書いてみたいという気持ちだけはあったので、私はノートに鉛筆で下書きをしてみたのです。すると、これが意外にも面白いように書けてしまったのですね。まるで、以前から何度も練習してきたかのようにスラスラと書くことが出来たのです。
そのことに気をよくした私は、早速清書をしてみる事にしました。そして、出来上がったものを妹に見せたところ、彼女はとても褒めてくれたのです。ただ、彼女はその時6、7歳であったと記憶しているので、その言葉はあまり参考にはならないかもしれません。
とにかく、私はその日から小説を書くことが楽しくなりました。それから毎日のように小説を書き続けたのです。勉強の合間に書いたり、食事中も入浴中でも睡眠時間を削って書いたりしたこともあります。
とにかく一生懸命に書きまくった結果、一年くらいで小説を完成させる事が出来たのでした。まあ、その頃の私にしては結構頑張った方だと思います。ちなみに、原稿用紙にして500枚ほど書いたはずですが、それは私の部屋の押し入れにしまってあります。
今となっては何とも惜しい事をしたものだと思う次第です。もしも、今の私がもう一度小学生に戻ってやり直しをするとしても絶対に小説家になろうなんて考えないでしょう。小説家になるよりも、お役所に勤めた方が良いに決まっております。路頭に迷う心配もないですし、言われた事だけやっていればよいわけです。
それに比べて小説家になるとなれば色々と悩みや不安もあるわけですよ。仕事がないと生活出来ないとか、本を出すお金が無いからどうやって稼ごうかとか。そういう事を考えながら仕事をしたり、小説を読んだりするわけでございます。
そんな人生より楽な道があるならそちらを選ぶに決まっているではありませんか。まあ、大人になったからそういう考えになってしまったのでしょうが。子供の頃の夢を未だに追い続けているような人であればまた違った結論に至ったかもしれないわけですけどね。
ともかく私は、そう簡単に作家になれないと知ってガッカリしたのを覚えております。
しかし、それでも小説を書いていた頃はとても楽しい時期でありました。何しろ他には何もやることがない状態だったものですから、ひたすら小説を書いているだけでよかったのです。つまり、小説を書いていればそれだけ幸せな時間が待っているということなのです。こんな幸福な状態がいつまでも続けばいいと思っていたものです。
ただ残念なことにそううまくはいかなかったようです。というのも、私は小説をたくさん書いているうちに、小説を書くという行為そのものに夢中になってしまっていたのです。そして、小説以外の事はどうでも良くなってしまったのです。
そうなると当然のことではあるのですが、他のことをする余裕がなくなってしまいました。学校の授業もまともに受けなくなり、成績はどんどん下がっていきました。友達との付き合いもほとんど無くなり、家にいるか小説を書いているかのどちらかになってしまいました。
そんな状態ですから、当然ながら家族からは疎まれてしまいました。父は私が何を考えているのか理解出来ず、母は私が何をしているのか解らず、そして妹は私が小説ばかり書いている事に腹を立てていたようでした。
今思い返してみても、どうしてこうなったのかさっぱりわかりません。
小説を書いていて楽しいというのはわかるのですが、それが何故勉強をしなくなる理由になるのでしょうか? 小説を書いていても、ちゃんと授業を聞いていさえすれば、それなりの点数が取れたはずなのです。なのに、私はそうしなかった。
そういえば、私はよく授業中に先生に当てられて答えられなかったことがありました。それも一度や二度ではなくて、かなり頻繁に当てられていた気がします。あれは何でだったんだろうかと考えてみたところ、おそらくですが、私は小説の事を考えていたのだと思われます。
小説のことを考えると、ついボーッとしてしまって何も聞こえなくなってしまうのです。
そんな私ですが、いつだったかそんな自分に危機感を抱いた時期がありました。このままではいけないと思った私は、何とか勉強に集中出来るように努力したのです。その結果、少しずつ成績が上がり始め、やがて普通に授業を受けられるようになりました。ただ、その時にはもう手遅れになっていたわけです。私は小説への情熱が薄れてしまっていたのです。
しかし、当時の私はそれに気づかず、再び元の怠惰な生活に戻ってしまったのでした。
まあ、これは私の自業自得なのですがね。
さてさて、こうして振り返ってみると、私という人間はつくづく馬鹿だったのだと思わざるを得ません。
まあ、それは置いておくとしても、せっかく才能があったのだから、もっと他の事に目を向けていれば良かったのに、とも思うのです。
例えばスポーツなんかそうでしょう。サッカーをやっていたらもう少しましな人間になれたかもしれません。
野球だって良いでしょう。甲子園に行くことが出来たかもしれません。テニスやバスケ、バレー、卓球といった競技に興味があれば、全国大会で大活躍出来たかもしれません。あるいは音楽の才能があるのなら楽器を演奏して、プロを目指すことも出来たかもしれません。
勉強が得意なのであれば、難関大学に入って、一流企業に就職して出世街道まっしぐらという生き方もあったはずです。
しかし、私には小説しかないと信じ切っていた。だからこそ、勉強もせずに小説を書き続けたのです。もしも、他にも何かやりたいことがあって、それに打ち込んでいたのならば、今の私とは全然違う人生を歩んでいたことでしょう。
そう考えると、小説を書くことに没頭出来たことは幸運だったのかもしれません。
もっとも、それが本当に幸せだったというのかどうかは微妙なところなのですがね。
何にせよ、私は自分の意志で小説を書いていたのではなく、ただ流されるままに書いていただけだったのです。
だから、もし小説家になろうとする人がいれば、あまり無理はしない方が良いと思いますよ。私のように小説しか書くことが出来ない人間になってしまう可能性が高いですから。
それでも書きたいものがあるのでしたら、止めはしませんが。
さて、これだけ自分を自虐してまいりましたが、今でも小説を書くことが嫌いになったわけではありません。好きではないというだけなのです。
では、なぜこんな話を書いたかというと、先日たまたま昔の日記を見つけまして、それを読んでみたら、昔は小説を書くのが好きだったことを思い出したのです。そして、将来小説家になりたいと思っていた事も思い出しました。
それで、今の自分がどうなのか確認するために、昔の自分と比較してみることにしたのです。
結果、昔の方が小説が好きだと言えました。
まあ、そりゃそうです。
今は小説なんてほとんど書いていないのですから。
しかし、小説を全く読まなくなったわけではないのです。
小説を読むということは好きですよ。
でも、小説を書くのは面倒くさいと思ってしまいました。小説を書くのは楽しいことではなくなってしまったのです。
昔みたいに楽しく小説を書くことが出来れば、また小説を書くのも悪くないと思うようになるのでしょう。
こんな人生をもし一言で表すなら、きっとこうなるのでしょう。――無為な人生。
何もしないまま日々を過ごしていくだけの人生。
何も考えず、ただ生きているだけの人生。そんなのつまらないですね。非常に退屈だと思われません
か?
私は今の生活がそれなりに満足していますけど、やっぱり刺激がないのは辛いものです。小説を書いていた頃のような刺激が欲しいと何度も思ったものです。しかし、それはもう叶わぬ願いなのですよね……。
最後に、私がこのエッセイを書こうと思ったきっかけについてお話ししたいと思います。それは、私が今一番求めているものは何なのか? それを見極めるためだったのでした。つまり私は、現状に不満はあるものの、いったい何を求めているのかがわからない状態だったのです。
そこで思いついたのが、小説を書いていなかった頃のことを思い返してみることでした。そうすればわかるかもしれないと思い、過去の記憶を呼び覚ましたわけです。しかし、その結果わかったことはただ一つ。私は今も変わらず、小説を書くことを楽しめない。私は小説を書く気力はもう無いようですし、そもそもそんな気は無いのだ。そういう事でした。それがわかって私はホッとしました。
やはり小説を書くのが楽しいと感じていた自分は既に死んでいて、今の自分は死人なんだということがはっきりしたのです。小説を書く気が湧かない理由がはっきりとした以上、この気持ちと相対する必要はありません。
私はいつまで経っても、何をするにしても中途半端な人間です。小説を書いていた時の気持ちを思い出すためだけに、過去を振り返りましたが、結局、何を求めていたのかはわかりませんでした。でも、これで良かったんだと思います。これから先の人生で小説を書くことを求め続ける限り、私はずっと満たされないのですから。それに、こうして過去の自分に別れを告げることが出来ただけでも、十分に価値のあることだと思います。
さようなら。かつての私。
皆さんこんにちは。私。
小説家はやめよう(戒め)。