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8.領民のために

 自然と瞼が閉じてしまうくらいに眠いが、それでも、気力だけでベッドから立ち上がったリカルダは、着替えと化粧をトニアに頼んだ。

 新婚初夜なのに夫に放置された惨めな妻、そう思われるのは我慢できない。できるだけ着飾って、何でもないというように微笑んで見せる。リカルダはそう決めていた。


 リカルダが食事室に行くと、既にエドガルドは席に座っていた。しかし、まだ食事は始めていない。リカルダを待っていたようだ。

「おはようございます」

 リカルダは精一杯の笑顔を見せた。緊張しながら一睡もせず朝まで夫を待っていたので、機嫌も体調も良くないが、貴族女性の嗜みとして内心を顕わにすることはない。

「おはようございます」

 リカルダの方を見て、ほっとしたように挨拶を返すエドガルド。女性に慣れていない彼は、リカルダの笑顔に隠された心情を推し量ることなどできるはずもなく、寝室に行かなかったことが正解だったと確信した。だからリカルダは笑顔を見せてくれているのだと。

 そうであるのならば、この家に留まる意味はない。


「あ、あの、リカルダ様、予定を早めて本日領地へ向けて出発したいと思います」

「本日ですか? とても急ですわね」

 リカルダは思わず聞き返す。エドガルドは三日後に領地へ向けて旅立つ予定だったのだ。それを早めるというのは、自分と過ごすのがそれほど嫌なのかとリカルダは少し睨んでしまった。しかし、目線を外しているエドガルドは気づかない。


 やがて朝食が運ばれてきて、エドガルドは勢いよく食事を始める。夜通し起きていた彼はかなり空腹だった。食欲はあまりないリカルダだったが、何とか朝食を口に運んだ。


 先に食事を終えたエドガルドは、席を立つことなくリカルダが食べ終わるのを待っていた。しかし、目線を合わせると怖がらせると思い、下を向いたままだ。

 

 ようやくリカルダの食事が終わると、おずおずとエドガルドが口を開く。

「旧サルディバル子爵領だった場所が特に荒れているらしいのです。パスクアル伯爵の私兵だった者たちと反乱兵たちが武力闘争を繰り返していて、領民たちはとても疲弊しています。公爵閣下が手配し領地へと向かわせた者たちも手を出せない状態だと報告がありました。伯爵位はこの身に余る栄典だと感じますが、こうして賦与していただきました限り、私は領主として全力を尽くしたいと思います。そのため、困窮している領民のために一日も早く現地に入りたいのです」

 旧サルディバル子爵領の惨状を聞いて、リカルダも頷くしかなかった。夫婦の初夜などという些事に拘っている場合ではない。

 

「わかりました。どうかお気を付けて」

 領主不在では進められない事柄も多々あるだろうから、エドガルドが領地に行く意義は大きいとリカルダは思う。しかし、武官ならともかく、文官のエドガルドが紛争しているような場所に行けば、怪我をしてしまうのではないかと心配になった。

 

「危険地帯へ行くのは慣れていますので、私は大丈夫です」

 確かにエドガルドは文官だが、大臣として外国へ行くことが多いルシエンテス公爵の最後の盾でもあった。いつも公爵の一番近くに侍っていて、危険が迫れば身を挺して守るのだ。帯剣が許されない場でも戦えるように、体術の鍛錬も怠らない。そんな彼を公爵は誰よりも頼りにしている。


「と、ところで、私が婚前に貯めていた金なのですが、全額を領地のために使ってもよろしいでしょうか? 薬と粉乳を購入して持っていこうと思うのですが。薬があれば病人や怪我人を助けることができますし、山羊の乳から作った粉乳は母を亡くした乳児を救えます」

 最近化膿を抑える傷薬が開発され、騎士団でも怪我人の生存率が大幅に上がっている。しかし、流通しているのは王都に限られ、しかもかなり高価であった。


 粉乳をこの国にもたらしたのはエドガルドだ。草原地帯に住む騎馬民族との交渉に赴いた際、彼らが保存食として用いていた粉乳の製造方法を教えてもらっていた。そんな時、エドガルドの平凡な容姿が役に立つ。取り立てて目立つところのない彼は、どの国でも違和感なく溶け込むことができるのだ。

 その時は何かの役に立つかもしれないとぼんやりと思っただけだが、王宮医師団に相談したところ、山羊の乳は母乳に近く、乳不足の乳児に飲ませることができるのではないかということで、保存できる代替え母乳としての研究が始まった。そして、最近王都で発売できるようになったのだ。

 

 貴族や富裕層ならば、乳の出が良い乳母を雇えるので乳児が栄養不足になることはないが、庶民はそうもいかない。エドガルドが騎馬民族から教わってきた粉乳は、母を亡くしたり母親の乳が出にくかったりする乳児の命を救っている。


「それならば、わたくしの持参金と、王家からいただいた結婚祝い金も全額お使いください」

 ルシエンテス公爵は娘のために多額の持参金を用意した。それどころか、王太子に裏切られた娘の無念さを切々と王に訴え、エドガルドとリカルダの結婚の祝い金という形で大金をぶんどってきたのだ。王太子がリカルダを裏切ったのは真実だが、彼女が受けた被害は嘘だったので、お金を授与されたことに多少の罪悪感を持っていた。しかし、その金を使って領民の命を救えるのならば、とても素晴らしいとことだとリカルダは思う。


「し、しかし、そんなことをすれば、リカルダ様のドレスや宝飾品が買えません」

 エドガルドは女性に慣れていない。唯一知っているのは一年間婚約していたアルマだ。彼女は常にドレスや宝石をねだっていた。まだ文官見習いだった彼は給金も安くアルマの要求には満足に応えることができず、いつも不満を口にされていた。

 そんなわけで、女性はドレスや宝石をどんな時も求めるものだとエドガルドは思っている。


「結婚の際、ひと通りは母が用意してくれました。そして、しばらくは夜会には出席しないでおこうと思いますので、今すぐドレスや宝飾品を用意する必要はありません」

 毒婦に誘惑された王太子に裏切られ、その上毒婦の情夫に汚されたと、リカルダは社交界でそんな噂を流されているらしい。そのような場所に彼女を出席させるわけにはいかないと、エドガルドは納得した。

「わかりました。有難く使わせていただきます」

 自分のために使うべき金さえ差し出すリカルダのためにも、一日も早く領地を立て直し、ドレスくらい仕立てられる税収を得るようにならなければと、エドガルドは決意を新たにした。


「私の貯金もお使いください!」

 主人夫婦の会話に割り込むのは不敬だとわかっていたが、サルディバル子爵領の名を聞き、トニアは黙っていることができなかった。復讐以外の目的など何もなかったトニアは、二年間パスクアル伯爵家で勤めた給金の殆どを貯めている。もちろん、エドガルドの貯金やリカルダの持参金、王家の結婚祝いに比べるとささやかなものだが、それでも領民のために使いたい。


「使用人のお金まで使うつもりはないから、気にしないでくれ」

 トニアからそんな申し出を受けたエドガルドは、慌てて首を横に振った。彼やリカルダが有り金を出すことにしたので、トニアも出さねばとならないと感じてしまったのではないかと心配したのだ。

「お願いです! 僅かな金額でお恥ずかしいですが、私もお役に立ちたいのです」

 しかし、トニアは更に願い出た。

「わかった。それならば、投資という形にしよう」

 トニアがあまりに必死なので、エドガルドは断ることができない。

「投資ですか?」

「領地の税収が安定すれば、一年に一割の利子をつけて返済するよ。それまで借りるということでいいかな?」

「はい。お願いいたします」

 嬉しそうに返事をするトニアに、エドガルドは思わず微笑んだ。

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