28.サルディバル子爵位の行方1
「レンドイロ卿には、ようやくお引き取りいただくことができました」
ダビドが大きなため息をついている。
リカルダが応接室のドアを開けっぱなしにしていたため、ファリアス伯爵邸に勤める使用人の多くがことの顛末を知ることになってしまった。もちろん、ダビドも知っている。
「旦那様、使用人の中には年若い者もおります故、いくらご夫婦とはいえ、昼の間は節度をおもちいただきたいと存じます。ましてや、客人の前ではお控えください」
ダビドの姪であるオラジャはまだ十五歳。そんな彼女がエドガルドとリカルダの抱擁を興味津々で見つめていたのをダビドは目撃していた。
「申し訳ない。嬉しさのあまり我を忘れてしまった。これからは気をつける」
あまりにいたたまれなくて、エドガルドは穴があったら入りたい気分だ。エドガルドの背中に腕をまわしてしまったリカルダも恥ずかしそうに俯いている。
「奥様、お呼びもされていないのに、歓談中の応接室へ乱入されるのはいかがなものでしょうか? そのような軽率な行いは、旦那様に恥をかかせることになりますよ」
ダビドの矛先はリカルダに移った。幼少より少々お転婆であったリカルダなので、このような苦言はいつものことだ。
「それは、私があまりに不甲斐ないからリカルダ様が怒っただけで、悪いのはすべて私だ。リカルダ様は悪くない」
自分のせいでリカルダが怒られていると感じたエドガルドは、慌てて彼女を庇った。リカルダは小さく首を横に振っている。一番悪いのはレンドイロ公爵だと思っているが、そんなことを言えばダビドから反撃されそうなので黙っていた。
「旦那様、奥様を甘やかすだけでは夫の役目を果たせません。妻を正しく導くのも夫の役目。逆もまたしかり。そうして、お互いを高め合っていくのがご夫婦というものではないでしょうか?」
さすがダビド、良いことを言うとエドガルドは感動していた。リカルダはエドガルドの優しさを否定されてちょっと不満顔になっている。
「ダビドさんは独身だから、そんな理想論を語れるのですよ。相手を深く想っているからこそ、心が乱れ感情を抑えられないことがありますよね。旦那様も奥様もまだお若いのですから、ゆっくりと成長されればいいのです。お二人なら将来はきっと立派な伯爵夫妻になられるはずです。さあ、サロンにお茶の用意をいたしますから、ご休憩にいたしませんか?」
若き伯爵夫妻に助け舟を出したのは、この伯爵邸で一番年上の侍女である。その昔、ルシエンテス公爵夫人の実家で侍女をしていたが、年下の護衛と結婚して退職。四人の子どもを育て上げた。
そして、リカルダの嫁ぎ先である伯爵家が使用人を募っていると知り、護衛の夫と共に応募して採用されたのだった。
彼女の夫は若い護衛やエドガルドの剣の師匠を務めている。
「旦那様、お茶にいたしましょう」
「そうですね」
エドガルドは素早くソファから立ち上がり、リカルダのエスコートをするために手を差し出した。今まで嫌がられるのではないかと悩んで躊躇していたが、リカルダから愛を告げられた今、自然にできるようになっていた。
エドガルドのペンだこと剣だこが目立つ手に、リカルダの嫋やかな白い手が重ねられた。そして、彼女は優雅に立ち上がる。
リカルダとエドガルドの目線が重なり合う。少し緩んだ頬が、二人の喜びを語っていた。
こうしてやっと思いを伝え合った二人だが、劇的に生活が変わることはなかった。ダビドに釘を刺されたこともあり、礼節を失うことはない。しかし、エドガルドの言動は明らかに洗練されていく。愛されている自信が彼を磨いているらしい。
さりげなく差し出されるエドガルドの手に、リカルダが頬を染めながら手を重ねている。伯爵邸では日々そんな微笑ましい光景を見ることができる。
二人の幸せを疑う者など、もう誰もいない。
そんなある日。その日もエドガルドは休日だった。リカルダからの訴えもあり、ルシエンテス公爵はエドガルドの仕事量を減らすようにしているので、以前より休日は確実に増えている。第二秘書官や第三秘書官は増えた仕事量に音を上げそうになっているが、そこは公爵が尻を叩いて何とか業務を回していた。
「旦那様、奥様。暫定代官のオラシオ殿がいらっしゃいました」
手紙でエドガルドの休日を伝えていたので、この日にオラシオが来るのは予定通りだ。
「私の執務室へ通してくれ。それから、ダビドも同席してほしい」
応接室の声が隣の給湯室まで伝わると知り、エドガルドは応接室を避けることにした。
執務室はそれほど広くはない。エドガルドの執務机と、四人掛けのソファが置いているだけで、ほぼ一杯になっている。
エドガルドが執務机の前に座り、リカルダとトニアはソファで待つことにした。
オラシオを案内して執務室のドアを開けたダビドは、トニアがリカルダの横に座っているのを見て、やはり彼女はサルディバル子爵の長女なのだと確信する。
「姉上! ご無事で良かった!」
ダビドがドアを閉めると同時に、オラシオはトニアに駆け寄った。
「オレガリオも元気そうで……」
立ち上がったトニアの目から涙があふれ、それ以上言葉を続けることができない。エドガルドから無事だと聞いてはいたが、実際こうして顔を合わせると感動は一入だ。
実家へ帰るのを姑が嫌がったので、トニアが結婚してから殆ど顔を合わせていない。実に四年ぶりほどの姉弟の再会だ。
トニアの苦労を知っているリカルダも涙目になっている。目に当てた真っ白いハンカチには、ファリアスの文字と王家より使用を許された獅子の紋章が刺繍されていた。それはリカルダの手によるもので、エドガルドも同じものを贈られている。
エドガルドは胸のハンカチを軽く握った手でそっと押さえた。彼もまた、姉弟の再会を喜んでいる。
「ダビドも座ってくれ。そして、これからの話は絶対に口外しないと誓ってほしい。ルシエンテス公爵閣下にも内緒だ」
「畏まりました。私はファリアス伯爵家に仕えております。主が命じるのならば、従うのは当然でございます」
いつになく強い口調に、これから重要な話が始まるのだろうと、ダビドはエドガルドの言葉に従いオラシオの隣に腰をかける。
「リカルダ様誘拐犯の一人、消えた侍女はトニアだ。あの事件はリカルダ様とトニアによる狂言だった。もちろん、アルマとフアニートはリカルダ様を陥れようとしたのは事実だし、レンドイロ卿はリカルダ様との婚約を優位に破棄する目的で、フアニートが待つ休憩室へリカルダ様を呼び出した。あのままではリカルダ様が窮地に立たされることになっていただろう」
エドガルドの話を聞いて、ダビドが思わず立ち上がる。
「お嬢様! 何という危険なことをなさったのです!」
以前の呼び方が出てしまうほど、ダビドは動揺している。
「でも、あの人たちはわたくしを陥れようとしていたのよ」
小さな声で言い訳をするリカルダ。誘拐事件のことは後悔していない。しかし、エドガルドがダビドの協力が必要だと言ったのですべて話すことを了承したが、それは後悔しそうだ。
「でもではありません!」
「ダビド、気持ちはわかるが、起きてしまったことを今更蒸し返しても仕方がない。重要なのはこれからのことだ」
いつものエドガルドとは思えない強い口調に、旦那様はなんて頼りになるのだろうかと、リカルダは惚れ惚れと見つめていた。
「お話の腰を折るような真似をして、申し訳ございませんでした」
ダビドも素直に腰を下ろす。
「ダビドが調べたように修道院の院長の証言がある。若い修道女がリカルダ様と親しくしていたとの証言を孤児院の子どもたちに頼んでおいたので、トニアことサルディバル子爵家の長女トリニダード様が二年間修道院にいたことは証明されることだろう。しかし、その二年間実際はパスクアル伯爵邸に侍女として勤めていたのだ。その時のことを知っている者がいると困る。パスクアル伯爵邸の使用人が今どうしているか、調べてもらえないか? 下働きまでは必要ない。執事と家令、それに侍女だ。もし、他家の使用人になっているようなら、その家を避けて、新しいサルディバル子爵姉弟の披露目を行わなければならない」
パスクアル自身のことならともかく、その使用人のことまでエドガルドが直接調べたりすれば、かえって目立つかもしれない。そこで、ダビドの手を借りようとした。
ダビドは優秀な男である。情報を与えず調査を頼んで疑われるより、最初からすべてを話す方が良いとエドガルドは判断した。




