7.嵌めた女たち
旧パスクアル伯爵領は暫定的にルシエンテス公爵家預かりとなっているが、公爵は国の要職に就いており、二人の息子も高級文官として王宮で勤務していて、問題を抱える領地を治める余裕はない。
領地はとても荒れており、早く領主を決め早急に対策を打ち出さなければ、多くの領民を失うことになりかねない。そのため、リカルダとエドガルドの結婚を急いで進めることになった。
心に深い傷を負っているだろうリカルダの事情を考慮し、結婚式は行わないことになった。両家の家族だけが集まり、その場で結婚誓約書に署名し、誓約書を王宮に届けることで結婚が成立する。それと同時にエドガルドはファリアス伯爵となることが決まった。
伯爵邸を新築する時間はなく、公爵は三年前に廃爵された子爵邸を買い取り、大幅に改装して新婚夫婦の新居とした。トニア以外の侍女や家事使用人を雇い入れ、家具も運び込まれる。
こうして見合いから二か月後、慌ただしくも新婚生活が始まった。
新婚一日目の夜といえばもちろん初夜である。
エドガルドは自分のために用意された執務室に一人でこもりながら、悩みに悩んでいた。
『あのような辛い思いをしたリカルダ様なので、絶対に男を恐れているだろう。この結婚を了承したのも、私が女性嫌いと公言していたからかもしれない。私と体を重ねるつもりなど端からないのではないか?』
自分でそう考えては、エドガルドは落ち込んでしまう。
『だが、我々は貴族だ。未来に亘って安定した領地運営を行うためにも後継ぎがいる。もし、リカルダ様が領地のために子を成そうと、私が来るのを寝室で待っていたら? 初夜に夫が寝室にも来ないなど、侮辱されたと感じるかもしれない。とにかく寝室へ行こうか』
そう思ってエドガルドは執務用の椅子から立ち上がる。
『いや、顔を見せるだけで襲われた時のことを思い出して怖がらせるかもしれない。そんな思いをするのならば、修道院へ入った方がましだと言われでもしたら。せめて修道院へ行くよりは幸せだとリカルダに思ってほしいのに』
再び椅子に座るエドガルド。もう何度もそんなことを繰り返していた。
エドガルドがふと窓を見ると、空はうっすらと明るくなってきている。もうすぐ住み込み勤務の使用人たちが起きだす時間だ。
『はぁ』
一睡もしていないエドガルドの目の下にはくっきりと隈ができていた。
一睡もできなかったのはリカルダも同じだった。寝室でたった一人エドガルドの訪れを朝まで待っていたのだ。
「何てこと! 夫としての義務も果たさないなんて」
夜が明け、疲れているだろうリカルダの世話をしようと夫婦の寝室にやってきた侍女のトニアは、昨夜のままの乱れもないシーツを確認し、エドガルドが寝室にやって来なかったと理解した途端に、声を荒立ててエドガルドを詰った。
「そんなに怒らないで。旦那様は女嫌いらしいし。それに、わたくしはあの男に汚されたと思われているから、触れるのに抵抗があったのかもしれないわ」
緊張したまま一夜を明かしたリカルダも内心怒っていたが、王妃教育の賜物か、顔に表すことはない。
しかし、リカルダの言葉を聞いたトニアは顔色を変えた。
「リカルダ様、やはりドレスを切り裂いたのは行き過ぎだったのではないでしょうか? 純潔を失ったと疑われてしまいました」
あの誘拐事件の時、騎士たちに発見される前に、リカルダ自身の手でドレスを切り裂き、コルセットの紐も切断しておいた。
「だって、あのままでは、フアニートは私を助けるために騎士団まで走ったと思われて、罪を減じられるかもしれないわ。そんなことは許せないでしょう? それに、詳細を聞かれても困るしね。あのような演出をしておけば、何を尋ねられても辛そうに目を伏せるだけで、それ以上追及はされないもの」
リカルダの予想通り、騎士たちも家族も、彼女の泣き顔を前にすれば、悲痛な顔を見せるだけで詳細を尋ねようとはしなかった。
「あの男への復讐は私の個人的な恨みによるものです。リカルダ様の人生を破滅させようとは思ってもいませんでした」
三年前、トニアの父親であるサルディバル子爵が、外国に情報を売っていたとの罪で廃爵された。その証拠となったのが、五歳下の妹が恋人だと思っていたフアニートから渡された小箱。中には外国と交わされた密書が何通も納められていた。
『僕の大切なものなんだ。何も聞かずに少しの間預かってもらえないだろうか?』
そう言われた妹は、中身を確認することもなく、自分の部屋のチェストの奥に隠していたのだ。
そして、アルマの養父パスクアル伯爵の告発により、騎士団の家宅捜索を受け、あっという間にサルディバル子爵の罪が確定してしまった。
そのことを苦にして、まだ十六歳だったトニアの妹は自らの命を絶ってしまった。そして、既に結婚していたトニアは婚家から身一つで追い出されることになる。
サルディバル子爵領は罪を暴いた功績によりパスクアル伯爵領に組み込まれた。トニアには二歳下の弟がいたが、次期子爵として運営に関わるために領地へ行っていて、そのまま行方不明になっている。
平民に落とされたトニアは侍女として働きながら父母を支えたが、慣れない平民暮らしのため、元々体の弱かった母親は一年もせずに亡くなってしまった。そして、気落ちした父親も後を追うように亡くなってしまう。
たった一人残されたトニアは、フアニートとパスクアル伯爵に復讐することを心の支えに生きるしかなかった。
それから、明るい色の髪を黒く染め、名を変え、伝手を頼ってどうにかパスクアル伯爵家の侍女として潜り込むことができた。そして、養女となっていたわがままなアルマにも文句ひとつ言わずに仕えて信用を得、アルマの侍女となったのだ。
ある日、フアニートがパスクアル伯爵邸にやってきて、リカルダを陥れる相談をアルマとしていた。トニアがいても気にしないほどアルマは彼女に気を許していたのだ。
また犠牲者が増える。そう思ったトニアは、意を決して夜会の時にリカルダへそのことを伝えることにした。王太子に放置されていたリカルダと接触するのは思ったよりも簡単だった。
王太子に不信感を募らせていたリカルダは、トニアの話を信用できると思った。それでも確認のため侍女服に着替えて、アルマと王太子が消えたバルコニーへと向かう。
バルコニーで王太子とアルマがリカルダを嵌めようと相談していた時、実はアルマと侍女服を着たリカルダが傍にいたのだ。侍女のことなど気にしていなかったので、二人はそのまま話を続けていた。
「あれはわたくしの復讐でもあったの。あのような女に惑わされ、婚約者であるわたくしを嵌めようとするような男に王冠を戴かせるわけにはいかないわ。ましてや、あのような下品な女を王妃にするなんて論外よ。それに、何もしなければ、わたしくは男と密会していたとなじられ、婚約を破棄されていたのよ。それくらいなら、婚約者の謀略で男に無理やり襲われて結婚できなくなったという方が、まだしも救いはあると思うでしょう?」
リカルダは全く後悔などしていない。アルマに婚約者を取られ格下の男と結婚するしかなかったと笑われるくらいなら、悲劇の女性として修道院へ行こうと思ったのだ。もちろん、あの二人を許すつもりはなく、道連れにしてやろうと思っていたので、結果には概ね満足している。
「でも、私があのようなことに巻き込まなければ、リカルダ様は平凡な文官などと結婚させられることはなかったのに」
トニアはそれが悔しい。しかも、美しいリカルダと結婚しておきながら、初夜を無視するような男なのだ。平凡な男のくせに何様だと思っているのだと、トニアは怒りを新たにする。
「どんな結婚相手でも、王太子よりは格下だから。中途半端な高位貴族と結婚するくらいなら、領地を救えるほど優秀な男の妻になる方かましだと思うの。だって、わたくしの結婚が人助けになるのなら、そこに意義があると思えるもの。それなら誰に笑われても平気だわ。それに、領地の一部はトニアのお父様のものだったのでしょう? 旦那様が領民を救ってくれるのならば、お父様だって喜んでくれるはずだわ」
「それはそうなのですが……。あの方は本当にそんなに優秀なのでしょうか? どちらかといえば、ただの挙動不審者ですよね」
はっきり言って優秀さの欠片さえ見せていないとトニアは感じる。
「まあね。でも、父は人を見る目はあると思うのよ。まあ、旦那様のお手並み拝見といきましょう。事態はこれ以上悪くなることもないしね」
夫に蔑ろにされても、最悪修道院に駆け込めばいいとリカルダは思っていた。