26. 鳥丸先生に…抹茶味のホワイトチョコレートを!(怪異の掃除人)
私は警察病院に勤める、しがない一看護師。そんな私には、今恋をしている人がいた。
警察病院一般外科専門の医師――烏丸道雄。
アンニュイな眼差し、落ち着いた物腰、命に対する情熱、そしてどんな所にも無理なく収まれそうな省スペースな体格。どれをとっても、たまらなく素敵だった。
だから、来たるバレンタインデー。今日こそ彼に想いを伝えようとチョコレートを用意したのだ。
事前に聞いた、彼の好物である抹茶チョコレートがカバンの中にあるのを確かめる。高鳴る胸を押さえ、私は顔を上げた。今、ちょうど彼は休憩時間に入るはずだ。
「じゃ、先に休憩行きますんで」
「はい、お疲れ様です、先生」
淡々とどこかへ行こうとする烏丸先生を追おうと、一歩踏み出す。が、彼は誰かに気づき足を止めた。
「あれ、どしたの、弟君」
「先生、ちょっといいですか」
話しかけたのは、がっしりと背の高い強面の警察官だった。帽子の下から覗く目は、視線だけで射殺せそうなほど鋭い。
「例の曽根崎案件なんですが、また遺体が上がりまして。申し訳ないのですが、特殊な例ゆえまた先生に検死をお願いしたく」
「分かった。今日なら16時以降が空いてるから、そこに捩じ込んどいて」
「はい、いつもありがとうございます」
「いいって。僕はそういう立場だから」
何やら話しているが、よく聞こえない。けれど、すぐに警察官は帽子のつばを持って一礼すると、その場を後にした。
彼の姿を見送りもせずサッサカ歩き去る先生である。私は慌てて彼を追った。
「……烏丸君」
「あれ、ロックさん」
しかし、今度はお腹の出たおじさんに呼び止められた。
「この間田中さんから頼まれていた資料だけど、その後進捗どう?」
「あれなら直接御大に渡しましたよ。三日前の午後六時に」
「ほらーっ、やっぱりそうじゃないか! 烏丸君が期限を守らないはずないと思ったんだ! ありがとう、ならばおそらくあのゴミ溜めにも近しい彼のデスク上のどこかにあるはずだ。時間を取らせてすまないね」
「いえ、お疲れさんです」
早足で去るおじさんをやはり見送りもせず、彼はまたどこかへと向かう。……人気者の先生である。せっかくの休憩なのに、これではなかなか休めないのではないか。
……でももしかすると、私と話す時間も同じく、彼の安息を奪うだけなのかもしれない。ふと込み上げた嫌な考えに、私はため息をついた。
だけど、どうしても諦めきれなくて先生を追う。彼は、病院内にあるコンビニへと入った。
そして、お菓子コーナーの棚を見回して。
「あれ」
あからさまに、がっかりとした。
何度も見直す。だけど、ぽっかりと空いた空間に変化が起こることはない。
……確か、あの場所には有名菓子店と期間限定コラボした抹茶味のチョコが置かれていたはずだ。それはもう大人気で、どのコンビニでも一瞬で売り切れていたらしい。
なんで詳しいかって? まさに私の手に同じものがあるからです。私は勇気を出して、彼の隣に立った。
「……あ、あの、烏丸先生」
「ん、君は万年筆先生のとこの子じゃん」
烏丸先生は、医師や看護師に変な呼び名をつけることで有名である。ちなみに万年筆先生は、いつもカルテを万年筆で書くことからつけられた名だ。
「何の用?」
「その……えっと、もしよかったら、これ……」
「……!」
先生の目の色が変わった。チョコと私の顔を何度も見比べ、首を傾げる。
「……え、譲ってくれんの?」
「あ、いえ! たまたま間違えて買っちゃったので、今日バレンタインデーですし、先生いつもお忙しいですし、もしよかったらと思って!!」
「あー、そう? じゃあありがたくいただくね。いくら?」
「お金は! 結構です!」
「いいよ。間違えて買ったんだったら、これでもっといいの買いな。……ありがとう」
さらっと千円を握らされ、細い指が触れてドキドキした。元のチョコより四百円ばかり多いのでお釣りを返そうとしたけれど、先生は用は済んだとばかりにさっさといなくなっていた。
残された私は、千円を鷲掴んでしばらくその場に突っ立っていた。心臓はばくばくとうるさいし、なんだかぐるぐると世界は回るし。
……でもまあ、とりあえずチョコは渡せたのだ。ミッションはクリアだろう。
私はガッツポーズをすると、お財布を開き大事に千円札をしまったのだった。




