29.サルディバル子爵位の行方2
「それでしたらご心配は無用でございます。我々も消えた侍女のことを探し出そうと、パスクアル家の使用人と接触いたしました。職場環境が良くなかったらしく、長く勤める者もおらず教育も行き届いていなかったようです。爵位を持つ家に転職した使用人は一人もいませんでした。そして、消えた侍女のことを覚えている者もほとんどおらず、似顔絵も碌に作成できなかった次第です」
公爵の命を受け、ダビドが主になって調査したが、消えた侍女の行方はようとして知れなかった。ずっと悔しい思いをしていたダビドは、それがリカルダを支えてくれた恩人だと思っていたトニアだったとは予想だにしていなかった。
「それは有り難い。これで気兼ねなく新サルディバル子爵とその姉君をお披露目できるな。行方不明と思われていた二人なので、披露目もせず子爵位を継げば変に疑われかねない。二人のことをまだ覚えている者も多いだろうし、しばらく王都に滞在して社交界に顔を出せばいい。トリニダード様の夫であったイグレシアス伯爵家のディマス殿はまだ再婚していないようなので、貴女が望めば婚家に戻ることも可能だと思うが」
トニアの元夫はまだ彼女に未練があるので再婚していないと、エドガルドは善意に考えていた。自分なら妻を忘れられるはずがないと思うからだ。
確かに再婚相手を探しているあの母子なら、恩を着せつつトニアを迎え入れるかもしれないが、彼女はそれだけは避けたいと思っている。
「旦那様。私は表舞台に戻るつもりはございません。あまり目立つことをすればいつ何時私が『パスクアル家の消えた侍女』だと露見するかも知れません。そうなれば、奥様や旦那様、それに子爵となる弟にまで迷惑をかけてしまいます。どうか、お願いです。このままファリアス伯爵家の侍女として私をここに置いてください」
誘拐事件を起こした時、トニアは命さえ捨てるつもりだった。それが、こうして伯爵家の侍女として生きることを許されたのだ。正直、結婚していた時よりも今の方が何倍も楽しい。
誰よりも美しいリカルダを着飾るのも、野暮ったかったエドガルドにそれなりの装いをさせるのも、とてもやりがいがある。二人が喜んでくれることがトニアにとって何より嬉しかった。
「駄目です。貴女は紛れもなく貴族女性なのですから。あるべきところに戻るべきです。わたくしなら大丈夫です。旦那様がきっと守ってくれますから」
リカルダがトニアの手をそっと握った。あの誘拐事件を起こす前から運命共同体のように感じ、リカルダはトニアを頼りにしていた。本音を言うといつまでも一緒にいてほしいと思う。しかし、それではトニアの幸せを奪うことになる。
「もしあの誘拐が狂言だと露見すれば、アルマやフアニートだけならともかく、当時王太子だったレンドイロ公爵を嵌めたことになりますからね。下手をすれば王家への反逆罪に問われてリカルダ様は処刑されてしまうかもしれません。まあ、そんなことは絶対にさせませんが。最悪、心中を偽装して外国へ逃げることにいたしましょう。ご存じかもしれませんが、私は国外にも知り合いが多いので、頼る国は多数ありますから。そんな訳で、万が一露見するようなことがあっても心配はいりません。トリニダード様に責任を負わすようなことはありませんし、リカルダ様は私が絶対にお守りますので」
エドガルドは本当に何でもないことのようにリカルダに笑いかけた。リカルダはエドガルドと一緒ならば、外国暮らしも悪くないと思ってしまう。とにかく、彼がいるのならば不安など何も感じない。
「侍女を隠すのなら侍女の中が一番安全だから、一生リカルダ様の侍女として、修道院にでも婚家にでも一緒に連れて行ってくれるとおっしゃったではないですか! あれは嘘だったのですか?」
リカルダの手を握りしめながら、涙目でトニアは訴えた。元夫のところへ戻ったり、貴族女性として政略結婚をしたりするくらいなら、このまま一侍女として暮らしたい。それば、一番安全でもある。
「子爵位のことだけど、僕は辞退したいと思う。領地に妻がいるんだ。パスクアルの私兵たちに抵抗していた仲間の一人で、もうすぐ子どもが産まれる。子爵位を継ぐならば平民の彼女と別れなければならない。貴族に戻るから妻と子を捨てるなど、絶対にしたくない。彼女とは何があっても守ると誓った仲だから。それに、領地をきちんと運営していく自信がないんだ。父のように誰かに嵌められ領地を奪い取られて、領民も守ることができないのではないかと思うと、本当に怖い。姉上に子爵位を任そうと思っていたけれど、その気はなさそうだし、ファリアス卿、サルディバルの名と領地を預かってはもらえないだろうか?」
おそらく、王都へ来る前から気持ちは決まっていたのだろう。オラシオは淡々とエドガルドに頼んだ。
隣り合うパスクアル領地とずっと揉めていた父の苦労を知っているオラシオは、今更子爵や領主になりたいとは思わない。辛い中で共に戦ってきた妻を、安心して子育てできるように守りたい。それだけが彼の願いだ。
「本当にそれでよろしいのか?」
エドガルドが驚きながらもオラシオの願いを受けるつもりでいた。妻を守りたいというオラシオの言葉に共感できたのだ。
「はい。よろしくお願いいたします」
「旦那様、私からもお願いいたします」
トニアもまた、エドガルドに任せておけば大丈夫だと思っていた。
「わかった。それならば、荒れる領地を守ってきたとして男爵位を賜るように申請しておく。王宮にはサルディバル子爵の罪を認定して追放し、領地を荒れさせた責任があるので、平民でも絶対に拒否できないはずだ。それは受けてほしい。将来、子どもや孫の代にでも、爵位と領地を返すことができればと思っている」
「あっ! わたくしたちの子や孫と結ばれることがあれば、問題なく爵位や領地を継承できますね。男爵位をお持ちなら結婚可能ですもの」
そんなことを言ってしまってから、リカルダは頬を赤らめ下を向いてしまった。エドガルドの子どもを産むのは楽しみだが、こうして皆に言うのは恥ずかしい。
「そうですね。その可能性もあるかもしれませんね」
エドガルドも耳を赤く染めている。自分の子を抱く想像をして嬉しすぎて叫びそうになったが、ダビドに怒られるだろうと思い何とか抑えることができた。
「とにかく、オラシオ殿にはこれからは正式な代官としてファリアス領を治めてほしい。旧パスクアル領の民もサルディバル領の民も同じく私の領民だから、分け隔てなく面倒を見るようにというのが私の要望だ。そして、新たに賜ったサルディバル子爵領だが、ダビドに代官を頼めないか? 私はしばらくファリアス領を優先したいので、信頼のおける代官を派遣したいのだ」
オラシオが子爵位を継いでも、エドガルドはダビドを代官に推すつもりでいた。
「旦那様、それは素晴らしい考えですね。ダビドならきっと期待に沿えるはずです」
リカルダはダビドのことがちょっと苦手だ。生まれた時から側に仕えているので信頼はしているが、少し口煩いと感じている。そんな彼が領地へ行くのは大歓迎だ。
「私は奥様が心配なのですが」
当のダビドは少し逡巡していた。
「リカルダ様のことは私に任せてほしい。夫として正しく導けるように努力する」
リカルダ以外のことならば、ダビドはエドガルドの言葉に素直に頷いただろう。しかし、ことリカルダが絡むとエドガルドは全く頼りにならない。多分、リカルダに丸め込まれるだろうと思いながら、それでもダビドは代官の役目を受けることにした。
将来二人が立派な伯爵夫妻になるだろうことは、ダビドにも疑いようがない。ダビドが側にいなくても、エドガルドとリカルダは手を取り合ってお互いを高めていくことだろう。




