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22.実家にて

 昼食の時間になり、ほんのりと頬を染めたリカルダが食事室へと姿を現した。既に席についているエドガルドの耳も赤くなる。

「あ、あの、お体は大丈夫ですか?」

 俯き加減でエドガルドが訊くと、

「は、はい。わたくしは大丈夫です」

 リカルダの頬がわかりやすく朱に染まった。


「昨日は一生忘れられない誕生日になりました。旦那様、ありがとうございます」

「い、いえ、私こそ忘れられない日となるでしょう。来年も、再来年も、その先もずっと一緒にお祝いができればいいですね」

「旦那様の誕生日も一緒にお祝いしたいです。それに、子どもたちのも」

 食卓を挟んで新婚夫婦の初々しい会話が続く。途切れ途切れであるものの、二人はとても幸せそうに会話を楽しんでいた。


 その様子を見ていたダビドは涙ぐみそうになる。

 リカルダが誕生したのはダビドが十四歳の時、父のもとで執事見習いとして働き始めた頃であった。それからずっと彼女を見守ってきた。主家の大切なお嬢様であるが、使用人というよりも肉親に対する想いのような感情を抱いている。

 そんなリカルダが幸せそうにしている。新妻としての喜びを全身で表しているようだ。

 誘拐事件後の涙にくれるリカルダを見ていたからこそ、ダビドは感慨深い。


 トニアもまた微笑まし気にリカルダたちを見ていた。あっさりとしたエドガルドの容姿が嫌いではないとのリカルダの言葉は本当なのだろう。思えば、前の王太子は目鼻立ちのくっきりとした、少々くどい顔立ちをしている。そんな男に裏切られたリカルダなので、全く違う印象のエドガルドを好ましく思うのかもしれない。

『敵には回したくないけれどね』

 トニアはそんなことを考えていた。



「旦那様、奥様、本日のプディングでございます」

 ファリアス伯爵家お抱えの菓子職人が運んできたのは、クリームが飾られた小さなカスタードプディング。皿には貝製のスプーンが添えられている。

「まあ、とても美味しそう。スプーンも可愛いわ」

 幸せそうにスプーンを口に運ぶリカルダを見ていると、エドガルドも幸福な気持ちに包まれるようだった。

 

 こうして、ぎこちないながらも、エドガルドとリカルダの新婚生活は始まった。


 リカルダの生活は婚前とそれほど変わりはない。領地の子どもたちのために小物を作ったり、王都の教会へ慰問に行ったり。午後にはサロンでお茶を飲みながらゆっくりと本を読む。

 たまには庭を散歩して、ようやく蕾をつけ始めた花々を愛でている。そんな穏やかな日々を過ごしていた。

 

 一方、エドガルドの生活は一変する。

 狭い寮の部屋は一間しかなく、食堂の食事は質より量を重視していた。不満はなかったが、満足していたわけでもない。

 しかし今は、

「行ってらっしゃいませ」

 出勤時にはリカルダが見送ってくれて、

「お帰りなさいませ」

 仕事が終わればリカルダが出迎えてくれる。

 リカルダと一緒に食事をとり、居間でたわいのない話をする。そして、同じ部屋で眠るのだ。

 

 リカルダはエドガルドを否定しない。それどころか、感謝すらしてくれる。

 エドガルドがつまらない話をしてしまったと思っても、『自分の知らないことを教えてくださって嬉しい』とリカルダは微笑むのだ。

 女性との会話に全く自信がなかったエドガルドだったが、リカルダとなら穏やかに会話できるようになっていた。

 エドガルドはこれが幸せというものかと実感している。



 リカルダの誕生日から十日ほど経ったある日、サロンでくつろいでいるリカルダにダビドが小さな箱を見せた。

「奥様、貝殻を使った宝石箱の試作品が届けられました。あの貝殻の美しさに職人もすっかり魅せられてしまい、随分と根を詰めて仕事をしたようです。予定よりかなり早い納品でした」

「なんて素敵な宝石箱なのでしょう。これ自体が宝石のようですね」

 リカルダの小さな両手に乗るほどの小箱は、薄く剥いだ貝殻片を様々な角度で箱全体に貼られていて、全体がきらきらと光り輝いている。それでいて、上品さは失われていない。リカルダの予想を遥か上をいく出来上がりだった。


「アルカンタルの宝石箱の方は、元はとても良質なものですが何分傷みが激しいので、もうしばらくお時間をいただきたいとのことです」

「わかりました。歴史的にも価値があるものですから、じっくり時間をかけて修理するようにと伝えてください」

「畏まりました」

 あの宝石箱もとても素敵な姿になって戻ってくるのだろうと、リカルダは期待に胸を膨らませていた。



「旦那様。一度実家へと帰りたいのです。そして、この宝石箱を母に贈ろうと思うのですが、よろしいでしょうか?」

 その夜、リカルダはエドガルドにそんな相談をした。社交界では王妃に次ぐ地位にあるルシエンテス公爵夫人である。そんな母親に領地の貝を作った宝石箱の宣伝をさせようとリカルダは目論んでいた。もちろん、心配させた両親に元気な顔を見せたいとの思いもある。


「とても綺麗な宝石箱になりましたね。これはリカルダ様の発案ですから、お好きなようにお使いください。明日は休日ですので、ご実家へは私もご一緒いたしましょうか?」

 公爵夫人がリカルダの結婚を歓迎していないことはエドガルドも知っていた。結婚式の日も、まるでお通夜のような雰囲気の公爵夫人とは、碌に挨拶もできていない。できれば少しずつでも認めてもらえればとエドガルドは思っている。

 しかし、相手は社交界でも有数の貴婦人である。無粋なエドガルドと会えば余計に嫌われるかもしれない。だからこそ、リカルダに決めてもらおうと思ったのだ。

「ご一緒してくださるのですか? 嬉しいです!」

 悩むこともなく、リカルダは笑顔で即答した。


 こうして翌日、エドガルドとリカルダはルシエンテス公爵邸を訪れることとなった。

 伯爵邸の数倍は広いサロンに通されたエドガルドは、公爵夫人を前にして、蛇に睨まれた蛙のような心境になっていた。夫人の横には公爵がいるが、夫人には頭が上がらないと公言しているので、たいした援護は期待できない。


「ファリアス卿は、リカルダの誕生日にアルカンタルの宝石箱を贈られたそうですね?」

 公爵夫人の言葉はとても穏やかだが、絶対に責められているのだとエドガルドは感じる。

「はい。その通りでございます」

 この後、どれほど責められるのかエドガルドには予想もつかない。自分でも妻の誕生日にあの薄汚い箱はないと感じているのだ。母親なら我慢ならないはずだ。


「宝石箱の中には、領地で手に入れた真珠が入っていたとか?」

「はい。領地の子どもたちが湖で獲った貝に入っていたものです。リカルダ様への贈り物にするようにと託されました」

 卑怯だとは思うが、エドガルドは子どもたちのせいにすることにした。子どもの贈り物なら仕方がないと思ってくれそうな気がしたのだ。


「さすがですわ。ファリアス卿はあの伝説をご存じなのですね。昨今の若い方は新しいものだけに価値を見出し、古き良きものを軽んじる傾向にあります。それなのに、あの情熱的な伝説に則って贈り物をするなんて、ファリアス卿はとても粋な方ですのね。わたくしは夫に騙されていましたわ。仕事はできるが無粋な男なので期待はするなと言われていたのですよ」

「はい」

 エドガルドは全く意味が分からない。横に座っているリカルダは、なぜか誇らしそうに微笑んでいる。あの伝説ってなんだ? と問いたいがその勇気もなく、返事に困ってとにかく頷いておいた。


「あの伝説とは?」

 エドガルドの疑問を代弁するように、公爵が夫人に訊いている。エドガルドはこれで事情がわかると公爵に感謝する。そして、たいして役に立たないと思ったことを内心で謝っていた。

「あなたはご存じないのですね。その昔、ある男が妻の誕生日にアルカンタルの宝石箱を贈ったの。でも、その宝石箱はとても高価だったので、中に入れるべき宝石は用意できなかった。空の宝石箱でも妻はとても喜んだのですが、男はやはり宝石を贈りたいと思っていた。そんな時に戦争が起こり、男は戦場へ行くことになったの。そして、数年離れ離れの生活が続く。その間、妻は夫の無事を祈り続けた。でも、彼女は病に倒れてしまったの」

 話しているうちに感情移入したのか、公爵夫人は真っ白いハンカチを取り出して目頭に当てた。


「厳しい戦場で暮らしていても、夫は妻に贈る宝石のことを忘れなかった。ようやく戦争が終わり国に戻る途中で、夫は野営した洞窟で宝石を掘り出すのよ。でも、やっと夫が家に戻ったとき、妻は瀕死の状態だった。夫は掘り出した宝石をアルカンタルの宝石箱に入れて妻に渡すと、それは光り輝いて奇跡が起こり、妻の病気がすっかり治ってしまったの。そして、末永く幸せに暮らしました。それがアルカンタルの伝説よ。それ以来、自ら探してきた宝石をアルカンタルの宝石箱に入れて贈ると、幸せになると言われているわ」

 手を胸の前で合わせた公爵夫人は、夢見るような眼差しで遠くを見つめていた。

「そのアルカンタルの宝石箱が欲しいのであれば、君も買えばいいよ」

 絶対に夫人からねだられると思った公爵は、先に言っておいた。

「簡単に言いますけれど、アルカンタルの作品はとても希少で手に入れるのは困難なのですよ。ファリアス卿は随分と苦労したのではなくて? リカルダが羨ましいわ」

「いえ、たまたま手に入りましたもので」

 エドガルドはとてもいたたまれない思いをしていた。只同然で押し付けられたとはとても言えない雰囲気になっている。


「お母様、旦那様はね、とても美しい貝殻で作ったスプーンもくださいましたのよ。それでプディングをいただくと、とても美味しく感じるの」

「まあ、誕生日にスプーンを贈るなんて、一生食べる物に困らせないとの宣言ですよね。男らしいわ」


「それにね。見たこともない清楚な花々で作った花束も用意してくださったの。仄かな香りも上品で寝室に飾っても邪魔にならないのよ」

 公爵家の令嬢だから見たことがないだけで、安いありふれた花なのですとトニアは突っ込みそうになった。

「それは嬉しいわね。男性の中には、市販の豪華な花束や宝飾品を贈っておけば女性は満足するだろうとのお考えの方もいるけれど、そうではないのよ。大切なのはかけたお金ではなくて、どれだけ相手を想って手間をかけられるかなの。リカルダ、貴女は幸せね」

「はい。お母様」

 少し涙ぐんでいる公爵夫人に、リカルダが頬を染めて頷いていた。

 やはりこれは嫌がらせなのではないかとエドガルドは感じ、とにかく早く終わってくれと願っていた。

 

「ところでお母様、旦那様が贈ってくれた貝殻でこんなものを作ってもらいましたの。お母様に差し上げたくて持ってまいりました」

 リカルダが取り出したのは貝殻でできた宝石箱。豪華な公爵家のサロンにあっても見劣りしないほどの輝きを放っている。

「なんて綺麗なの! 本当にわたくしがいただいてもいいの?」

「ええ。お母様に使っていただきたいと思って。ねえ、旦那様」

「はい。夫人に良くお似合いになると思います」

 とりあえずエドガルドはにっこり笑っておいた。

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