26.元王太子がやってきた2
「妻を貴方に会わせるつもりもない。ましてや、妻と離婚するなどあり得ない。ですので、このままお引き取りいただきたい」
穏やかであるがしっかりとした口調でエドガルドはレンドイロ公爵に告げる。しかし、公爵は薄笑いを浮かべるだけだった。
「アルマは今頃君たちの結婚を知って高笑いしているのではないかな。彼女は君との婚約を破棄したいがため、君を嵌めたのだろう? それは気の毒だと思うが、それだけ君に魅力がないということだよ。アルマはなぜかリカルダを嫌っていたからね。大嫌いなリカルダが君のような冴えない男と結婚したのだから喜ばないはずないよね。私を騙し、リカルダの一生を台無しにしたあの女を喜ばせることなど、私には我慢ならない」
エドガルドはレンドイロ公爵の言葉に反論したかった。しかし、アルマがエドガルドと結婚するのを嫌がったのは事実であるし、リカルダの結婚相手がエドガルドと知れば、アルマが喜ぶであろうことも容易に想像できた。
膝の上で強く握りしめたエドガルドの手が細かく震えている。リカルダが嘲笑されるのはエドガルドも我慢できない。
「あんなことがあったリカルダには他に選択肢がなかった。だから君のような男と結婚せざるを得なかったのだろう? なあ、リカルダが哀れだとは思わないのか? 私と結婚すれば彼女は公爵夫人となる。子どもには尊い王家の血が入るのだぞ。それなのに、リカルダを自分の妻だといって縛りつけ、彼女の幸せを奪うつもりか?」
レンドイロ公爵は余裕の笑みを見せている。
歯を食いしばっているエドガルドは何も答えない。いや、答えることができないのだ。リカルダを不幸にしているのが自分だと認めるのは辛かった。彼女を手放したくない。しかし、不幸にするのは絶対に駄目だ。
「リカルダに会わせてくれるね」
会えることさえできれば、エドガルドからリカルダを奪うのは簡単だと公爵は考えていた。あの舞踏会の日、久しぶりに公爵邸へ迎えに行った時のリカルダの嬉しそうな姿を思い出す。彼女はまだ自分を好いているはずだ。レンドイロ公爵はそう思っていた。
「リカルダ様が望むのならば」
悔しくてエドガルドの声は震えている。本心では目の前の不実な男を叩き出してやりたい。
しかし、リカルダは自分の妻でいるより公爵と再婚した方が幸せになるというのであれば、エドガルドはこれ以上拒否できない。
「離婚にも応じてくれるよね?」
「リカルダ様が望むならば」
そう答えるエドガルドの声は小さくかすれていた。
応接室の隣の狭い給湯室で、リカルダは両手を握りしめて怒りに震えていた。エドガルドのかすれた声も聞き取ったらしい。
そして、給湯室を飛び出したリカルダは、いきなり応接室のドアを開けた。
まだ呼びにも行かせていないのに、慌ててやってきたらしいリカルダを見て、やはりレンドイロ公爵に会いたかったのかと、エドガルドは絶望していた。
「旦那様! わたくしは怒っております」
「はい。申し訳ありません」
いつになく強い口調のリカルダに驚いたエドガルドは、彼女から目を逸らして俯いてしまう。レンドイロ公爵と会わなくてもいいと伝えたので、リカルダが怒っているのだろうと思ったのだ。
「リカルダ、元気だったか? あの時は本当に済まなかった。アルマがあのようなことをしでかすような悪女だとは思ってもいなかったのだ。悪いのはアルマとフアニートだが、私にも罪があると思う。これから一生をかけて償うつもりだ。そして君を絶対に幸せにする。お願いだ、私と結婚してくれ。もう私は王太子ではないから、妃の処女性を問われることもない。安心して嫁いでくればいいよ」
レンドイロ公爵は優しそうな微笑みを浮かべてソファから立ち上がり、殊勝な態度でリカルダに近寄ろうとした。
しかし、リカルダは公爵のことなど一顧だにしない。彼の言葉を全く無視して、エドガルドの前に立ちはだかった。
「旦那様はわたくしが嫌いなのですか? この男がわたくしに何をしたかご存じなのに、わたくしを捨ててこの男に渡すつもりだったのですか!」
レンドイロ公爵をこの男呼ばわりしているが、リカルダは気にしてもいない。それより、エドガルドが離婚を了承したことの方がはるかに大事だった。
「いいえ、私はリカルダ様を嫌ってなどおりません。しかし、私が夫ではリカルダ様が恥ずかしい思いをされます。貴女が笑われるなど、私には耐えられないのです」
嫌うどころか、エドガルドにとってリカルダは誰よりも大切な存在である。だからこそ、彼女に恥をかかせたくない。
「もしわたくしを笑う方がいるのであれば、その方はとてもお気の毒だと思います。男性を見る目が全くないのですもの」
リカルダはまっすぐにエドガルドを見つめている。
「し、しかし、私はあのアルマに捨てられた男なので」
リカルダの強い眼差しに戸惑い、エドガルドは目を泳がせていた。
「リカルダ、そんな男のことは放っておいて、私との結婚を真剣に考えてくれないか?」
「レンドイロ卿、御覧の通りわたくしは只今取り込んでおります。口を挟まないでいただけるでしょうか?」
リカルダはレンドイロ公爵を振り向くこともせず、エドガルドから目線を外さない。
「だから、私はリカルダに求婚に来たのだよ。わかっているかい?」
その公爵の言葉もリカルダからは無視されてしまう。
「この男はわたくしという婚約者がありながら、他の女と親しくなり、その女と結託してわたくしを陥れたのですよ。そのような男と結婚して本当にわたくしが幸せになると、旦那様はお考えなのですか?」
「アルマがあのような恐ろしいことを計画しているとは知らなかった。私だってあの女に騙された被害者なのだ。だが、君をあの休憩室に呼び出した私にも悪い点はあったと反省している。これからは君を裏切ったりしない。リカルダ、愛しているんだ」
リカルダの問いに答えたのはエドガルドではなく、レンドイロ公爵だった。
「レンドイロ卿、わたくしに瑕疵をつけて婚約破棄に持ち込もうと、あの女は提案したのですよね。そして、貴方はその案に乗った。そんな女がわたくしに何をしようとするか、想像できないはずはありませんよね。わたくしがどのような目にあっても良いと思っていらしたのでしょう?」
やっと振り向いたリカルダの顔にははっきりと嫌悪の色が浮かんでいた。本気でもないのに、気安く『愛している』と言う公爵に怒りを感じている。
「違うんだ。アルマがすべて悪い! 私は騙されただけだ。信じてくれ」
醜い言い訳を繰り返す公爵に冷たい目を向けたあと、リカルダは興味を失ったように視線をエドガルドに戻した。
「一度裏切った人はまた同じことを繰り返すでしょう。このような男と結婚すれば、いつ裏切られるかと一生恐れながら暮らすことになるのです。次はこの男の愛人に殺されるかもしれません。だからこそ、父は結婚を許さなかった。相手があまりにも不憫だからです。わたくしにそんな不幸な結婚をせよと、旦那様はおっしゃるのですか?」
「いいえ、そんなことは絶対に許しません。私が間違っておりました。貴女をレンドイロ卿に渡すなど、この命をかけても阻止します!」
リカルダの夫としてエドガルドが相応しくなかったとしても、レンドイロ公爵はもっと不適格だ。リカルダを不幸にするなど言語道断である。
「旦那様、わたくしは幸せになりたいのです」
「はい。私もリカルダ様は幸せになるべきだと思います」
リカルダはこの世の誰よりも美しく気高い女性だとエドガルドは思っている。そんな彼女が不幸であるなどあり得ない。
「そして、旦那様も幸せになるべきですよね」
「私は……、アルマにも捨てられるような男ですから」
辛そうにエドガルドは俯いてしまう。リカルダと一緒にいるだけで彼は幸せなのだ。逆に言えば、彼女以外の何を得ても幸せになることはない。
しかし、エドガルドの幸福はリカルダの不幸なのだとすれば、諦めるしかない。
「旦那様も幸せになるべきなのです」
リカルダは再度同じ言葉を口にした。俯いていたエドガルドが不安そうに彼女を見上げる。
「婚約者に裏切られた私が幸せになってもいいのでしょうか?」
「当然です。わたくしが幸せにして差し上げます。だから、わたくしのことも旦那様が幸せにしてください」
あれほど強かったリカルダの眼差しが揺れている。頬は真っ赤だった。




