当選、そして異世界へ
一人暮らしのボロアパート。
「はぁー、今日もきつかった」
二階への階段を上りながら、ついため息が出る。
つらい肉体労働な上に、上司が嫌なやつなのだ。
部下を理不尽に叱責して、上には媚びる。
俺はそんなクソ上司の叱責を受ける立場なのだからたまらない。
何度会社を辞めようかと思ったことか。
この溜まったストレスを唯一癒してくれるのは、家に帰ってからのゲームだ。
ずっとゲームをして暮らせたらどんなにいいだろう。
「ん……なんだこれ」
俺の部屋の前に荷物が置かれていた。
置き配の段ボールか。
通販なんて頼んだっけ?
正直、覚えがない。
なんのロゴも入っていない無地の段ボール。
「ま、いっか」
開けてみれば分る。
軽い気持ちで部屋に運び入れたそれは、ずいぶん軽かった。
開けた。
中にはゴーグル型の電子機器。
すぐに分かった。
いわゆるVR端末だ。
そして同封されていた一枚の紙きれ。
そこにはこう書かれていた。
『当選おめでとうございます。
この度は弊社の新作ゲーム、アストラルアーク・フォルトゥナへのβテストにご応募いただき、まことにありがとうございます。
厳正なる抽選の結果、佐藤遼太郎様がβテスターに当選されましたので、必要な端末をお送りいたします。
なおPCにつきましてはご所持ということでしたので、ヘッドマウントディスプレイのみの送付となります。
ゲーム本体につきましては下記URLよりダウンロードしてください』
思い出した。
だいたい半年ほど前だ。
聞けば誰もが知る超有名ゲーム会社が、新作ゲームのβテスターを募集していたのだ。
当時話題になったのを覚えている。
企業のブランド力もあって、申し込みは殺到した。
うさわはすぐに広がり、ネットはその話題で持ち切り。
サーバーダウンすら起こる事態になった。
ところがだ。
後に会社のミスとしてお詫び文が掲載されることになったのだ。
いわく、まだ開発段階でありβテストの域に達していない。それどころか、企画中止もありえると。
テスター募集については社内の情報伝達ミスとだけ説明された。
そしてそれ以降一切の情報は出ていない。
当時騒いでいた連中もほとんど記憶の彼方に忘れ去っているだろう事件。
俺はたしかに応募していた。
そして当選した……ということらしい。
「こんなことならPC未所持にしておくんだったな」
俺はPCの電源を点けながらそんなことをつぶやいた。
個人情報入力時にPC所持の有無の項目があった。
なしにチェックを入れておけば新品のPCが届いた可能性がある。
いや、そんな都合のいい話はないか。
どうせ未所持にチェックしていたら当選しなかっただけだ。
とはいえVR端末をポン、と送って寄越す辺りにさすが大企業の貫禄を感じる。
紙に書かれているURLからゲームをダウンロードする間、VR端末をPCに繋ぐ。
「VRゲームは初めてなんだよな」
ゲーム実況動画でVRホラーゲームをやってる人を見たことがあるが、ガチでビビリまくっていた。
VRの臨場感はすごいらしい。
まあこのゲームはMMORPGらしいから、ホラーじゃないという安心感はある。
さすがにホラーゲームだったらそもそも応募なんてしないしな。
と、ダウンロードが終わった。
さっそくゲームを起動する。
仕事の疲れはあったがゲームへの期待のほうが勝った。
俺はゴーグル型VR端末を被り、コントローラーを握りしめ、さっそくゲームにログインした。
視界いっぱいに広がるログイン画面にはファンタジー風の大自然が広がり、巨大な西洋の城が夕日を浴びて輝いている。
おお、雰囲気いいな!
映画館の大スクリーンよりも視野の広い大自然。
さすがはVR。ログイン画面だけでこんなにワクワクしたのはいつぶりだろうか。
ログイン画面の真ん中に表示されるスタートのボタンを押す。
次はサーバー選択画面だ。
ワールド1
サーバー名もありきたりどころか、読んで字のごとくの1つだけ。
「ワールド1ね。まあβだからこんなもんか」
何気なくそのボタンを押した瞬間、体の感覚が消失した。
手に持っていたはずのコントローラーは消え、イスに座っていたはずの俺の体は支えを失い、地面に落ちた。
そう、地面に落ちたのだ。
尻から。
「え? マジか! VRってここまで……信じられん!」
地面に尻もちをついたことなどお構いなく、俺は叫んでしまっていた。
視界だけじゃない。まるで五感全て――全身でゲームの世界にいるようだ!
アニメなんかで見た『没入型VRMMO』みたいじゃないか。
現代日本で実現したなんて話は聞いたことないぞ。
さすがは世界企業の新作タイトル。ついに人類の技術はここまで進歩したのだ。
一見普通のVRゴーグルに見えたあの端末も、きっと最新の技術が詰まってるんだろう。脳波コントロールとかそういう感じかもしれない。
今俺がいるのはただっ広い草原。
地平の先まで続く緑。まばらに生える木々や岩々が、緑の中に変化を添えていた。
すんすん。
鼻を鳴らせば澄んだ空気とかすかな土の匂い。俺の部屋の生活の匂いは一切しない。
まるで大自然の森にキャンプにでも来たようだ。
やはり五感全てで世界を感じる。匂いまで再現できるのか。
感動していた俺の背中に声が掛けられた。
「お、お前……」
低い震え声。たぶん男だ。
思わず振り向いた俺が見たのは、筋肉ムキムキの男。その頭の上には獣の耳がピョコンと付いている。
さらに尻の辺りからフサッと見えるのは黒い尻尾。
間違いない、獣人だ!
モチーフは犬だろうか、狼だろうか?
やっぱりファンタジーとくれば獣人。しかもこの画質。なんと尻尾の毛の一本一本までわずかな空気の動きに合わせて揺れているじゃないか。
信じられないクオリティだ。
獣人男は切り株をベンチ代わりにして座っていたらしい。半分腰を浮かせた体勢で俺を凝視していた。
その横には仲間と思われる他の獣人たち。さらにその向こうにはテントが見えた。
ここに住んでいるというわけではなく、一時的なキャンプのような感じがした。
NPCだろうか? チュートリアル進行要員かもしれない。とりあえず話しかけてみることにした。
「あの、俺初心者で。このゲームについて教えてくれませんか?」
「お? あ?」
獣人男は驚き顔のまま口をパクパクさせて言葉にならない声を発している。
おかしい。
ゲームならこっちが話しかけずとも、向こうのほうからすらすらと序盤のゲームの流れや、ストーリーを語り始めるというのに。
獣人男は驚くばかりでまともに話そうとしない。
「えっと、聞こえてますか? あ、もしかして言葉通じない設定とか?」
「うおわあああっ!? いきなり人間が現れたぞ。今のは魔術か!? お前は魔術師なのか!?」
「見たこともない魔術だ!! も、ももしかしてウェイクス卿が伝説級魔術師でも雇ったのか!?」
「ひ、ひいいいっ!! すみません! 命だけはお助けをーーーーっ!!」
獣人たちはパニックになっている。
「いえ、違います。俺はただの人間です。初心者です。無害です。だから落ち着いてください」
獣人たちはお互い顔を見合わせる。
「いや、そうか。そうだよな。安心したぜ。きっと今のは目の錯覚だ」
「ああ。どう見ても普通の子供だ。びっくりしたー」
「いやー驚いて損したわ。あっはっは」
よかった。落ち着いてくれたようだ。
これなら話を聞いてもらえそうだ。
「あなたたちは何をしてる方ですか?」
獣人男は意を得たとばかりに笑った。
「俺たちは行商人よ。いつも決まった行商路を通って旅をしているのさ。で、この場所でキャンプをするのも決まってる」
なるほど、商人の集団だったか。
それにしても、と思う。
商人と言う割にはゴツい気がするのだが。
獣人たちは誰も彼も筋肉質で、剣を腰に下げていた。いかにも武闘派ですと言った感じで商人には見えない。
「強そうですね」
獣人男は今度は口を開けての大笑い。
「がはははは。まあな。この世界じゃ強くないとやってられねえ商売よ。俺たちの誇りをかけた仕事さ」
胸を張る獣人男。
見れば他の獣人たちも誇らしげな笑みを浮かべている。
テントの横には荷馬車。荷馬車の他に四頭の馬が繋がれていた。
ああ、たしかに商人だ。
まさか奴隷商人とかじゃ……ないよな?
そういう設定の悪者がいてもおかしくない。
退治すればクエスト達成、とかになるんだろうが、そもそも俺はどうやってクエストを受けるのかも分からない初心者なのだ。
まあしかしこれは俺のカンだが、たぶん彼らは悪いNPCではないだろう。
なんとなくそんな感じがする。
悪人は誇りを口にしたりはしないものだ。
強そうと言われて気をよくしたのか、獣人男はこんなことを言い出した。
「どれ、俺たちが扱ってる商品を見せてやる。ついてこい」
俺は獣人男のわっさわっさ揺れる尻尾を見ながら、後について荷馬車のほうへと歩いた。
獣人男が荷台の荷袋を次々と開けて見せてくれた。
麦や果物や木の実、それに動物の皮。
「次はこれだ」
獣人男が取り出したのはナイフだ。鞘から抜いて見せてくれる。
装飾などのない武骨で簡素な作り。俺にナイフの良し悪しは分からないが、よく切れそうな品に見える。
「おっ、やっぱり刃物となると目の色が違うな。男の子はそうじゃなくちゃいけねえ」
そして次の商品は鏡だった。
やはり実用重視で装飾のない鏡。
獣人男はその鏡について説明を始めた。
「これはラドキアの町のオグラの工房で作られたもんだ。飾り気はねえがしっかりした作りになってる」
しかし俺は獣人男の声なんて耳に入っていなかった。
それくらい驚いたのだ。
鏡に映っていたのは俺だった。
そう、ゲームのキャラクターとしてではない、現実世界の自分。
しかし、若い。
たぶん十四か十五くらい。中学生の頃の俺だ。
十年前の姿。
服こそファンタジー風の恰好。
ボロい布の服にズボン。村の少年Aって感じだ。
だが間違いなく俺の姿だった。
現実世界の姿を、プレイヤーになんの断りもなくゲームに反映させていいのだろうか?
いくら昔の姿とはいえ、個人情報を無断で晒すような行為じゃないのか?
こんなことをして問題にならないのだろうか?
俺は悩んだ。
いったんログアウトして、この件を運営に報告するべきか。
それともゲームを続けるか。
俺はゲームを続けることにした。
正直ゲームのあまりのクオリティにテンションが上がっていた。続きを我慢するなんてできなかった。
どうせ俺の姿は中学生の頃のものだ。知り合いと会ったってバレやしないだろう。
「おい、どうした? ぼーっとしやがって。おーい」
獣人男の声で我に返った。
「あっ」
思わず声を上げて獣人男のほうを見る。
獣人男は苦笑いを浮かべていた。
「大丈夫かぁ、お前」
それから鏡を箱に戻して、説明を始めた。
「俺らは普段は日用品や生活雑貨、食料等の物資を扱ってるんだよ。ということで、お前が金を持ってるなら売ってやれる物はあるぜ。持ってるのが物品なら買い取ってもやれる。って……まあ見るからに素寒貧のガキだわな」
獣人男はやれやれと言って肩をすくめた。
商売の説明は終わり、か。
なら次に聞くべきは町の場所だ。
ゲームのセオリーではまず村か町、とにかく人の集まる場所へ行かなければ始まらない。
「近くに町はありませんか? えと、人間の住む町ってことだけど」
「ああ、あるぜ。だがちと遠いな。人間の足じゃ日が暮れるまでにたどり着くのは無理だろう。夜は魔物の時間だ。剣も持たずに出歩けば、待っているのは死だ。お前、戦えるのか?」
獣人男は真剣な目になって聞いてくる。
戦えるのかと問われればおそらく答えはノーだ。
ゲーム始めたての初心者なら当然レベルは1なはず。初心者用の低級なモンスターから狩り始めるのが普通だが、男の態度はそれが決して低級なモンスターではないと物語っている。
「たぶん、無理かな」
「その割には落ち着いているな。まあ町ではなく村なら近い。何を隠そう俺たちはそこに行ってきた帰りでね。この道をまっすぐ行けば着くはずだ。運よく魔物に襲われなければ日が暮れる前に着くだろう」
よく見ればここは十字路の真ん中のようだ。
と言っても舗装された道路ではなく、人通りがあるせいで草が剥げて土がむき出しになっているだけの道だ。
とりあえずはその村とやらに向かうべきだろう。
俺は獣人男が指さしたほうへと歩き出した。
「おい、お前」
と、背中から声をかけられた。
「道を教えてもらって礼の一つも言えないのかよ」
ムッとした声だった。
俺は驚いた。
ゲームで道を尋ねてこんなことを言われるとは思っていなかったからだ。
彼はもしかしたらNPCではなくプレイヤーなのだろうか?
いや、と思い直す。
集団で旅をする行商人、それも決まった行商路での商売を生業とするような連中がプレイヤーとは考えにくい。
こういうオープンワールドゲームなら、プレイヤーであればまずは冒険だろう。
だがこの獣人男にはNPCにしては妙な迫力があった。
なんとなく無視できないような、そういう凄みを感じたのだ。
なので一応こう答えておいた。
「ありがとうございました」
「がっはっはっは。いいってことよ。ついでだ、これを持っていきな」
そう言って獣人男は、鞘に収まったナイフを俺に投げてよこした。
「え? いいんですか?」
「俺はお前みたいなガキは何人も見てきた。大抵は親に捨てられた孤児だ。お前もどうせそのクチだろう? ほとんどのガキは盗人だがな。もしお前が商品を盗んで逃げるつもりだったら、手は貸さないつもりだった」
「はあ」
「暇つぶしついでに試したってわけだよ。お前は俺が見せる商品を興味深そうに見ながら、手を出そうとはしなかった。それに指摘されればきちんと礼も言える。そんなしっかりしたやつを、こんな魔物の出る場所でほっとくのは寝覚めが悪い」
どうもいいNPCのようだ。
「ありがとうございます。あの、お名前は?」
「ニックだ」
「俺は――」
言いかけて言葉に詰まる。
そういやログイン時にキャラクター作成画面はなかったな。
普通ゲームを始める前に名前を設定したりするものだが……。
本名を言うつもりはないので偽名を考える。
まあ適当でいいか。
佐藤だから3と10でサーティ。よし、これでいこう。
「サーティです」
「おう、強く生きろよサーティ」
俺は獣人男に手を振って歩き出した。
それにしてもリアルな受け答えだった。
まるで本物の人間を相手に話しているのかと思ったくらいだ。
最新のゲームは単純な受け答えじゃない、こんな会話もできるように作られてるんだな。
俺はまたしてもゲームのクオリティに感動しつつ、村を目指した。
ここまで読んでいただけた皆様に、心よりの感謝を!
もしちょっとでも面白いなって思っていただけましたら
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作者のモチベに繋がります!めちゃくちゃうれしいです!
本当にありがとうございます!